日本の児童文学  か行

                     
●風野潮  『ビートキッズ』  講談社   1998
講談社新人賞はじめ各賞受賞
天性のリズム感を持つ英二は、転校先の中学校で七生と出会い、吹奏楽部に入部し
ドラムのおもしろさに目覚める。ビートに乗って突っ走りたいが、行く手は多難である。
なにせ、父ちゃんは定職につかずふらふら、そのうえ病弱な母ちゃんは 妊娠中・・・。 
●風野潮  『いとしのドリー』   岩崎書店     2003
父さんの仏壇の前を通りかかったら、携帯が鳴った。「あ、兄ちゃん。オレや龍之介や」
電話の主はいきなり・・・と、のっけから物語に引き込まれていく。
父の弟となのる初めて会った男性は金髪の美少女を連れていた。しかも、黒服の男たちに追われて。。
と、そこからはあれよあれよ。急展開につぐ急展開。
昔読んだ「明智小五郎と少年探偵団」を思いだしてしまうようなストーリーテリングの巧みさ。。
でも、読後、文明批判・血のつながりではない真実の愛は、など、伝わるものがしっかりとあるのです。
●風野潮  『満月を忘れるな!』  講談社 2003
満月の夜、猫に変身する12歳の少年、という奇抜な設定にのっけから引き込まれて読む。
主人公三池敏はなぜ猫に変身するのか、変身するとどんな騒動がもちあがるか。
変身しないようにするすべはあるのか・・ というのがメインストーリーだが、
この時期の少年の、あこがれの同級生となんでも遠慮なく言い合える幼なじみとのあいだで
揺れ動く心理、この宙ぶらりん感がじつにうまい。
猫化の騒動もドタバタになる一歩手前でふみとどまっている。
ラストシーンが印象に残る。続編が待たれる
●風野潮  『続・満月を忘れるな!』   講談社 2004
前作の続き。
8年前失踪した父「猫人」の血をひく三池敏は、猫への変化がはじまった。
猫に変化したまま戻れなくなっているらしい父を探すため、猫人の謎をさぐるため、上野さん(事情を知らない)をふくむ一行は、琵琶湖の小さな島「音鼓島(ねこしま)にやってきた。
ここは、猫人の末裔が、他の干渉をさけてひっそり暮す島。巫女のおばばの世話で、一行は・・・
と、ここから、畳み掛けるように猫人の秘密、猫になったままの父親を巡る敏と現飼い主であるユキとの対立と和解、変化の解きかた、猫人(異端)として生きる島の人々の苦悩から、 敏、ユキの恋の行方まで、一気に展開し、ラストへむかって疾走する。
これだけ盛だくさんの事件やモティーフを手際よく処理しつつ、笑われ、ほろりとさせる、
筆者のエンタメ魂に脱帽。
●風野潮  『もう一度、キックオフ』   岩崎書店  2004
お兄ちゃんの空といっしょにサッカーに励んだサッカー少女、晴。
中学のサッカー部に入部を希望するが、女子というだけで門前払い。 しかも、母親は晴がサッカーをやることに反対している。
「サッカーやりたい!」と叫んで寝転んだ拍子に、事故のため三年間植物人間として病床にある元Jリーガー・倉橋友也の意識が入り込んでしまう。
そこから、友也と晴の奇妙な運命共同体、というか、はたからみれば一人ごとをつぶやいたり、突然人格がかわったり・・・まるで二重人格のような暮らしがはじまって・・・

筆者は、上質のエンタテインメントを続けて生み出しているが、これも、子ども読者の心をひきつけ、ぐいぐい読ませること請け合い。
サッカー大好きっ子はもちろん、特にサッカーに興味のない子が読んでも、面白い。
なにかに夢中になること。目標にむかって努力すること。
友情。勝負。努力。という少年小説の三大要素がしっかり詰まっているうえ、さらに、晴、友也双方の親子の愛情までこもっているのだから。
●風野潮  『森へようこそ』   ジャイブ・ピュアフル文庫  2006
母の海外転勤で、美森は、小さいとき別れたきりの父親と双子の弟の家で暮らすことになった。
父は、植物学者で探検家、いまは大阪郊外のお化け屋敷のようなボロ家で、樹木医をしている。
都会育ちの美森にとって、こんな田舎はいや。蚊が入ってくる家なんて、信じられない! それに、植物なんて育てたことがない。
なのに、弟・瑞穂は、まるで女の子のように弱っちくて、登校拒否。
そのうえ、植物と会話ができる。植物の声が聞こえるって?!
と、のっけから、話にぐいぐいひきこまされる。

