日本文学 ー あ行
芥川龍之介 『新潮日本文学10』から
「手巾」
東大教授が、休日の午後、ストリントベルグの演劇論を読んでいる。
と、そこへ上品そうな女性客が訪問し、息子が一週間前に病死したことを告げ、生前お世話になった礼を言う。
教授は、驚きながらも当り障りのない会話を交わすが、婦人があまりに端然と落ち着いていることに不審を感じ、
つい、ドイツ留学中に経験した彼の地の人の感情表現の率直さを思い浮かべてしまう。
しかし、教授は、テーブルの下の握りしめたハンカチを目にして、すべてを悟り、いたく感動する。
婦人を送り出したあとも教授は感嘆しきり、これぞ日本の美徳だ、と誇らしげに妻(アメリカ人)に語る。
2時間ほど後、読みかけだった演劇論の婦人の名刺がはさんであったページを開くと
そこには「顔は微笑していながら、手は手巾を二つに裂くと云う、二重の演技」を酷評する文章が・・
なんという皮肉!
教養あふれる学者の心理劇。これぞ、芥川!
「六の宮の姫君」
北村の『六の宮の姫君』関連で再読。
自己主張もなく、能動的になにかをしようとする意志意識もないまま運命に流されてきた姫君。
まさに生を終えようとする、そのときにでさえ、念仏に往生することができない生への執着、妄執。
「羅生門」
リストラされホームレスになるしかなくなった気弱な下人が見てしまった地獄。黒洞々たる闇。
両作とも北村が指摘した文末を箇所を読みかえし、そうかあ。。。と納得。
しかし、そういうことを知らなくても、そして何度読んでも、凄味のある作品。
「きりしとほろ上人伝」
そこはかとなくユーモアがあって、芥川にしては珍しく滋味があって、昔から好きな作品だった。
「一塊の土」
夜昼なく働き続け一家の生計を支えてくれる、男勝りの嫁。その働きぶりを最初はありがたいと思っていたのが、
次第に苦痛になってくる姑。この確執と、ラストのうろたえ。この落差がものすごくリアル。
人を信じたい、善を認めたい、と渇望しつつ、それでも闇が見えてしまう。人間を、底の底まで見通してしまう冷徹な目。
芥川って、やっぱりすごい。すごいけど・・・、ここまで見えてしまうって辛かっただろうなあ。
浅倉卓也『四日間の奇蹟』 宝島社文庫 2004
第一回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。
ピアニストとして将来を嘱望されていた僕は留学先で事件に巻き込まれ、左手薬指の先を失い、ひきかえに
知的障害の少女、千織を預かることになった。
千織は、極端な人見知りで人との関係を結びにくいが、すばらしい音感を持っていて、
一度聞いた曲は一秒たがわず正確に弾くことができることがわかった。
もう二度と人前でピアノを弾くことのなくなった僕は、千織にピアノを教え、社会性を養うために、と、
ときどき施設慰問に連れ出している。
しかし、千織は、周囲の人間にはまったく関心をしめさず、演奏が終ると一目散に僕の懐にかけてくる。
20代後半の僕は、15歳の千織の頭をなでてやり、着がえを手伝う。はためにはどう見えるのだろうか・・・。
ここらあたりの、夢破れ、千織の才能に嫉妬しつつ、保護者としての愛情を抱き、諦念と同時に
やりきれない思いが交差し・・・
という、青年の屈折した心情が瑞々しい筆致で描かれ、ひきこまれて読みすすむ。
人里はなれた山中にある脳神経系の療養施設での演奏会にそなえ、僕たちは前日の夕方、施設にむかった。
ここで迎えてくれた女性スタッフ、真理子に、千織はなぜか、すぐになついた。
これまでになかったことだ。
そして、翌日、演奏が済んだ僕たちは・・・
・・・
本作には、突っ込みたいところ、
とくに真ん中あたりの会話の長さは、それが伏線とはいえ、
ちょい、長すぎ!
