わたしの映画館 V


(2004年3月〜2004年10月)


 『藍色夏恋』
 『レザボア・ドッグス』
 『幸せになるためのイタリア語講座』
 『ホストタウン  エイブル2』
 『エイブル able』
 『LOVERS  謀』
 『マッハ!!!!!』
 『動物園の隣りの美術館』
 『クローサー』
 『山の郵便配達』
 『下妻物語』
 『キルビル 1・2』
 『おばあちゃんの家』
 『シベールの日曜日』
 『紅い花』



『藍色夏恋』(2004・10/20)レンタルDVD

監督: イー・ツーイェン
チャン・シーハオ: チェン・ボーリン
モン・クーロウ: グイ・ルンメイ
リン・ユイチェン: (リャン・シューホイ

台湾映画。
モンとリンは17歳の女子高生。とっても仲良し。リンは恋に恋するかわいい系。モンは、気が強く、まっすぐ突っ走る系。
同じ学校のチャンに憧れたリンは、モンに無理矢理ラブレターを押しつけてチャンにわたしてもらう。
ところが、なんと差出人がモンになっていたため、チャンは、俄然、モンを意識しだす。
訳をしったモンはリンに怒りつつもチャンを意識しだす。 ・・・ と、ここらはよくある展開なのだが、
言い寄られて気分よくしたチャンの表情が、いかにも単純な男の子っぷり(ちょっと、妻夫木聡に似ている)で、いい。
モンは、チャンにキスして、と言い出したり、若い体育教師に思わせぶりな態度をしたり、急にお母さんに擦り寄ったり、
かと思うと やっぱりあんたとは付き合わないとチャンに言い渡したり。。。
一見エキセントリックなように見えるさまざまな行動は、これからむかう”大人の世界”、つまり”性”への畏れと怯えのあらわれ。
チャンに惹かれつつ、リンとはギクシャクしてしまうし。。。自分の気持ちにとまどい、
どうしたらいいのかわからなくなってしまうモンの混乱ぶりに、昔の少女だったころのことを思い出してキュンとなる。
モンに振り回されながらも、なんとか受け止めようとするチャン。
そして、ふたりは、自分たちが大人になるための入り口に立ったのだと理解する。
「1年後か3年後、男性が好きになり始めたら、一番に知らせてくれ。笑うなよ。マジだぜ」チャンの科白がいい。
私たちは1年、3年、5年後、どう変わっているか・・・わたしはどういう大人になっているか。
目をつぶっても見えない。でも、わたしには見える、あなたがそこにいるのが。。。

爽やかな青春の1ページ。
ノートに何行も 張士豪 張士豪 と書いていたリンが、チャンにふられたあと、木村拓哉 木村拓哉 と書くのが
この年ごろの女の子の恋心の可愛さ、無邪気さがでて、可笑しい。





『レザボア・ドッグス』(2004・10/19)レンタルDVD

監督:クエンテイン・タランティーノ
ホワイト:ハーベイ・カイテル
オレンジ:ティム・ロス
ピンク:スティーブ・ブショーミ

『パルプ・フィクション』より2年前の1992年制作だから、みんな、若い!というのが第一印象(苦笑)
出だしで、マドンナの歌詞がどうとか、チップを払うの払わないのとか、 くだらないことで真剣に(?)ワイワイガヤガヤ・・・
それは、これから一仕事しようという強盗団。
彼らは、ジョー親分の指令のもと、互いに本名を名乗らずホワイト・ピンク・ブルーなど記号で呼び合う。
で、次のシーンは、腹を撃たれて血だらけのオレンジを車に乗せて仲間との落ち合い場所に運ぶホワイト。
やがて、あらわれたのはピンク。そして次には・・・。どうも、仲間の誰かがサツの手引きをしたらしい。
と、タランティーノお得意の、時間をさかのぼる演出。
実は、腹を撃たれて瀕死のピンクが囮の警察官だったのだが、それがわかるまでに、
伊達男を気取るピンク、無骨で任侠な味のホワイト、マゾっぽいブロンドなど、それぞれのキャラの立て方や
挿入される小ネタのシーンなど、いかにもタランティーノって感じ。