風野潮は、エンタメと文学性、両方にちゃんと足がのっかっている。
ぐいぐい読ませて、あとに、じんわりした気持ち、思いが残る。
瑞穂と美森の、まったく水と油のようなキャラを書き分けつつ、父子で暮らしていた中へとちゅうから入った美森の居心地の悪さ、 次第になじんでいく過程、学校でのイジメ、教師の問題、女の自立の問題まで、うまーく絡めて、どうなるのかな、どうなるのかな、と最後までひっぱって読ませる。
●風野潮 『テリアさんとぼく』  岩崎書店  2007
ぼく美樹(よしき)は、男の子なのに(というジェンダー問題)手芸が好き。
ミキという名でテレビの手芸コーナーに出たことがきっかけで美少女タレントとして騒がれた、
という前作『ぼくはアイドル』が下敷きになってはいるが、もちろん、前作をしらなくても面白い。
照屋手芸店を経営しているじいちゃんが交通事故で意識不明に。
(これも、ぼくからは祖父、母は義父にあたるが、母は父の死後、別の人と再婚している。という家族問題)
意識不明のじいちゃんの魂は、なんと、店の看板犬?、編みぐるみのテリアに乗り移っていた!
じいちゃんが事故にあったのは、ある女の子・詩織と絡んでいるらしい。
詩織をさがして話を聞きたい。しかし、詩織は対人恐怖という問題をかかえている。
テリアを手に、ふたたび女装をして、ぼくの活躍が始まる。
はたして、詩織の抱える問題は少しでも軽くなるのか、じいちゃんの魂は、無事にもとに戻れるのか・・・
そこへさらに、ながく行方不明同然だった叔父がとつぜん戻ってきて、人間関係がにぎやかになる。
と、登場人物のキャラの魅力でひきつけ、事件をてぎわよく片付けながら、ストーリーの動きに目を奪われているあいだに、
けっこう重たい内容をしっかり伝えている。
●川越文子 『ジュウベエとあたし 犯人を追う』  文研  2002
美ことが小犬のときからかわいがっていたジュウベエ。
愚痴も悩みも聞いてくれるジュウベエが、美ことをかばってひき逃げされた。
瀕死のジュウベエの心が美ことの中に!
犯人に「悪かった」と謝ってもらわなければ成仏できないって?!
軽快なテンポで犯人さがしをしつつ、美ことはじいちゃんのこと、命のこと、
そして自分への自信を見つけていく。
●川越文子 『ジュウベエと幽霊とおばあちゃん』  文研出版 2004
シリーズ第二弾。
美ことと、飼い犬のジュウベエ。一人と一匹の、軽妙で息の合った掛け合いが楽しい。
今回は、おじいちゃんの死後も一人暮らしをしているおばあちゃんの様子がおかしい、というので、
ジュウベエと一緒にお泊りに行くことに。
そこで見た、おばあさんの生き甲斐や不安。そして、美ことにできることは・・・
ノンビリした田舎の風景の中にある現実問題、住み慣れた土地で年寄りが安全安心に
老後を過ごすには、なんてことを、ちょっと考えてしまったが、子ども読者にはどうだろう。
ハラハラドキドキ感は前作の方があったかも。

●河原潤子  『チロと秘密の男の子』  あかね  2000
人前で歌うのが苦手なチロこと千広は、いやいや音楽教室へ通っている。
一緒に通う弥生は学校では影が薄いが、音楽教室ではのびのび。
バスの中であたりかまわず大声で歌うへんなおばあさんは、チロの遠い親戚らしい。
そして、チロの前にふしぎな男の子が・・・
ひっそりとしたたたずまい。かすかな心のひだ。
●岸武雄 『あほろくの川だいこ』  ポプラ 1974
大雨のあと、川上から流れついた若者。目も見えず記憶もない若者に村人は
あほろくと名づけ、川だいこを打つ仕事をあたえた。
雨がふるたび、あほろくは川の側に連れていかれ、たいこの音で水位を村人に知らせる。
ある嵐の日・・・
あほろくのイノセンスと村人のぎりぎりの暮らし、どちらも哀しい。
●北ふうこ 『おやしきおばばのてんてんパチンコ』  汐文社  2001
おやしきおばばのパチンコ。カラスにうったらガラスに。あれ? 楽しいナンセンス童話
●北ふうこ 『大阪ずし  ひみつの大作戦』  汐文社  2002
子どもの本にはいろんな種類があるが、これはさしずめハウツー童話。ハウツー大阪ずしの作り方。
そして、子どもは新しい知識や技術の習得が、ホントは好きなのだ(押しつけられるのがいやなだけで)
物語を楽しんだあと、さっそく大阪ずしを作った子がいるにちがいない。
●北川チハル  『そらいろマフラー』   岩崎書店  2003
5さいになったノンちゃんはことばがしゃべれない。ノンちゃんをおふろにいれてあげるのは2年生ナナのしごと。
ノンちゃんは「チイチイ」とわらう。ノンちゃんは、ジャングルジムや木にのぼってそらをみるのがすき。
そんなノンちゃんのために、ナナはそらいろのマフラーをあんであげる。