などなど欠点はいっぱいある。
が、それを補ってあまりあるラストの清々しさ、爽やかさ!
「再生」「復活」「希望」「祈り」「生命の尊さ」などと言葉にすると、甘ったるくなりかねないが、
そして事実、まったく「苦味」「ひねり」のない素直な物語なのだが、ひたむきさが心地よい。
たまには素直に感動にひたろうよ。
作者はかなり若い方と思われるが、表現力に今後が期待。
井坂幸太郎 『チルドレン』 講談社 2004
銀行強盗現場にいあわせてしまった「バンク」はじめ、陣内を狂言回しに、周囲の友人が語るライトでおしゃべりで小洒落たミステリー。
連作5編で一つの話になっている。らしい。
らしい、というのは、陣内のおしゃべりに辟易して、最後の1編を残して挫折・・・
と思ったけど、まあ、ここまで読んだのだから・・・と最後の1編を読んで、この作品への好感度がぐっとあがった。
なるほど、これはミステリー連作仕立ての青春小説なのね。
でも、・・・やっぱり、こういう人が身近にいたら、かなり迷惑。というか、うっとうしいだろうな(笑)。
稲生平太郎 『アクアリウムの夜』
角川スニーカー文庫 2002
出だしは、なんだかなあ。文体が古いし、謎のテントだのこっくりさんだの白神教・・・
いかにもありげな導入、いかにもチープな小道具・・・が、予想外のラスト。ゾグッ。
こういう感覚、久しぶりに味わった。
ゾグゾグしたものの、全体の仕掛け、真犯人(というのかな)がよくわからない。
一気に読むべき一冊。でもって、あまり細かい所をつついたりほじくりかえしたりしない方がいいのかも
井上ひさし 「手鎖心中」
歌舞伎「浮かれ心中」を観ながら、ええっと、こんな内容だっけ?
帰宅後、書棚からひっぱりだした再読。
伊勢屋の若旦那栄次郎は、なにもしないでも大店の身上が継げるご身分なのに、
戯作者になりたいという一念から、親に勘当してもらって、絵草紙屋の婿になる。
しかし、自費出版した本が売れるわけもなく、番頭の吾平がこづかいをわたして子どもたちに買わせる始末。
なんとかして戯作者らしくふるまいたい栄次郎は、浮名をたてようと吉原へ行き、花魁帚木を身請けする。
田沼意次の失脚、松平定信の改革で取締りが厳しくなり、絵草紙もなかなか出版できなくなっている。
人気の山東京伝までが手鎖の刑を受けたと聞いて、栄次郎は、わざわざ発禁になりそうな絵草紙を出して、手鎖を受ける。
そうこうするうち、一年の期限がきて、伊勢屋主人は栄次郎を店にもどそうとする。
最後の大茶番にと、栄次郎がたくらんだのは、帚木との心中。
もちろん、マネだけ・・・・のつもりが。。。。
歌舞伎では栄次郎が主役だが、小説のほうは友人からの目で描いている。
そして、栄次郎の死後、
「お前たちは調子にのりすぎた。笑いなど無用なもの。そんなことで命を張るバカがあるか。
戯作は慰み物。勧善懲悪、波乱万丈、善玉悪玉・・・。おれは、お上を気にせずにすむ方法で書くぞ」
と説教をはじめるのが、曲亭馬琴。
その説教を、笑い上戸だからにこにこしながら聞いていた主人公は
「おれは栄次郎の骨を拾う。駄洒落がちょっとできるくらいの武器しかないが、茶気が本気に勝てる道をさがす」
と心に誓い、十返舎一九と筆名を決める。
二人のやりとりを聞きながら、
「わたしの行く道は活写だ。人々の暮らし、髪結いや風呂屋での会話を活写しよう!」
と覚え帳にメモをしたのは、式亭三馬。
というオチで終わっていて、筆者の戯作に対する姿勢が見える。
もう一作「江戸の夕立ち」が収載されている。
品川で遊んでいた若旦那とたいこもちが、沖に流され、通りがかった船に拾われ釜石でおろされる。
実家に無心の手紙を出し気楽に遊んでいたが、金子を届けにきた番頭がとちゅう追いはぎにあい殺されたという知らせ。
若旦那は、借金のかたにたいこもちを鉱山にうりとばし、江戸にむかう。
鉱山で辛酸をなめたたいこもち、ようやく脱走し・・・
江戸にむかったはずの若旦那とようやく出会ったものの・・・・
と、ロードムービーふうだが、後半、やや長すぎの感。
どちらも、一人称でテンポよく、小気味のいい筆運び。
『非花 はなにあらず』 井上祐美子 中公文庫 2004
中国の史実から題材をとった4篇。
梅、菊、牡丹、薔薇、とそれぞれ花にまつわる話。
梅:夫の研究し蒐集し書き残した史書をまとめ、世に出すことにすべてを賭ける李清照の一途な生き方は、ある面では倣岸不遜。
しかし、潔いではないか。喝采!