暴力を楽しむというか、キレる、違う世界へいっちゃう・・というキレ方の面白さとしては、
『パルプ・フィクション』の方が好きかな。というか、もう何年も前に見ただけなのに、
印象的なシーンがいくつも記憶に残っているというのは、やっぱりタラちゃん、スゴイ。

reservoir dogs って、貯水池の犬。溺れる犬・・・袋のネズミ? 





『幸せになるためのイタリア語講座』(2004・10/19)レンタルDVD

監督:ロネ・シュルフィグ
代理牧師:アンダーズ・W・ベアテルセン
オリンピア:アネッテ・ストゥーベルベック
ハル・フィン:ラース・コールンド
ホテルのフロント:ピーター・ガンツェラー

デンマーク映画。
町の教会に赴任してきた代理牧師は、半年ほどまえ妻を亡くしたばかり。
前任者が居座っているので、町のホテルに案内される。そこのフロントマンは、いかにも気のよさそうな”いい人”。
ホテルのレストランの店主、ハル・フィンは昔サッカー選手だったが客商売にむかず、とうとう首に。
ハルがよく行くパン屋の店員オリンピアはドジばかり。家に帰れば気難しい父親が・・・
美容院の女店主は、病気の母を抱え・・・
など、町の片隅でひっそり暮らす彼・彼女らは、それぞれなにかしら問題を抱えている。
登場する6人の男女は、30代40代のいい年して、まどろこしいほど不器用。
週一回イタリア語講座に通ったり、教会で、店で、ホテルで。。。。いろいろなシーンを重ねながら、
互いの愛を確かめ、一歩前に踏み出すまでを、じんわり描いている。
彼らが出会う場所は、別にイタリア語講座でなくても成立する。
しかし、北欧に近いデンマークにとって、陽光輝くイタリアは憧れの地。心が解放されるのだろう。
ラストの彼・彼女らの輝く笑顔に、見ているこちらも、心がじんわり解放される。





『ホストタウン  エイブル2』(2004・9・5)

監督: 小栗謙一

『エイブル』の第二弾。今回は、障害者の子どもを持つ大家族から描いたドキュメンタリー。

2003年、アイルランドのダブリンで第11回スペシャルオリンピックス世界大会が開かれるのを前に
ダブリン郊外の小さな町、ニューブリッジは日本選手団を迎えるホストタウンとして準備に追われている。
軍に勤務するバディと妻ジョージーのあいだには12人(!)の子どもたちがいる。
いまはよき父、よき夫だが、5人目が生まれるまでバディはアルコール依存症。
ダウン症のエイミーが産まれたときも、バディは酔いつぶれていた。
さらに、その次の双子のうち、リンジーは脳性麻痺。。。。

エイミーは前向きで努力家。踊りや体操が好き。体操で、 スペシャルオリンピックスを目指していたが、
選手には選ばれなかった。 ちょっと残念だがすぐ立ち直った。
高校から普通学級に編入し、秘書の職業訓練を受けている。その訓練シーン。受付でかかってきた電話をまわすのだが、
不在とか、伝言とか・・・何度注意され教えられても、できない。エイミーのこわばった顔。
この子たちは応用がきかないから、そりゃ無理だろう、と思ってしまう。
脳性麻痺のリンジーは、特に股関節が不自由で何度も手術を受けた。いまも、ゆっくりしか歩行できない。
普通学級に通っていたが、イジメや家族の中で兄弟と 同じことができないことへの
鬱屈した思いがあり、養護学校に転校した。
カメラの前で、これまで抱えていた思いをぶつける彼女。