ここには、ナナの目にうつることだけを描いてある。ノンちゃんが、どの程度の障害をもっているのか、
なにもはっきりとは書いてない。
でも、だからこそ、ナナの、家族の、そして筆者の、愛の眼差しが伝わってくる。
●北川チハル  『チコのまあにいちゃん』  岩崎書店  2002 
まあにいちゃんは一年生のチコより、せがひくい。
ぐにゃぐにゃの字しか書けない。 生まれつき、心や体がそだつのに時間がかかる「おとうとにいちゃん」。
おにいちゃんのこと、ともだちにわらわれると、顔があつくなる。
でも、どうしてにいちゃんは・・・て思ってしまう。
いじわるする子がいる。かばったり、みんなでささやかな逆襲をしたり。。。。
そんなチコの日常。解決も終わりもない日常。
これからも、チコとまあにいちゃんは、いろんなことを味わうだろう。心がゆれることもあるだろう。
でも、チコはまあにいちゃんとならんで、ゆっくりゆっくり歩いていく。
だって、おにいちゃんは「チコのまあにいちゃん」なんだもん。
●北川チハル  『うちゅういちのタコさんた』  たごもりのりこ絵 国土社 2006
いきいきと迫力のある絵が楽しい絵童話。
たまこのうちはたこ焼きや。 でっかいタコにんぎょうが屋根についている。
たまこは、タコ人形がちょっとはずかしい。
ともだちのやっくんは「ええ子にしてたらサンタさんがプレゼントくれる」という。
たまこのうちには一度もサンタさんがきたことがない。 クリスマスのかざりもない。
とうちゃんは、クリスマスケーキのせいでタコ焼きが売れない。 サンタはこなくてもゆめがあるという。

ラストは、ちゃんと親子の絆が確認できてめでたしめでたし。
いつもながら、筆者は、おさない子どもの言葉にならない思いを、ひらっとすくいとっている。
●北川チハル  『ふたごのあかちゃん』  ひさかたチャイルド  2007
もりのびょういんでうまれた、ふたごの赤ちゃん。
最初に「やっほー」と生まれたのは、男の子。
つぎに生まれた女の子は、「うふふ」とわらいながら、なんと床にたっち。
やっほーとうふふは、ほんとに、Super な Twin Babies。
もう、ページをめくるたびに、やっほー! と楽しくて、うふふ♪ とうれしくなる。
最後のオチまで、うふふ♪
文章も、七五調というわけではないが、とんとんととと、とリズムにのっている。
絵も洒落ていて、外国の絵本みたい。
●木村裕一  『あらしのよるに シリーズ』  あべ浩士・絵  講談社
『あらしのよるに』@ 1994
あるあらしの夜、小屋に逃げ込んだオオカミとヤギは、おたがい、相手を仲間だと思いこんで会話をし、意気投合する。
一度、稲光で小屋の中も光がさすのだが、二匹ともカミナリが大の苦手。
しっかり目をつぶっていたので、相手を見る機会を失う、という小ネタもはいって、
思い込みと勘違いの面白さで子ども読者を楽しませている。
これがヒットになり、次作が生まれた。

『あるはれたひに』A 1996
明日また会いましょうと約束して別れた二匹、合言葉は「あらしのよるに」
待ち合わせ場所で互いを見て、びっくりどっきり。
が、予定通りピクニックに行く。
オオカミにとっては「おひるごはんといっしょにおひるごはんをたべるようなもの」
しかも、とちゅうでオオカミは持参の弁当を落としてしまう。腹がへったオオカミ、目の前のヤギが食いたくて食いたくて。
草を食べたヤギは、さっさと昼ねに入る。無邪気なのか、わざと気をひいているのか・・・
オオカミは、ここで友情と信頼を裏切るわけにはいかぬと、必死で自分の欲望を抑える。
まるで、ある年代の男の子と女の子の駆け引きみたい(笑)