菊:こちらは、重なる不幸と人の裏切りにすっかり偏屈になった安世。
唯一、心を許せる傳延年も、韜晦した扱いにくい男。
しかし。。。
牡丹:世間知らずの大器は、美しい牡丹の苑で出会った女性に人生を狂わされたが・・・
中国霊異の香りがする塞翁が馬的話。
薔薇:これはぐっと時代がさがって、中国が西欧列強に踏みにじられていたころの話。
北京城の聖地ともいうべき天壇に土足で踏み入り、統合本部としているドイツ軍最高司令官アルフレートを深夜訪れた女性。
それは、数十年前、ドイツ駐留特使の妻となるため祇楼から買われた少女、金花だった。
どの人物も、背筋を伸ばして、己が信ずる道を凛として歩んでいる姿が美しい。
井坂幸太郎 『グラスホッパー』 角川書店 2004
小説の最初に登場するのは、鈴木。そして鯨、蝉。
元教師でお人よしな鈴木は、盛り場で通りがかりの人に声をかけ、非合法な「会社」に客を誘いこむ、という仕事をしている。
鈴木が、「会社」の業務内容に目をつぶってでも勤務しているのは、じつは、社長の息子に遊び半分でひき殺された妻の復讐をするためだった。
しかし、いかにも場違いな鈴木は疑いをかけられ、「殺人」で忠誠をためされようとしている。
一方、鯨、蝉は、それぞれ、電話一本で冷酷非情な仕事を請け負う「業界人」。
ナイフを使い、あるいは、威圧感で・・・そのリアルな描写には、正直、ページを閉じたくなった。
それでも、これからどう展開していくのだろう。と、かなりがんばって読みすすむ。
やがて、ばらばらだった人物たちが絡みだし、事態は思わぬ展開に・・・と、半分くらいから面白くなってきた。
それぞれの関係性やストーリー展開は強引な気もするが、キャラの描きわけ、とくに鈴木のとぼけたキャラがうまい。
鈴木は、危機のなかで亡き妻との思い出に浸り、妻と会話をする。
『罪と罰』を心の武器にしている鯨は、自分の手にかかった者たちの亡霊になやまされ、ひとりごとをつぶやく。
そして、蝉は・・・
ミステリーだからネタばらしはしないが、闇の中でうごめく人たちは、闇を相手に語り続け、その対比として、
鈴木の精神のまっとうさ、明るさがある、ということに気がつかされる。
でもなあ、この小説、ほんの数日間の出来事なんだけど、合計10数人死ぬんだよね。
その描写が、胃にもたれる。
井坂幸太郎 『オーデュボンの祈り』 新潮文庫
僕は、気がつくと、知らない場所に来ていた。
そこは、外界との接触をたった、いわば鎖国をしている島。
日比野と名乗る、気のよさそうな男が島内を案内してくれる。
鎖国というのも奇妙だが、出会った人も、みな、奇妙な人ばかりだ。
奥さんが惨殺されて以来、本心と逆のことしか言わない画家の園山。
地べたに寝転んで、心臓の音を聞く少女。
悪事を働いた人を感情も同情もなく処刑する、その判断は絶対なものとして認められている男、桜。
極めつけは、言葉をしゃべる案山子の優午。
100年以上前から同じ場所に立っているという優午は、人々の未来を予測する能力が備わっているが、
それを告げることは絶対にしない。
実は僕自身、突発的に会社をやめ、突発的に、なんの考えもなしにコンビニ強盗を働き、
元の町に戻るにもどれない状況なのだ。