町に日本人アスリートの一行がやってきた。大通りを埋め尽くす歓迎パレード。パーティ。
バディの家は狭いのでホストファミリーになれない。 そのかわり、仲間の家に寄宿した
ミキ、エリコ、ハナミらをみんなで応援する。
大都会ダブリンで行なわれたスペシャルオリンピックス開会式の大興奮。
(マンデラ大統領。シュワルツネガー。モハマドアリ。U2などなど、アテネそこのけの華やかさである。)
そして、各会場での真剣な競技。大歓声。
次第に、バディ一家それぞれに変化が現れる。
ラスト。リンジーは、ドレスアップして仲間の就職祝いに出かける。
エイミーは、ちゃんと、一人で電話をつなげるようになる。週一回職場に通っているそうだ。

ノーマライゼーションという言葉の持つ、リアルな真実を見せてくれる映画だった。
もちろん、現実はさまざまで、どちらの映画とも、”あるケースの一つ”にすぎないかもしれないが、
見る人に希望をもたらす映画であることは間違いないだろう。





『エイブル able』(2004・9・5)

監督: 小栗謙一

スペシャルオリンピックスを広く知ってもらうため、寄付を募って制作されたドキュメンタリー映画。
アメリカ、アリゾナに住む夫婦(キャサリーン&マーク)が日本からの二人の知的障害者のホームステイを
受け入れるところから始まる。
一人は自閉症のジュン。もう一人はダウン症のケン。不安な気持を抱えて空港に出迎えたキャサリーンは、
二人の天使の笑顔を見ただけで、とろけてしまう。
とはいえ、言葉は通じない。身振りと笑顔でコミュニケーションをとるしかない。
まったく知らない土地、見知らぬ人に囲まれて二人はだいじょうぶだろうか。
朝起きたときパニックになるのではないかと、見ているこちらまで緊張してしまうが、 意外にあっさり起きてくる。
ケンは作業訓練所へ通い、能力や適正をみてもらう。(初日ははりきりすぎて涙が・・)
ジュンはスペシャルクラスのある地元の高校へ通う。(ジュンの世話をする少年ビッグ・チャドは
交通事故で複合障害をおっているが、前向きで快活でホントに素晴らしいコーディネイター)
夕方からはスペシャルオリンピックスのクラブでバスケットの練習。
と、それぞれの適性にあうプログラムが組まれ、日常の暮らしやイベントなど さまざまな経験を通して、
二人の少年が成長し変化していく様子を綴っている。
印象深かったのは、たとえ小さなことでも、二人がなにか出来たとき、習得したとき、
キャサリーンはじめ周囲の人たちが、「Good Boy!」「Good Job!」「Excellent!」と 表情豊かに誉めるシーン。
ただ、おだてるのではなく、ハグやハイタッチや、親指グーをして、わがことのように喜ぶ。
そのときの、少年の誇らしげな笑顔!
この夫婦のキャラクターもあるが、それ以外のスタッフたちも含めて、アメリカ人の開けっぴろげで
脳天気で快活陽気さが少年たちの成長を押し上げているのがわかる。
ケンはホテルのランドリーで働き、賃金を得る。(自立への第一歩)
ジュンは、(自閉症は周囲との関係を持つのが難しいと言われているが) 人のためにドアをあけてあげることができ、
帰国前日、学校を去るときにはこぼれでる涙を一人、ぬぐうのだ。

パンフを読むと、たまたまそういう事例に同行取材したのではなく、映画の企画のもとに
少年とホストファミリーを選んで、作られたものらしい。
そういう意味では、彼らは障害者の中では、適応能力のある、選ばれたエリートかもしれない。
あらかじめのプランや構成、編集など制作者のイメージや設計は当然あるが、しかし、
二人に演技や演出はない。
懸命に努力する姿を見れば、あきらかにわかる。彼らの成長の過程は、演出や作為を超えたところにある。
彼らは「できる able」のだ。と。
二人の帰国を前にキャサリーンとマークが語る。「わたしたち、あの子たちのおかげで「いい人」になれたわね」
知的障害者の素直・率直・繊細・純粋な表情は、わたしたちの心のあり方を映す鏡なのだということが
しみじみわかる映画だった。