『くものきれまに』B  1997
オオカミとデイトにでかけようとするヤギに、「このあたりはオオカミが出るから気をつけろ」と仲間のタプが声をかける。
ここではじめて、ヤギはメイ、オオカミはガブという名であることがわかる。(ここまで話が続くと思ってなかったのだろう)
タプと別れたところへガブが登場。と、そこへまた心配したタプがもどってくる。
あわててごまかすメイ。ひっしで身をかくすガブ。
やっと行ったと思うと、また、もどり・・・その繰り返しの面白さ。
「わたしたち、ひみつのともだち」・・・おお、なんと隠微な響き!

『きりのなかで』C 1999
なんとなく想像だが、一作目の大ヒットで二作三作目までは同じトーン、同じ世界で話を作ることができたが、
このあとが苦しんだのではないかと・・・

こんどは、オオカミの仲間がガブの行動をあやしむ。
待ち合わせの場所に来たメイは、ガブとオオカミ仲間の会話も聞いてしまう。 深い霧に救われ、ようやく洞穴に身を隠した二匹。
「これで、あなたひとりでぜんぶわたしを食べられますね」
どぎまぎするガブに
「フフフ、じょうだんですよ。まえに「おいらが助けてやる」っていったこと、ほんとうでしたね」
どこまでも単純なガブを軽く翻弄するメイである。
ガブは小さな声でポツリと言った。
「おいら、今はヤギの肉じゃなくて、ヤギが・・・すきなんす」
ああ、ガブったら、かわいい♪

『どしゃぶりのひに』D   2000
このあたりから、いよいよドラマティックな展開になる。
メイとガブの「ひみつの関係」が、ついに両方の種にばれてしまった。
「もう一回会って、相手方のすみか、行動パターンをさぐってこい。そうすれば、仲間として認めてやる」
メイもガブも、ボスの命令を受け、デイトにむかう。
二匹の動向を、それぞれの種が息をひそめて見つめる。
二匹は谷川におりていく。
どうしても友情は断ち切れない。相手を裏切ることはできない。群れにも戻れない。
「いけるところまでいってみましょう」

二匹は谷川に身をおどらせる。さて、二匹の運命はどうなりますことか・・・ ほかの巻は一冊ずつ独立して読めるようになっているが、この巻だけは、次を読まなくては話が続かない。

『ふぶきのあした』E  2002
川の下流にたどりついた二匹。
緑の草原でようやく幸せが訪れ・・・と思ったら、オオカミの群れはしつこく追ってきた。
あの高い山を越えようと二匹は山を登り始める。そこは雪におおわれた山。ここから先は草もはえてない。
ガブはメイの寝ているあいだに、こっそりエサを求めている。その気配に、わかっていても身震いするメイ。
メイを助けるため、わざと邪険にして、逃がそうとするガブ。
そんなこんな葛藤ものりこえ、二匹の友情はますます強固になっていく。
メイが持ってきた草もなくなり、吹雪に襲われ、みるみる体が弱っていくメイ。
「どっちが生き残ろうといっしょに飢え死にしようと、そんなことどうでもいいんでやんす。
もう二度とおしゃべりもできなくなる、そのことがつらいんす」
「わたし、ずっと考えていたんです。命だって、いつかは終わりがくる。
でも、わたしたちが出会えて友達だったことが消えるわけじゃないって」
よろよろと洞穴を出たガブは、迫り来るオオカミの群れに向かって突進する。
なだれが、ガブとオオカミの群れを押し流していく。 音に目を覚ましたメイは洞穴の外に出る。
吹雪がやんだ空の向こうに、緑の草原が・・ 「ガブ〜。森が見えるよ。早くおいでよ」
ページをめくると、 「1ぴきのしろいヤギはいつまでもいつまでもさけびつづけていた」
ということは、ここで終わりにするつもりだったと思われるのだが・・・

『しろいやみのはてでーあらしのよる特別編ー』 2004
シリーズ本は縦書き、A5サイズなのに、特別編だけは、横書きでサイズも一回り大きい。
二匹の出会いから気持ちの変化、互いに対する友情を、しっかり吐露した総集編。

