『エレファント・マン』(2002年11月13日・浜松アクト大ホール・一階15列22番)

   演出    宮田慶子
   キャスト  ジョン・メリック :藤原竜也
          ケンドール夫人 :小島聖
          トリーブス : 今井朋彦
          その他 小市漫太郎 腹筋善之助 湯澤幸一郎 大森博 湯浅実

ビクトリア朝時代。
ロンドン病院へ赴任した若き医師トリーブスは、見世物小屋で全身魁夷に変形したエレファントマンを発見。
学会で発表する。
中央に半裸の藤原竜也。そのうえから吊るしたスクリーンに、実際のエレファントマンの写真が映し出される。
左手以外のすべてが醜くはれあがり、頭部も顔もどこがどこだかわからないほどの変形。
医師の説明に合わせて、写真、そして藤原竜也も正面、右、左、と向きを変える。
なんのメイクもしてない、素の、しかも美形で華奢な藤原が、
体全体をよじらせ右手をゆがませるだけでエレファントマンを表現。
新聞にエレファントマンの記事がのったことで、寄付金があつまり、エレファントマンは終生
ロンドン病院に暮らせることになる。
トリーブスは過酷な半生を生きてきたエレファントマンの教育にとりかかる。

ト「ここは、君の家。規則を守っていれば君は幸せになれる」
エ「規則って・・」
ト「規則を守ることで人は守られる。すべて君のためなのだ」

エ「慈悲がこんなに残酷なことなら、正義とは・・」

トリーブスは、女優なら恐怖や蔑みなどの感情を隠して接してくれるだろう、と、
ケンドール夫人をエレファントマンに会わせる。
ケンドール夫人は、魁夷な容貌に隠されたエレファントマンのピュアな心に打たれ、
以来、上流階級の人たちの訪問がひきも切らぬことに。
最初は好奇心、あるいは慈善、あるいは自己宣伝で近づいていった人たちは、次第に
エレファントマンに自己を投影し、合わせ鏡として自分を見つめ始める。
なかでもトリーブスは、エレファントマンに対する自分たちの欺瞞、押し付け、偽善性に 目覚めはじめる。
エレファントマンはなにもかもわかっていたのではないか・・・

一幕一場。小道具の入れ替えや垂れ幕で場を変えるだけのシンプルな舞台。
場の転換にあらわれる黒い娼婦のようは服装の歌い手。象徴的な科白。心理劇。

観客の96%(この数字にはなんの裏づけもありません)は女性。
そのうち半分は若い、20代〜30代。なかには制服姿の高校生も。
舞台終了後、なんともいえない、奇妙な空気。難しかったね・・・という声がうしろから聞こえた。
出口にむかう人並みをかきわけて舞台に近づく女の子たち。
なんだろうとふりむいたら、写メールで舞台を写していた。
そこには、エレファントマンが左手一本で作り上げた美しい教会の模型が・・・


実は水玉さまがそのあと観劇なさることがわかっていたので、彼女の感想待ちという意味もあり、
↑ はかなり奥歯にもののはさまった紹介です。
ということで、水玉さまが寄せてくださった感想を以下に転記しました。

観てきました、舞台「エレファントマン」、25日に。
いやあ、バーバまま さまが観劇日記にも記されているとおり、まあ観客のほとんどは女性! 
ほとんどが藤原竜也ファンなのだろうと・・・・。
26日が楽日ということ(私の観に行った25日はその前日)で、そこは満席の異様な盛り上がり、
黄色い歓声こそ聞こえないものの、 藤原竜也くんを励ます熱気にあふれていました。
さて、私も藤原竜也という役者に、少なからずいれあげている訳で、心から彼を応援している訳で、
彼の放つオーラのようなものは、さすがに天性の才能だわ、などと思っている一人なのですが、
純粋に演劇というものも愛しているゆえ、やはり彼だけを楽しみに会場に足を運んだ訳ではないのです。
映画「エレファントマン」を初めて観たのは、家のテレビで、たぶん小学生の頃。
奇形という業を背負った男が、それは知的で神を愛し、人として誰よりも人らしく生きようと望む姿、
そういうものに強い衝撃を受けたのでした。
25日の少し前の深夜、ちょうどこの映画「エレファントマン」を放送していて、
二度目を観る機会がありました。今回は衝撃よりも、感動がありました。
エレファントマンであるメリックの悲哀が、せつなくて、最後の自殺シーン(頭が人一倍大きく重い彼は、
普通の人のようにベッドで仰向けになって眠ることが出来ないのです、窒息してしまうのです)には、
涙がこみあげてきました。
これが舞台になるんだ、どんな? かなり期待して迎えた25日でした・・・・・。
で、どうだったかといいますと、はっきり言って、映画のほうがよく出来ていると思ってしまいました。
これじゃあ「わからない」というつぶやきが会場で聞こえても、仕方ないかも。
あのストーリー展開では、感動は生まれないのではないでしょうか。演出もしかり、心にせまる所がなかった。
(心の葛藤を描いているお芝居なのに・・・・・・)。
言いたいこと(テーマ)は、よくわかるのです、でも言い方(演出やストーリー)が良くないんじゃない、みたいな。