『LOVERS  謀』(2004・9・3)

監督:チャン・イーモー
小妹:チャン・ツィイー
金:金城武
劉:アンディ・ラウ

唐王朝衰退期の中国。朝廷に抵抗する勢力“飛刀門”一派が力を伸ばしている。
首領を討ち果たしたばかりの捕吏、金と劉に、つぎの首領を逮捕せよとの指令がくだる。
盲目の芸妓小妹が、”飛刀門”の元首領の娘であると知った金と劉。
いったん捉えた小妹を色男の金が逃がし、 劉があとを追ってアジトをつきとめるという「謀」をたて、実行した。
かつての仲間である追っ手の捕吏を倒し倒し、小妹と逃げる金。命がけの三日間の逃亡ののち・・・

恋を仕掛け、仕掛けられ、とか、逃げると見せかけ・・・とか、この人物が実は・・・
という「謀」は、わりとわかりやすい。だから、ストーリー的にハラハラドキドキというより、
三人の殺陣、特に、チャン・ツィイーの踊りのシーンの美しさを楽しめば、もうそれで無問題!
『マッハ!!!』のワイヤーアクションを使いません。の土臭さもいいけど、
やっぱり、ワイヤーに衣装に音楽にCGにと、大資本を投入した大画面は美しいわい、と思った次第。

ラストの雪景色が計算外だったとは!・・・さすがのチャン・イーモーも、天候だけは「謀」できなかったのネ。





『マッハ!!!!!』(2004・8・26)

監督:プラッチャヤー・ビンゲーオ
ティン:トニー・ジャー

監督や俳優の名前を聞いても、さっぱりわからないが。。。。
敬虔な仏教徒の国、タイ。のどかな村にある仏像”オンバク”の首が盗まれた。
その”オンバク”と同い年のティンは首をとりもどすため、村人の期待を背負って、 手がかりのある首都バンコクへ。
そこで出会った同郷の友はチャランポランで頼りにならない。 さて、ティンは無事に見つけることができるのか。。。
というストーリーを、
1、CGを使いません
2、ワイヤーを使いません
3、スタントマンを使いません
4、早回しを使いません
5、最強の格闘技ムエタイを使います
の公約通り、正真正銘、肉体の限界を超えた実写による英雄的、危機一髪!的、娯楽映画。
によって、
@芸術性を求めてはいけません。
A主役に、アクション以上の演技力を求めてはいけません。
B重箱の隅をつつくようなあらさがしも許しません。
Cヒーローのアクションにあわせて、ひゃっ!! わっ! はっ! と声をあげ、体をゆらして楽しみましょう。
Dムエタイ、ならびにトゥクトゥク(三輪タクシー)などのタイ文化に敬意をもって鑑賞しましょう。

長男が中学のころ、初期のジャッキー・チェン映画を見ては真似事していたのを思い出す。
男の子魂にはたまらん映画だろう。
おばちゃんとしては、 ちょうど、オリンピック開催中でもあり、人は修練を積めば、こんなにも激しく美しく動けるのかと驚嘆。
メイキングシーンは事前にテレビで紹介されていたが、エンドロールでも紹介されている。
トニー・ジャーの、激しい闘いとは対照的に、ふっとなごんだ笑顔が素朴でいい。





『動物園の隣りの美術館』(2004・7・24)レンタルDVD

監督:イ・ジョンヒャン
チュニ(女):シム・ウナ
チョルス(男):イ・ソンジェ

結婚式のビデオ撮影を仕事としているチュニがアパートに帰ると見知らぬ男がいる。
その男、チョルスは、二ヶ月前に越していった前の住人(女性)の恋人で、兵役の休暇はいつもここで過ごしていたと言う。
チョルスは恋人と連絡をとるが、彼女はすでに別の人と結婚をすることになっていて、要するにチョルスはふられたのだ。
そんな失恋男と、オジサマに勝手に片思いするだけ、恋に恋するオボコな女との期間限定、奇妙な同居生活が始まる。
・・・と、くれば、 もうラストは見えている。