ラストは吹雪の雪山で、
「楽しいことも辛いことも、その一つ一つがみんなキラキラとかがやいて浮かんできます」
「ほんと、おいら、それだけで幸せな気持ちになりやす」
「ええ、わたしもですよ・・・たとえ・・」ヤギは穴の外に目をやって、つぶやいた。
「たとえ・・・あしたがこなくても」
ああ、愛に殉ずる二匹の霊魂に救いあれ。 と思ったら、話はさらに続く。

『まんげつのよるに』F 2005 これが「あらしのよるにシリーズ」の最終巻(のはず)
帯に「あのままでは終われなかった。」とある。
そう、終わらなかった、ではなく、終われなかった、のだ。

メイは、無事雪山を越え、緑の草原にいる。 しかし、そこにガブはいない。
命より大事な友達がいない。死ぬより辛い、喪失感。 ところが、ガブは奇跡的に生きていた。記憶を失って。
ガブは苦しんでいた。自分はだれなのか、どうしてここにいるのか。
しかし、なぜかヤギのことだけは覚えていた。 あの肉が食いてえ。ジュワーっとあぶらののった肉。と。
メイは、一匹だけオオカミがいると聞いて、ガブではないかとさがしにいく。
原っぱの真ん中で互いを見つけた二匹。
うれしさで泣きながら駆け寄ったメイは、あっさりガブにとらえられる。
満月の夜のご馳走だ、と洞窟へひきずっていくガブ。
「どんな大変なこと、辛いこと、恐ろしいことも、ガブといっしょだったからのりこえられた。
心がいっしょなら、たとえ食べられてもかまわないと思った。でも、いまはもういっしょじゃない」
メイは嘆き、悔やむ。
「こんなことになるんだったら、あの”あらしのよるに”出会わなければよかった」
「あらしのよるに・・・あらしのよるに・・」
ガブの記憶がもどった。キーワードは”あらしのよるに”
こうして、二匹は念願の満月をしみじみとながめる。
「つきにうつったその影は、もうヤギでもオオカミでもなく、ただ二つの生き物のすがただった」

スタートは、気のいいオオカミとヤギのユーモラスな勘違いを描いた絵本だったのが、
種を越えた友情で結ばれた二匹が、あらゆる困難や障壁をのりこえて結ばれる、という一大叙事詩になった。
●楠章子  『神さまの住む町』  早川司寿乃・絵  岩崎書店  2005
表紙絵がいい。少女二人が、”町”を抱え持っている。 見開き、中表紙、さし絵・・と絵が内容をひきたて、雰囲気をだしている。

主人公みそらと仲良しのねねが学校や町を舞台に経験する、ちょっと不思議なできごと。
1章  5年になり、みそらとねねはようやく同じクラスになった。
でも、担任は、新卒の新米先生。 クラス経営がうまくいかず、PTAからも問題になるほど。
先生も苦しいが、生徒たちも・・・ みそらがいいことのつもりでしたことが、先生の神経にさわり・・・

2章  みそらは、小さいときよく遊んでもらったチヨおばあちゃんと、ひさしぶりに町で出会った。
以前のように、いっしょに買い物をし、チヨおばあちゃんの家で食事のしたくも手伝う。
「神さまが宿る鍋」と言うお鍋で、みそらは、おばあちゃんに教わりながら、おしいいおかずをつぎつぎ作る。
目がさめたとき、おばあちゃんの姿はなく・・・

3章  みそらとねねがよく遊んでもらった、うどん屋「まるや」のお兄ちゃんは
20歳のとき家出をしたまま、行方がわからない。
「まるや」のおばさんは、うちの水屋ダンスには親指神さまがいるという。
ほんとかな、神さまならお兄ちゃんの行方、知ってるかな?

4章  ねねのうちは銭湯。 でも、時代の波におされて、いつまで続けることができるか・・・
定休日、おじいちゃんの大将、ねね、みそらの三人でタイルの補修をしていると・・・

