日本の児童文学 は行
●畑中弘子 『鬼の助』 辻恵子 絵 てらいんく 2005
鬼の子、助は人間どもにわるさをするため、赤ん坊に化けて村一番おおきな屋敷の前におりたった。
しかし、助を拾い、育ててくれた屋敷の人たち、なかでも三姉妹は助を鬼とは知らず、「わたしはあんたが好き」
「おら、助が好き」とかわいがった。
助はどうしても人間を「食う」ことができない。
娘達はつぎつぎ嫁に行き、やがて助にも嫁がきた・・・・・
鬼と村人という組み合わせでは『泣いた赤鬼』が有名だが、実は、あまり好きではない。
自己犠牲がどこか欺瞞的で、押し付けがましい。
ついでに言うと、いわゆる昔話や創作民話に、自己犠牲的はなしが多いのも、わたし的には好きではない。
その点、この助は、自らの経験を通して人間の愛を感得し、「食う」ことを放棄し、さらに村人を救うために力を貸し、黙って死んでいく。
哀しい。悲しいが、愛と犠牲が裏表の関係であること、助が自分で選び決めた生き方であることが、読み手にも納得できる。
ただ、すらすらと読みすぎてしまう本ではなく、あとに気持ちをひく、いろいろ感じさせられる、そういう本だ。
●畑中弘子 『わらいっ子』 講談社 2007
正造じいさんは、妻を亡くしてからますますへんくつになって、ため息と小言ばかり。
毎日身の回りの世話をしに来てくれる娘の咲から「体調が悪く行けない」という電話にも、見舞いどころかお前が悪いといわんばかり。
そこへ、ケラケラわらいのわらいっ子 と歌いながら、見知らぬ女の子がやってくる。
気を飲まれたのか、じいさんは女の子の相手をする。
翌日も、咲は具合が悪いと電話。と、また、わらいっ子があらわれる。
じいさんは、わらいっ子の出現を楽しみにし、帰った後はずっとほったらかしだった畑の手入れなどをしだす。
勘のいい読み手なら、ここらでわらいっ子の正体はわかる。
しかし、わらいっ子と過ごす時間、じいさんの変化が、丁寧に、ゆったりと、
でも、語りすぎずに描かれているので、読んでいるこちらも素直に頬がゆるんでくる。
実は正造には25年前、まだ子どもだった息子が川で水死したという苦い思い出が、
咲には、自分が目をはなしたせいで弟を死なせたという悔悟がある。
家族の死を受け入れるには長い時間を必要とする。
そして、死を浄化するのは新しい命。
死と生が順繰りに繰り返すことが人間の営み。なのだなあ
●花形みつる 『ぎりぎりトライアングル』 講談社 2001
児文協協会賞
目立たない弱い子が、八方破れで自分勝手で強いシノちゃん・アリサに
振り回されながら不思議な友情をふかめ、自分の意思を出せる子になっていく。
●浜たかや編著 『南総里見八犬伝』 偕成社 2002
おなじみ、滝沢馬琴の八犬伝の現代語訳・ダイジェスト。
ややこしい人間関係や、おおがかりなスペクタクルを、講談調の語り口でてぎわよく処理。
●浜野卓也 『さよなら友だち』 小峰 2001
きみとのわかれが悲しいのは それだけ楽しい思い出が いっぱいあったということ
ありがとう 友だち
出会いと別れ6編
●浜野卓也 『堀のある村』 フォア文庫 1979
応仁の乱。
大和の国稗田村沙汰人頭中川左門は、管領畠山にすりよった徳永によって非業の死をとげ、
村は徳永に支配された。
9年後、乞食からいっときは侍に取り立てられた一子松若は、水と守りのために村のまわりを
堀でかためようとひそかに戻ってくる。成長物語&村の自治。
●浜野卓也 『やまんばおゆき』 フォア文庫 1986
人のいいおゆきは嫁ぎ先の継子をかわいがり、厳しい姑につかえ、
捨て子を育てながらやまんばが出るとだれも近寄らない山地を開墾し・・・、
いよいよ六十.旅たちの時を迎えたおゆきは・・・
姥捨てという地味なモチーフだが、生への執着ではなく、自を捨てて他のために生きる意味を問う。
●広瀬寿子 『ぼくはにんじゃのあやし丸』 梶山俊夫・絵 国土社 2005
タイトルといい表紙絵といい、にんじゃの話かな、と一瞬、思ってしまう。
しかし、表紙絵のじいちゃんはじんべえだし、少年は現代ふう。
あれ? と、そこから引き込まれてしまう。うまい。
ぼくはカイ。じいちゃんから「ひみつを教えるから夏休みになったら来なさい」と手紙をもらう。
じいちゃんのひみつって、なんだろう・・・
そこでまた話に引きこまれる。
老い、死、というと悲しい、暗いイメージだが、祖父から孫への命の継承、思い出のプレゼント、なのだな。
そこはかとなくユーモラスで、ムダのない文章。
それに、絵がいい。
梶山さんのさし絵って、大好き。
●藤崎康夫 『ブラジルの大地に生きて』 くもん 1998
NF