チュニが、ちょっと松たか子に似た、世間知らずというか天真爛漫なキャラで好感だったし、
チュニが公募にむけて書いているシナリオのラブストーリーと、現実の、恋に臆病な男女のラブストーリーの
行方を 重ねての展開やカメラワークはコジャレていて、見せられたが。。。
出だしで、見知らぬ男が若い女性の部屋で傍若無人にふるまうのを見ただけで、
わたしの中に生理的嫌悪感、拒否反応がおきてしまった。
「男は恋人が住んでいるものと思って、家賃の取立てにきた大家に金を渡してしまった。実家は遠い」
と、アパートに居候する設定を作ってはいても・・・・ やっぱり、やだナ。
勝手にパソやビデオをいじられたり、書きかけのシナリオを書き換えられたりするなんて、許せない・・・
ま、いいんだけどね、映画の中のお話だから(苦笑)





『クローサー』レンタルDVD(2004・7・22)

監督: コーリー・コン
姉: スー・チー
妹: ヴィッキー・チャオ
女刑事: カレン・モク

衛星監視システムを開発した父を殺され、殺し屋になった姉妹。
姉は今日も見事な腕前で標的をしとめ、厚いガードを鮮やかに突破して無事に帰還。
そのシステムを家で操作するのは妹。妹には普通の道を歩んで欲しい、と願う姉。
彼女たちを追う女刑事とのあいだに奇妙な連帯感がうまれ。。。
などという野暮な説明はやめよう。なにしろ、女性3人のアクションがカッコイイのだ。
ワイヤーだけでなくCGも駆使しているし、いろんな映画の名場面をパクってはいるが、それらが違和感なく楽しめる。
それより、ガンアクション・カンフーなど、彼女たちの身体能力の高さに拍手! 
刀を使ってのアクションシーンは迫力があった。(相手役は倉田保昭。意外に若いのにびっくり)

スカッとしたいとき、元気になりたいとき、お薦め。





『山の郵便配達』レンタル(2004・7・22)

監督: フェ・シェンチィ

中国の湖南省(って、どこだ?)の山奥に点在する集落に長年にわたって郵便を配達してきた父。
その仕事を引きついだ息子の初出勤の朝、いつも配達のお供をしてきた犬の「次男坊」は父にしか従わない。
しかたがない、父は笠をかぶり、息子と同行する。。
二泊三日、山道や険しい崖、途中には橋のない河・・・。そして、行く先々で出会う人々の営み・・・
父は子に、けっして多くを語らない。わずかな科白とちょっとした表情。一家の歴史を語るセピア色の回想。
どこか父に馴染めないでいた息子は、次第に父の生き方を。。。
父と子の間に交わされる空気を、時間をかけて(!)、ゆったりと描いていく。小津映画を思い起こすような演出。
これは、中国紹介映画だね。というくらい広大で美しい風景とカメラワーク。

実は・・・ひんしゅくを買いそうだが・・・眠くなった。
一緒にみていた末っ子は、あまりの展開のなさに、「これは我慢比べかっ!」(苦笑)
そもそも、これほど大変な行程を引継ぎもなしでいきなり息子に行かせるつもりだったの?
という疑問を持つのは、わたしのへそ曲がりだろうか。

でも、いい映画だよ。しみじみしたいとき、心が疲れたとき、お薦め。






『下妻物語』(2004・7・9)