寄り添って暮らしている下町の人々、懐かしい景色、細やかな人情、そして、ちょっぴりファンタジーが入った不思議な物語。
おそらく、読者受けするのは2章以降だろうが、わたし的には1章が印象に残った。
これを最初にもっていくには、筆者も編集者も、勇気がいったのではないだろうか。 というか、トーンがちがう。
おそらく、筆者にとって、辛くてもこれを書かなければ次のステップにすすめない、というほどの思いのあるエピソードではなかったか。
その気迫が伝わってくる。
新米の先生をなめてかかる生徒たち。
クラスをまとめることができず、どんどん追い込まれていく先生。
互いに悪循環に反応し合い、ますます不信感を募らせる生徒たち。
この年ごろの容赦のなさが痛い。痛いが、身に覚えがある。
わたしにとっても5・6年生〜中学くらいが、一番生きにくい年齢だったような記憶がある。
ちょっとしたことで傷つき、それをうまく解消したり、やり過ごしたりすることができない、そういう年齢であり、 そういう性格なのだ、みそらは。
いや、先生だって、けっして悪いわけではないのだ。
マジメで不器用で、要領が悪いだけ、袋小路に入ってしまっている。
そこを筆者は、どうおさめるか・・・
難しいところだったろうが、安易な解決をさせていない。
とことん壁にぶつかってこそ、みそらも、そして先生も成長する。
後半にもちらちらと出てくることで、先生の成長ぶりもうかがえ、安心する。
1章で、けして「いい子」だけではないみそら、甘くはない子供達の現実をみせたことで、2章以降の優しさやファンタジーが「甘さ」にならず、リアリティと深みをもたらしている。
●朽木祥  『かはたれ』  福音館  2005
協会新人賞・椋鳩十賞など、各新人賞総なめ。

子ども河童の八寸はある事情から、ほかの河童たちから拒絶され、たった一人で暮らしていた。
長老の命をうけネコに化身して山をおりた八寸は、少女・麻に拾われる。
麻は、母を亡くしたあと、情けない顔の犬、チェスタトンと父とでひっそり暮らしている。
麻は、母への追憶と、自分が感じることは、人から言われて認識するのか、自分の内面から感じ取っているのか・・・要するに、外からは、なにを考えているのかわからない、はっきりしない子。
その麻に可愛がられているうち、八寸は、うっかり河童の姿をあらわしてしまった。
ラスト、長老との約束期限が迫った八寸は、突発的な事件をきっかけに、チェスタトンに助けられ、ふるさとへ帰っていく。
そこはたしかにドラマティックではあるし、麻は八寸を通して、自分の内面をみつめ、父も、麻の心に近づいてなかったと反省するなど、 それぞれが抱える問題、とくに心の問題は明るい方向へと向かうのだが・・・・