みんな、どこかずれている、なにかが欠けている島民のなかで、唯一、まともな判断ができるのは優午だけと言ってもいい。
その優午が、なにものかによって破壊された。
優午を殺したのはだれか。
未来を予測できる優午は、自分の未来も予測していたのか・・・
ジグゾーパズルのピースのように散らばっていた伏線、登場人物たちの不可解な行動や優午の謎、
僕を追っている警官や前の恋人などなど、・・・その一つ一つに目を奪われると、
次の展開や出てくる事物が目くらましされてしまう、それがまた、面白いのだが・・・
最後に、ピタ・ピタ・ピタっとはまっていく。
それはもう見事なものだ。
しかし・・・あまりに見事に収まったので、納得してしまうのだが、やはり、現実離れしたヘンな話だ。
僕が島についてから、たった三日かそこらの間に、何人の人が桜によって処刑されているのか。。。
その以前、園山の奥さんを惨殺した犯人は。。。
などなど、リアルに考えれば、割り切れない謎が残る・・・ような・・・
で、オーデュボンだが、物語の大切なキーワードである。
未来が予測でき、警告を発していたのに、それを止められなかった悲しみ、という意味を持って使われている。
うーん。シュールだ。こういう世界は、けっこう好きだ。
だが、井坂の暴力性(それも、無用な死、殺しが多すぎる)には、ちょっと辟易する。
いしいしんじ 『トリツカレ男』 新潮文庫
ジュゼッペは変わり者。なにかに夢中になると、寝食を忘れ、それこそトリツカレてしまう。
最初はオペラ、つぎは三段跳び。
三段跳びは世界大会出場寸前で、気がすんだみたいに、はなれた。
つぎはハツカネズミの飼育。つぎは外国語、つぎは・・・
そのたびに、町の人たちは振り回されたり、からかったり。
そんなジュゼッペが貧しい風船売りの娘ペチカにトリツカレた。
ペチカは移民の娘。
内気なジュゼッペは勇気をふるい、いろんな言語で話しかけてみる。
やがて親しくなった二人だが、ペチカの目にはくすみがある。
ペチカはなにを悩んでいるのだろう。
ジュゼッペは、一つ一つ、懸命に解決していく。
まるで、トリツカレたように・・・・
しかしまあ、トリツカレるにもほどがある(苦笑)
いしいしんじの文章は、下手うま、というか、自然に紡ぎだされたような、
どこまで意識して書いているのかわからないような(当然、計算して書いているのだろうが)、子どもが語るような文章。
それが、なんともいえない味を出している。
「麦ふみクーツェ」は、精密に巧妙に伏線が張ってあり、最後の最後まで、それがうまーく隠されていたが、
本作は短いぶん、伏線が見え見え。
「麦ふみクーツェ」は、読後、なんともいえない哀しみ・不思議さが残るが、本作はハッピーエンド。
寓話的でメルヘンティック。
石田衣良 『池袋ウエストゲートパーク』 文春文庫 2001
4章からなる。華やかな都会の片隅、若者の風俗を軽くからませたミステリー。
うまい! スマート! ・・・けど、うまければうまいほど、うそっぽくなるのはなぜ
泉鏡花『歌行灯・高野聖』 新潮文庫 1950
表題作ほか、鏡花には珍しいリアリズム系の短編が三篇。
妖しくて、耽美的で、絵画的。
「歌行灯」はずっと昔、NHKの舞台中継で、たぶん、先代水谷八重子かなにかで観た記憶がある。