監督: 中島哲也
桃子: 深田恭子
イチゴ: 土屋アンナ
桃子の駄目オヤジ: (雨上がり)宮迫
桃子のばあちゃん: 樹木希林

のどかな田園風景が続く茨城県は下妻に住む桃子は、 頭の先から爪の先までひらひらしたロリータ服に身を包み、
片道2時間以上かけて東京は 代官山にお洋服を買いにくるのを生き甲斐にしている。
わたしはおフランスのロココ時代に生まれたかったと、弁当箱にもフワフワ甘ったるいお菓子を入れてくるような桃子は、
周囲から完全に浮き上がっているが、現実逃避ともちょっと違う。これは桃子の生き方なのだ。
深田恭子はデビュー当時から、それこそフランス人形のようなルックスと、 どこを見ているのか目の焦点も
オツムの焦点もちょっとずれたような、どこかしら現実離れをしたキャラ、 なにより、うまいんだか下手なんだか
・・というレベルを超えたビミョーな立ち位置にいたが、 今回の役柄は、まさにそんな深キョンにピッタリ。
これほどロリータ服が無理なく似合う娘はいないんじゃないかな。
そんな桃子が、ひょんなことからバリバリヤンキーのいちごとダチになった。
といっても、ファッションから生き方から、すべてに両極端に遠い二人。そんな二人が。。。
というストーリーもさることながら、映像・演出が冴えている。
露出や色のコントラストを強くした映像、マンガチックでコミカルにテンポよく描いているのだけど、
でも、本人たちは大真面目に生きているのが伝わる。
そして、全体を締めているのが樹木希林の存在。
ひながいちんち、ピラピラした服着てなに考えてんだ、とふつうのばあちゃんなら小言を言うところだろうが、
「あんたは、ちっぽけかもしれないけどきれいな魂をもっているんだ。だれにもわかってもらえなくても
その魂を大事にするんだよ」と、桃子の生き方を認めている。
あいかわらず、いい味だしてるなあ。でも、「ほんだし」ではなく、どっちかというと「写るんです」のキャラ。

へんにベタベタしてたり、繊細さを押し付けられたり・・という、よくある女の子同士の友情物とは
大きく違って、それぞれに自分らしさを貫いた潔さが面白い。
最後に、二人がタッグを組んで大暴れするのも、カッコイイ! 
わたしの後ろには、ごくごくふつーの女の子がふたり、笑い声をあげながら見ていたが、
きっと、カタルシスを感じて帰ったにちがいない。

そうそう、エンドロールに「実在の企業名などを使用しておりますが、それらの商業活動を妨害する意図はありません」
という意味のお断りがでていたのが、可笑しい。
いや、ジャ○コは自社のブランドイメージをわきまえているからだいじょうぶでしょう。
なんせ、政党党首の一族だし・・・苦笑






『キルビル1 Kill・Bill』『キルビル2 Kill is Love』(2004・5・4)

監督: クエンティン・タランティーノ
女(×××): ユマ・サーマン
オーレン・イシイ: ルーシー・リュウ
ハットリ・ハンゾウ: 千葉真一
エル・ドライバー: ダリル・ハンナ

キルビル1は公開時見損なったのでレンタルビデオで、翌日、キルビル2を映画館で見る。

まずvol1
車で一軒の家に乗りつけた女(ユマ・サーマン)が、いきなり、その家に住む女と派手な殴り合いをする。
スクールバスが止まり子どもが帰ってきた気配に、互いにナイフを背に隠し、お友達のふりをする二人。
な、なんだなんだ、とひきこまれる。そこから、タランティーノお得意のカットバックで、ストーリーが見えてくる。
どうやら、この女は結婚式をあげる寸前、花婿を殺し自分を瀕死の目にあわせた殺し屋を一人一人
復讐revengeにむかっているらしいとわかる。
ちなみに、revengeは復讐という意味で、いま日本でスポーツなどで使われているリベンジは
returnmatchを使うべき。
と、それはさておき、目指す相手は4人。 で、4人のうしろにはボスのビルがいる。
4人はそれぞれ携帯でビルから指示を受けている。
女はまずオキナワへ飛び、ハットリハンゾウ(ソニー千葉、こと、千葉真一)から秘伝の刀を伝授してもらう。
そして目的地トウキョウへ。
目指す敵、日本と中国系アメリカ人のハーフにしてヤクザの元締めの女(ルーシー・リュウ)を追って青葉屋へ。
これが、またなんとも奇妙な・・・ディスコというか・・・
この青葉屋を舞台に、スプタッラーもここまでいくと笑うしかないという派手な大立ち回り。
極めつけは書割のような雪景色の中での片言日本語会話を交えての東映チックな斬りあい。
ここで敵の二人をやっつけ、残りは二人+ビル
1は、ステキなBGMで送る、東映やくざ映画&不思議な国ニッポンを描いた映画のパロディ&
劇画のテイストをミキサーにぶちこんだ味わい。といえばわかるだろうか。
ヘンなガイジン>タランティーノ!!!!