八寸は、なぜここに来たか、いつどうなったら帰るのか、麻に伝えることもなく、ふいに帰ってしまう。
読者には、八寸の生い立ちや麻のもとへ来た理由がわかっているが、麻はとうとう最後まで八寸の真実をしらないままに、突然あらわれ、突然消えた八寸の思い出だけを胸にしまって物語は終わる。
心を外へ向けて表現できない麻。
長く家族と別れて孤独な暮らしをし、いままた、形をかえて、異世界へほおりこまれた八寸。
それぞれの、よるべない気持ち、心情はすごくよく表現されている。
それぞれの成長、あるいは自信をとりもどすことが主なテーマであることは、よくわかる。
しかし、それにしても、それぞれの登場人物が、みな、ものすごーく内向きなのだ。
せっかく、河童という、異世界のものが飛び込んできたのではないか。
なぜ、もっと異文化交流をはかろうとしない。 ぶつかってこそ、理解しようと努力してこそ、互いの文化や考えが伝わるのではないか。
麻の思い、ある意味、思い込みだけが表現されているため、八寸が帰還したことへの達成感も共感もうすいし、八寸が、河童世界にどういう情報をもたらし、河童たちが人間をどう理解するようになったのかも、読者には提示されてない。
読後、もどかしい思いが残った
●国松俊英  『トキよまいあがれ』  くもん  1988
NF
●木暮正夫  『あっぱれ! わかとの天福丸』 金の星社  1999
三日月城のわかとの天福丸が夜中に目がさめると、父上からいただいた大事な刀がなくなっていた。
しかも、あやしげな書きつけが・・・乳母のおとらと天福丸は書きつけをたどって・・・
さすが、大ベテラン木暮さん。時代物という制約を逆手にとって、しかもお城のわかとのを主人公に
面白おかしい講談風エンタメ読み物に仕立てた。
●後藤みわこ  『ママがこわれた』  岩崎書店  2000
福島正美記念SF童話賞大賞
ぼくが帰ると、いつも迎えてくれるママの姿はなく、留守番ロボット・ルイが「ママはこわれました」と言う。
壊れたって?  そういえば、ママロボット開発というニュースが・・・ママはロボットだったの?
SFチックな小道具と、え?どうなるの?というストーリーテリングで子ども読者をぐいぐい引き込むお話。
もちろん、きちんと整合しているし、笑いとホロリも。
●後藤みわこ  『黒まるパンはだれのもの?』  あかね書房  2004
雄介の毎日の楽しみは、母ちゃんが作るパン。
市販のふわふわ白いパンとはちがい、ゴマと粉末わかめなどがぎっしりつまった黒いパンだ。
最近、母ちゃんの帰りが遅い。
そのうえ、あやしげなばあさんも出入りしている・・・ どうやら、母ちゃんは、ばあさんたちに黒パンを届けているらしい。
●後藤竜二 『12歳たちの伝説・U』  新日本出版   2001
6年。寄せ集めの班のメンバーは、グループからはずれた香織。体のでかい半田朱美。
校内さすらい族の木谷かん。保健室登校の谷本誠。すぐキレル寺野透。
それぞれ、痛みを感じつつ、事件をのりこえつつ、自分の中からの「やる気」をもつ。
章ごとに5人それぞれの一人称で描いているから、混乱する。
一気に読ませるしキャラが立っているのはさすが。
これを、現実の、教室の、半不登校の子どもたちはどう読むのだろう。
●越水利江子 『よみせぶとん』  新日本出版  2002
楽しみに待っていた夜店の日。台風がきてしまった。
がっかりしていると、あおむけに寝たじいちゃんが両手足でふとんをばたばたさせて、
奇妙で楽しい夜店ごっこが始まった。
そこからの広がりが楽しい。
●越水利江子 『ごっとんクリスマス』  新日本出版  2002
おなじみ、あやちゃんとそうへいくんとおじいちゃんの家ではクリスマス準備がはじまった。
一家のあたたかな空気が伝わってくる。そうへいくんとおじいちゃんは、庭にふった雪を
小山に固めて・・・ここらあたりから   楽しいファンタジー世界への助走がはじまる。
ただし、ありきたりなファンタジーではない。 展開の面白さ、広がりが楽しい。
ごっとん。の意味は読んでのお楽しみ。
●越水利江子  『あした、出会った少年』  ポプラ社  2004
日本がまだ貧しかった時代、京都下町の長屋には、いろいろな家族がそれぞれ事情を抱えながら
懸命に生きていた。
小学生のさよこは、ときどき不安に思う。
うちは、岩ゴリラみたいなお父ちゃんに似てない。お母ちゃんにも・・・うちは、もらわれっ子やろか。
少年の夢を見た。それは、タケシという幼いとき別れたイトコ・・・・でも、ほんとうは・・
みきちゃんや雪子さん、しのぶちゃんとの交流、長屋で起きる日々の事件や、
ちょっと不思議なできごとを通して、さよこが家族の絆を確かめ自分の境遇を受け入れるまでを
叙情豊かに描いたこの作品は、筆者デビュー作『風のラヴソング』の姉妹編にあたる。
それだけに、思いがいっぱい凝縮され、昇華されている。
●越水利江子  『百怪寺・夜店シリーズ  妖怪ラムネ屋』  あかね書房  2004
坂道の上にあるおばあちゃんちにいくには、百怪寺の森のそばを通らなくちゃいけない。
使いを頼まれたのに、遊びにむちゅうになって、おばあちゃんちについたのは、もう夕方だった。
帰り道、百怪寺の参道に夜店が・・あれ? さっきはなかったはずのに・・・・
きゃー。こわい。きゃー、面白い。ほんとうに、あんな夜店あるのかなあ。どきどき・・・
夜店って、ほんと、ちょっとあやしげで、ありそうだよね、あんなことが・・・
●越水利江子  『百怪寺・夜店シリーズ2 魔怪さかさま屋』 あかね書房 2004
百怪寺の森にあらわれるふしぎな夜店。 どうやら満月の夜、あやしたちが動き出すらしい。
たっぺいは、こんどは、自分から夜店に行ってみる。 ようすがわかっているから、ふしぎを楽しむ余裕もあるし、おちついて行動できる。
今回の「さかさま屋」は、子を亡くした母狐の思いを具現化したもの。
たっぺいは、自分の母の暮らしを、ふと思う。
●越水利江子  『竜神七子の冒険』  小峰書店  2006
竜神家は、すごい名前のご利益もなく、酒飲み父ちゃんがやくざの車に衝突して車代を要求されるわ、
知らないホームレスを連れ帰って夜中に騒動を起こすわ、あやしげなおねえちゃんの店にあがりこみ、命からがら逃げ出す際に足の骨を折るわ、
まあ、次から次へととんでもないことばかり続く。
母ちゃんは借金のかたとして友人の旅館で仲居として働き、そのうえ家まで売ってぼろアパートに住むはめになる。
それでも、父ちゃんは反省の色もない。いや、いったんはしょげるのだが、母ちゃんの大きさに甘え、また酒に飲まれてしまう。
まったく学習しない父ちゃんだ。
そして、やくざに頭をさげ、父ちゃんの嘘を許してしまう母ちゃん。
母ちゃんは、とうとう堪忍袋の緒がきれ父ちゃんに別れを言い渡したのだが、
別居したはずの父ちゃんが、のこのことご飯を食べにきても、追い出したりはしない。
この夫婦って、共依存じゃ・・・
七子は、そういう父ちゃんにあきれながらも、突き放しはしない。
母ちゃんの、ほのかな恋?にうろたえながらも、受け止めている。
七子の周囲には、事情で親と一緒に暮らせない子どもたちを預かる施設「天童の家」の子たち、
お座敷でチャンバラを見せて日々を暮らすカンノンのおばちゃん、など、いわば底辺でくらす人々がいる。
負けて負けて、いやというほど負けて、もうあかんと思ったら嘘みたいに勝って、
死ぬまで最下位かと思えばひょっこり優勝する阪神みたいに、七子も笑太も母ちゃんも、懲りない父ちゃんも、どんな苦難にも屈しない。
というか、はたからみれば不幸・苦労に見えてしまうが、不幸を不幸と思ってない節がある。
七転び八起き、「生まれたからには生きていく、同じことなら笛ふいて」の人生だから。
●越水利江子  『月下花伝ー時の橋を駆けて』  大日本図書  2007
がらんとした道場で、主人公秋飛が、古いフィルムを見ているところから物語ははじまる。
新撰組の映画らしいが、細切れで、しかも中途半端なところでプツンと終わっている。
秋飛と七つ年上の姉春姫は、両親の死後、古武術の奥義を求める剣術家である祖父に育てられた。
祖父の急死。道場の閉鎖。 秋飛は高校を中退し、姉を同じ女優への道を歩み始める。
春姫は、その他大勢からようやくせりふのある役をもらえるようになったところ、自分のことでいっぱいだ。
秋飛は、姉を頼らず、仕出し専門のプロダクションに入る。
秋飛は剣の腕を見込まれて、アイドルの吹き替えをすることになる。
役柄は沖田総司。しかも、その映画は、繰り返しみていた、あのフィルムのリメイクらしい。...