芸道物だと思っていたが、もっと深い、芸術に虜になった男たちの、抗えない定めと哀しみ、
という印象が残った。
「高野聖」は耽美的で、泥絵の具で描いた、妙に生々しい骨董画のよう。
他の短編も、一瞬のあやうい狂気とか空気を切り取った掌編。
明治初期の、文語調の、レトロな作家のはずなのに、いまだに演劇や映画で取り上げられている理由が
わかる気がする。
宇江佐真理 『泣きの銀次』 講談社文庫 2000
惨殺された妹の下手人を挙げたい一心から、小間物屋の若旦那の座を捨て岡っ引きになった銀次。
死体を検分するとき必ず大泣きするので泣きの銀次とアダナがついたものの、岡っ引き稼業がすっかり板についている。
この銀次とお芳の愛の行方を縦糸に、もちろん犯人探しを横糸に。
大店の若旦那から岡っ引きに、という設定が目新しいが、謎解きはありきたり。
裕福な商家・裏店の庶民・同心(武士)などなど、文化の違いや江戸の習俗など、
うるさいほど丁寧に説明されている。
宇江佐真理 『卵のふわふわ 八丁堀喰い物草紙・江戸前でもなし』 講談社 2004
八町堀同心の妻、のぶは、夫・正一郎と互いの気持ちが添わないことに悩んでいた。
食いしんぼで磊落な舅・忠右衛門、言いたいことをズケズケ言うが腹にためておかない姑。
どちらもいっぷうかわってはいるが、のぶを我が娘のように可愛がっている。
でも、どうしてもあの人とは一緒にやっていけない。旦那さまは、わたしを疎んでいる・・・
離縁を申し出、家をでたのぶは、世間にでてみて、あらためて自分の苦労のなさを思い知る。
そして、正一郎は・・・
という夫婦の機微を縦糸に、正一郎や忠右衛門が関わった事件の顛末、喰い物や市井の人々の暮らし向きなどを横糸に編んだ、短編連作。
八丁堀の風景や同心の生活、経済などがよくわかる。
この作者の作品を以前読んだときは、説明や心理描写が丁寧すぎてくどい、という印象を受けたが、
今回は、うまくこなれている、という印象。
岡嶋二人 『クラインの壺』 講談社文庫 2005
ゲームメイカー・イプシロンから、はじめて書いた小説を原案としてゲームソフトを開発したい。
これまでの常識をくつがえす、まったく新しい機軸のゲームだ。と持ちかけられた上杉彰彦は著作権契約を交わす。
それから一年半、就職もせずに待ち続けていた上杉のもとに、ようやくイプシロンから
「ほぼ完成に近づいた。モニターとなって試して欲しい」と連絡がくる。
事務所に出向くと、もう一人、アルバイトのモニターがいた。高石梨紗。美少女である。
上杉と梨紗は、交代でゲーム機に入る。
それは、従来のゲーム機とちがい、全身全感覚でバーチャルな世界を味わう、まったく画期的なものだった。
しかし、なぜか、ゲームの途中で計算外の不具合が生じ、さらに、義兄が事故にあったという誤報があり、
不審をいだいているところへ、今度は梨紗が行方不明になったという。
クラインの壺というのはメビウスの輪の四次元版。
壺の中にいると思っていると、じつは外。外にいるはずが、じつは中。
うーん、うまく説明できないが、虚と実、外と中、現実と非現実がメビウスの輪のようにくるっと引っくり返る。
どこで引っくり返るのか、どこからが虚なのか、一応、頭のすみにおいて読み始めたのだが、
いやあ、みごとに騙された。