で、vol2
演出は、1より普通に近くなっている。あくまで、近く、である。普通、ではない。
女の謎の正体、復讐にいたる理由、ビルの正体が明かされてくるにつれて
これは殺し屋組織同士の潰しあいではなくラブストーリーだとわかってくる。
殺しは愛! 残るは二人+ビル。
女は、西部の田舎町に住むビルの弟、そして、そこへやってきた片目の女(ダリル・ハンナ)を片付ける。
もちろん、一直線に簡単に復讐できるわけではない。あわや! 危機一髪! の連続。
ここらあたりは、マカロニウエスタンとなぜか(苦笑)カンフー映画のテイスト。
ああ、この場面! このカット! このBGM! タイトルは出てこなくとも、懐かしいB級映画がつぎつぎ浮かんでくる。
マニアックな日本贔屓にして、一級のB級映画人。>タランティーノ!!!

最後にこの女はビルを探し出せるのか。殺せるのか(なるほどラブストーリーだった)
・・・・それは、見てのお楽しみだが、 それまでのノリノリ気分が、肝心のビルとの再会から
一気に急降下することは覚悟したほうがいいかも。

あ、映画館で見る人は、エンドロールの最後まで席をたたないように。と付け加えておこう。





『おばあちゃんの家』レンタルビデオ(2004・5・2)

監督:イ・サンジュ

韓国映画。
母親と小三くらいの息子がバスにのっている。17歳で家出をしたまま、ずっと故郷に帰らなかった母親が
職探しをするあいだ、息子を預けるためおばあちゃんの家にむかう。
と、くれば、ははあ、田舎のおばあちゃんと都会育ちの少年が、最初はぎこちない関係だったのが
最後は心を通わせ、涙の・・になるのだな。と、想像はつく。
そして、たしかにその通りの展開なのだが、一直線ではないあたりにリアリティがある。
おばあちゃんは、耳が不自由で口もきけない。 少年ときたら、よくぞ、というくらい可愛げのないクソガキ。
コミュニケーションがまるで成り立たない。というより、クソガキはおばあちゃんの耳が聞こえないのをいいことに、
言いたい放題わがまま放題。 それでも、ギクシャクと徐々に関係は作られていく。
この映画で、なにより素晴らしいのは、おばあちゃんの存在感だ。
突然あらわれた孫を扱いかねながらも、おずおずと手をさしのべる。
どんな意地悪をされても、感情を表にださないおばあちゃん。 ひたすら受け入れるだけの無償の愛の素晴らしさ。
少年と母親以外は、村の素人を使ったというのだが、もう空気そのものが絵になっている。
ひさびさに、気持ちのいい映画をみて心が洗われた。





『シベールの日曜日』テレビ放映(2004・3・17)

監督: セルジュ・ブールギニョン
シベール: パトリシア・ゴッジ
ピエール: ハーディ・クリューガー

これも懐かしの名画。
ヌーベルバーグ(新しい波)と名づけられた、映画や小説の一つの時代を代表する映画。
こういうの、陳腐な言葉で粗筋書きたくないんだよね。でも、仕方がない・・・