ちなみに役者さんは、それぞれ個性的ではあるのです。
まず、主役の藤原竜也くんは、彼なりのハードルをきちんと越えて、役者としても成長というものを確実に
見せてくれた気がしました。片手だけを曲げて演じる奇形の男。セリフにもその心の影のようなものを感じさせ、
あの美しい顔や身体をとおして、エレファントマンが見えてくるから不思議でした。
難しい役どころを、二十歳の彼が演じたのには、ブラボー! の一言をおくりたいです。
決して彼の演技に、こなれたところはなく、ただまっすぐで必死でういういしい・・・・・。
そこがまた好感度大に感じられました。
脇役もすばらしく、こなれているといえば、院長を演じた湯浅実さんなどは、しぶい演技でさすがでしたし、
ケンドール夫人の小島聖さんは、美しくとにかく魅せる演技。
大阪の小劇場から出た小市慢太郎さんと腹筋善之介さんは、芸達者ぶりを発揮してらして、
(小劇場の時からお二人を知る私としては)とても楽しませてもらいました。
腹筋さんは、お一人で四役を演じられた上に、本格的な女性役
(お笑いや、うけねらいのおふざけ女役ではなくて)までこなされてました。
さらにその上をいく五役をお一人で演じられた湯澤孝一郎さんは、まさか男性だとはわからないほどの
妖艶ぶりで(何でもパンフレットを拝見するに渋谷の「青い部屋」でも歌われるカウンター・テナーの歌手で
いらっしゃるとか)、驚きました。
トリーヴス役の今井朋彦さんとジョン卿他を演じられた大森博さんに関しては、今回は(いい役者なんだろうけれど)
力を発揮し損なっておられた感じを受けました。
トリーヴスはお芝居を盛り上げるための大切な役、残念でなりません。
長くなってしまいましたが、何が空回りしたのだろう、と考えさせられる舞台でした。
もちろん演出も脚本も、誰も手抜きをする訳もなく、みなさんベテランのキャリアのある方が集まっての
努力の舞台なのに、ああ、でも、よくなかった・・・・・。
バーバまま さまが書かれていらっしゃるように、「小道具と照明だけで場を転換させる演出とか、謎の歌い手とか、
工夫のあとがあった」とは思います。
でも、跳んだりはねたりでない科白劇だからこそ、科白とストーリーに説得力がなければいけなと思いました。
科白でもっと観るものの心をひっぱり、ゆりうごかし、ふるえさせないといけないと思いました。
だってラストシーン(エリックが仰向けに寝て、死んでゆくシーン)には泣けてしまっていいはずなのに、
きっとほとんどの人、泣けなかったと思います。
あと、個人的には腹筋さん演じるところの下男が「エレファントマンが死んでるぞー!」と叫んで行くシーンは、
どうだろうなあと考えてしまいました。お芝居の空気から浮いてる気がしました。あの科白はいるのかしら。

観に行けて、勉強になることはいろいろありましたし、個性的な役者さんの演技はそれぞれステキだったし、
観に行ったことに後悔はないのですが、期待していただけに残念ではあります。

水玉になると、お芝居に対して、けっこう本音トークが出来る(笑)、
バーバまま さま、すみません。勢いあまって、ばさばさ書いてしまいました。

(バーバまま註:水玉さんは脚本家の卵? ヒナ? です)





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