なおかつ、ラストに、ぞわぞわっとこわさが襲う。
主人公の、世界がひっくり返されるその感覚がすごい。
しかも、文庫になったのは2005年だが、初出は1989年。
つまり、いまのようなバーチャルリアリティを追求するゲームやCGX技術がなかった時代。
それで、こんな体感ゲームソフトの世界を構築するなんて、すごい。
わたしはゲームに興味がないし、ほとんどやったことはないから、ゲームについて語ることはできないが、
携帯電話が登場してない以外は、作品に古さをまったく感じない。
読後、細かい謎は残る。
が、それよりも、どっちが現実か非現実か、世界がゆらいでしまうこわさ、というのは、いま、さらに新しい。
小川洋子 『沈黙博物館』 筑摩書房 2000
博物館技師であるぼくは、博物館をつくってほしいという依頼を
うけ、遠い村にあるふるびた屋敷を訪れる。
依頼主は、100歳ちかいと思われる気難しい老女。
養女という少女と、住み込みの庭師夫婦の手助けをえながら、ぼくは蒐集された品々を整理し
使われていない建物を博物館に改造する作業をすすめていく。
それは経験したことのない奇妙な博物館だった。
死んだ者たちの形見の品を収蔵・展示するという・・・
マイセンの陶器人形か、毛のようなほそいペンで描かれた細密画を連想させるような、
壊れやすい、巧緻で華奢で人工的で、息苦しいほど美しい、
でも、なにかしら不自然で不吉な気配がただよう世界・・・・
古い館。卵細工。兄から譲られた古い顕微鏡。プレパラートの上でうごめく繊毛。。。。
時が止まったままの沈黙の世界。死の空間。
ただし、ミステリーっぽい部分はなくてもいい。
体温のない小道具、書割のような世界で完結するはずの作品が、そこだけ現実味を帯びてしまう。
でも、こういう趣味的な作品世界て、けっこう好きだけどね。
小川洋子 『博士の愛した数式』 新潮社 2003
家政婦であるわたしがお世話することになった博士は、事故の後遺症で、
常に重ね撮りをし続けているビデオテープのように80分しか記憶できない。
そんな博士は、忘れてはいけないことをメモにして服にいっぱい張り付けている。
そして毎朝、(博士にとっては)初めて出会う家政婦のわたしに「生年月日は?」「靴のサイズは?」と
数字に関する質問をする。
数字。それは、優秀な数学者だった博士にとって、唯一、人を認識する目印であり、
挨拶のきっかけでもあり、初対面の緊張をほぐす博士なりの手だてでもあった。
わたしは、博士が心から数字を愛していることや、真実を求める純粋さに興味をひかれ、
正解を求めるのは”あるべきものがあるべき場所に納まるような”静けさを求めていることだと理解する。
やがて、シングルマザーのわたし。生まれたときから人に抱擁されることなく育った息子(博士にルートと呼ばれる)。
そして、博士。三人の奇妙で暖かな交流が始まった。
無償の愛。自分の存在が認められる場所。
野球選手の実名はいっぱい出てくるのに、登場人物の名は最後まで明かされない。
・・・これはおとぎ話なのだ。
おとぎ話が甘いセンチメンタリズムに流れないで、リアリティを持たせているのは
夾雑物が入り込む余地のない絶対無比で正確な「数式」にロマンを読み取る博士の存在感。