ピエールは記憶喪失、年齢もほんとの名前も不詳。
戦争で負傷を負い、運び込まれた病院の看護婦マドレーヌと同棲。つまり世話を受けている。
(ピエールの前歴や記憶喪失のきっかけを知るヒントは、観客にはわかっている)
めまいや幻聴など、まだ不安定な状態で仕事にもつけないピエールは、駅で泣いている少女を見かける。
少女は孤児院に連れて行かれる途中だった。
父親に捨てられた少女と、自分が何者なのかわからないピエール。
「君、名前は?」 「ほんとの名前、あててみて」「わからないなあ」
12歳の少女がまるでオトナの女のようにふるまい、たぶん30歳くらい、と言うピエールの方がうぶな少年のよう。
日曜日ごとに会っていることを知ったマドレーヌは嫉妬に狂いそうになったが、無邪気にあそぶピエールの姿に・・・
水面にうつった景色、サイドミラーごしに見える景色、 グラスの底から見える景色、水晶玉・・・
白黒の映像と、聞きなれないチベットの音楽が、それぞれの不安定な心象をデリケートに表現している。

季節は秋から冬へと移り、そして、クリスマス。。。。
ラストは書きたくない。知らない人は想像してください。(涙)
そして、少女の名前は「シベール」





『紅い花』テレビ放映(2004・3・14)

つげ義春の「紅い花」などを下敷きに佐々木昭一郎が演出したNHKドラマの再放送。
20年ほど前にみたときは、緑したたる山の風景に、白地の紅い花の着物を着た、ちょっと不思議な
雰囲気をもつ少女。 その少女のあとを、いかにも田舎の普通の子、といった少年が、見え隠れについていく。
そして少女が川に半身をひたすと、真っ赤な、人工的なほど真っ赤な花が流れ出し・・・
という映像が鮮烈な印象として残っていた。

今回あらためて見て、また、不思議な不条理なつげ&佐々木の情念世界にとりこまれた。
山奥の、ほとんど寝たきりのおじいさんの小屋に住む少女は、どうやら記憶喪失らしい。
脱走兵をさがす役所の人間。六年生の男の子。おじいさんの回想。そして、川に流れる真っ赤な花・・・
まるであぶりだしのようにイメージをつないで、少女とおじいさんを描く第一章。
第二章は、おなじような山村風景。田舎びた男たち。
同じ着物を着た同じ少女が、道に迷った青年をかくまう。というか、とりこむ。
少女は、いろいろなところに厄介になってきたから、と、奇妙な、文語調のようなしゃべり方をする。
「寝ていると蛇が首をしめにくるのであります」・・・
奇妙な土着的エロティシズムが、見ているこちらにもからみついてくる。
一転して第三章は、町の古本屋。少女は真っ赤なセーターを着、ふつうの女学生風。
少女は毎日古本屋を訪れる学生に思いを寄せている。学生と同じ本を探していた男性の出現。
しかし、その本は・・・と、はっきりしたストーリー性がある。
この章が記憶に薄かったのは、前の2章とは設定や場が違うからか、トーンがちがうからか。

川のせせらぎの音、賛美歌や軽快なギターの音色。 目が大きく無表情な少女。そして、紅い花・・・
20年前に見たときは、映像と音楽にばかり目を奪われていたような気がするが、
今回あらためて見直して、リリシズム溢れる映像の底流に流れている思想性に目が行った。
少女(妹)の姿を追い求めるつげをだしたのは、佐々木の思い・演出なのか?

じつは、つげ作品、全共闘世代のバイブル「ガロ」で話題になったころではなく、
ずっと後になってから 数点を手にしただけのわたし・・・。じくじ
全然えらそーなことは言えないのだが、それでも、独特の不条理さ、わけのわからなさ(誉め言葉である)などなど、
みょうに気になる作風だ。
「ばんさん館主人」「無能の人」など、いくつか映画化され、しかも、どれもマイナーで奇妙な映画として
ある筋(どういう筋だ)から 評価されている、というのも、つげの世界が、妙に映画人の心をそそるからだろうね。







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