数学と聞くだけで苦手意識が先行するわたしだが、数式がこんなに美しい意味を持つことを、
はじめて知らされた。 ・・・しかし、ほとんど理解できていない、わたし・・・
小川洋子 『薬指の標本』 新潮文庫
中篇2作が収められている。
「薬指の標本」
サイダー工場で働いていたわたしは、機械に薬指を挟まれ、先端をうしなった。
サイダーの液が桃色に染まるのを、不思議な思いで見つめていた。
桜貝の形をした肉片はどこへ行ったのだろう。
サイダー工場をやめたわたしは、古いアパートをまるごと買い取ったという、標本室の受付として働き始めた。
どんなものでも標本にし、保存するという技師。
わたしは、持ち込まれる品物の思い出をただ静かに聞きとり、ナンバーを記録し、ラベルを貼る。
アパートには、二人の老女が住む居室以外は、すべて標本室になっていて、
棚には、無機質な、しかし、預け主の思いが封じ込められたガラスの試験管が並べられている。
静かで奇妙な、冷ややかな、ひそやかな時空間。
やがて、わたしは・・・
「六角形の小部屋」
背中を痛め、リハビリのためプールに通っていたわたしは、更衣室で平凡な中年女性、みどりさんを見かける。
なぜかわたしは、まったく特徴のない無個性なみどりさんに惹かれ、話しかけた。
なんとかして、みどりさんと親しくなりたい。みどりさんを知りたい。
わたしは、彼と別れ、みどりさんに接近する。
みどりさんは息子といっしょに、六角形の小部屋を管理していた。
小部屋は、ちょうどカソリックの告解部屋のように、いろいろな人が来ては語っていく部屋。
わたしも、みどりさんと息子にうながされて、小部屋に入る。
何度も通ううち、次第に・・・・
どちらもキーワードは「欠落」、だろうか。
いわゆる「喪失感」とかいう甘い響きはない。もっと、冷ややかで、ひそやかで、秘めやか。
小川は欠落をいとおしむというより、むしろ、痛みを楽しんで観察している。
かさぶたが固まらないうち、はがすと血がにじむとわかっていて、触りたくなるような、そんな感覚。
『博士の愛した数式』も記憶が欠落した人。博士・・・は、わりとわかりやすい作品だった。
でも、小川の本質は、こっち「薬指」の方じゃないかなあ。ある種のおそろしさ。
乙一
『失踪HOLIDAY』(角川スニーカー文庫 2001)
『きみにしか聞こえない』(角川スニーカー文庫 2001)
『暗いところで待ち合わせ』(幻冬社文庫 2002)
『GOTH』(角川 2002)
『天帝妖狐』(集英社文庫 2001)
『死にぞこないの青』(幻冬社文庫 2001)
『平面いぬ。』(集英社文庫 2003)
『ZOO』(集英社 2003)
『さみしさの周波数』(角川スニーカー文庫 )
『暗黒童話』 集英社文庫 2004
恩田陸 『光の帝国』 集英社文庫 2000
常野(とこの)の一族はみなつつましやかで品がよく、ひっそりと目立たぬように生きている。
しかし、一族の人たちは、エスパー的能力を持つゆえにさまざまな運命に翻弄される。
10篇でタペストリーのように一つの透明で不思議な世界を構築している。たしかにうまいし面白いのだが、
次第に気持ちが重くなりせつなくなるのは、ここで描き出された世界観があまりにはかなく、あまりに受身であるから?
恩田陸 『図書室の海』 新潮文庫 2005
時間の繰り返し、タイムスリップもの「春よ、こい」
現代のドラキュラ?「茶色の小瓶」
『六番目の小夜子』の外伝「図書室の海」など10篇。
どれも(短すぎるのもあるが)、とても雰囲気があり、構成も洒落ていて、達者な作品。
わたしは恩田陸を2冊ほど読んだだけで、「いい読者」ではない。
雰囲気のだせるとてもうまい作家だとは思ったが、読後、なにかしら物足らない印象、これを伝えよう!というパワーを感じられないという印象をうけた。
以前、サイン会?で恩田陸が
「いっぱいアイディアを持っている、いくらでも書ける」
というようなことを語っていたという話を聞いた。
短編集を読んで、あらためて、なるほど!と思った。
この人、短編向きかも。とも。
アンソロジー
『日本幻想小説傑作集T』阿刀田高(編) 白水ブックス 1985
筒井康隆「佇む人」安部公房「人魚伝」小松左京「くだんのはは」都筑道夫「かくれんぼ」など14編収載。
読後、あたりの世界がぐにゃりと曲がって見えるかも・・・
『日本幻想小説傑作集 U』 阿刀田高(編) 白水ブックス 1985
半村良・夏目漱石・星新一など当代一流の作家15人の幻想小説を編んだもの。
日影丈吉、夢野久作など未読の作家のものもあり、お馴染みの作家はそれぞれいかにも特徴的で、
作風の違いがうかがえる。
野坂昭如「花街てまり唄」、皆川博子「丘の上の宴会」、阿刀田高「あやかしの樹」が面白かった。
『生と死の光景ー戦後短編小説再発見D』 講談社文芸文庫 2001
戦後まもない時期に発表された短編を、テーマごとに編んだアンソロジーの一冊。
正宗白鳥・川端康成・島尾ミホ・遠藤周作・村田喜代子などの短編12篇。
ほとんどが私小説乃至はリアリズムの短編。重い内容だから、すらすらとは読めない。
え、これってどういう設定?ファンタジーではないし・・と、最初とまどったのは島比呂氏「奇妙な国」
読んでいるいうちにわかった。これは、ハンセン病患者隔離施設が舞台なのだ。
閉塞された区域のなかの、”一つの社会”の奇妙な圧倒感が残った。
その他、どの作品もリアルに淡々と書き進んでいて、ラストでハッとさせられ、
短編ならでは味わいが深かった。
北村薫編 『謎のギャラリー 』 新潮社 2002
北村薫が古今東西の短編の中から傑作を選んで編んだアンソロジー。
「愛の部屋」「謎の部屋」「こわい部屋」に解説版「名作博本館」がある
北村薫編 『北村薫のミステリー館』 新潮文庫 2005
ーこちらからどうぞー・−こわいものみたさの間ー・−ミステリーの大広間ーなど、いくつかのジャンルごとにわけられ、
ちょうど、オードブル・スープ・メインディッシュ・・・と言った具合に、味わいを変えていざなわれていく。
全部で19編。ほんとに短い掌編もあり、すぱっと鮮やかな切り口の短編あり。
長さも内容もバラエティに富んでいる。
ーこわいものみたさの間ーに収録された作品は、奇妙な味、幻想小説ふうで、わたしの好み。
ミステリーの大広間は、文字通り、ミステリーの王道を行くような作品ぞろいだが、それぞれ味わいが楽しめる。
ここに『はれた日には図書館にいこう』の「わたしの本」が収載されている。
どうしても、殺人とか陰謀とかドロドロしがちな中で、これはお口直し。
続いて、高橋克彦の「盗作の裏側」も、文字の配列が謎をとくカギになっていて、
しかも、作品の底に流れているものが「愛情」なので、読後感がさわやか。
ー不思議な書庫ーでちょっと気分を変え、最後のーことばの密室ーに足を踏み入れる。
ここで失敗をした。
ラス前の「滝」奥泉光 が、全作品の中で一番長く、ぱらっと見たところ、漢字がぎっしり。
ということは、かなりこってりした重い作品だろうと、これを最後に回してしまった。
ある宗教団体の若者たちが、5人一組になって、修業のため霊山に入る。
清らかな自然、清冽な滝、白装束に必要ギリギリの装備、祈り・・・
祈りの山で繰り広げられる、若者特有の憧れ、競争意識、思い込み、そして、屈折した愛欲
宗教特有の閉鎖的、排他的な空気。教団内での自分の立ち位置
互いに離れている者同士が、心理的に追いつめ、追いつめられていく。
それをまた、過剰に濃密で暗喩的で意味ありげな表現で飾っていく。
ちょっと三島由紀夫を連想してしまうくらい。
重いよ、暗いよ、黒いよ。
そして救いのないラスト。
しまった。
編者は意図を持って編んでいるのだから、ちゃんと順番を追って読むべきだった。