越水作品は、ピーンと糸を張り詰めたような緊張感、そして、人物への想い、ひいては読者への想いが、特徴的。
まだ若い、頼る身寄りもない二人が、大人の中で自分を見失わないよう懸命に生きていく、そんな日々の中へ、
時を越えてやってきた沖田総司。
現実に起きる出来事、事件と、沖田総司がどう絡むのか。
フィルムの向こうから駆けて来た沖田は、秋飛になにを伝えたいのか。
それとも、なにか答えを求めてやってきたのか。 これからの展開を楽しみに、後編を待ちたい。
●越水利江子  『まじょもりのこまじょちゃん』 山田花奈・絵 ポプラ社  2007
まじょもりにすむこまじょちゃんは、まだ、魔女の見習い中。
おかあさんのおおまじょさんとは、わかれてくらしています。
こまじょのおかあさんがわりをしているのは、ねこのこしろ。
森の中でまいごになったケンと出会ったこまじょちゃんは、ケンがお母さんのところへ帰れるよう手助けをします。
ところが、ケンの背中にはおんぶおばけがくっついていました。
ちょっとドジでかわいいこまじょちゃん、ケン、それにおんぶおばけは、無事にそれぞれのお母さんのところへ帰れるでしょうか・・・
こまじょ、ケン、おんぶおばけ、三人それぞれのドキドキワクワクを楽しみながら、最後に、
三人それぞれの母との愛情を確かめ合って、安心する。
魔法も、大きな魔法ではなく、かわいらしい。いろいろな小道具も、とても身近。
●小森香折  『ニコルの塔』  BL出版 2003
ちゅうでん児童文学賞大賞作品
霧深い地にある修道院。選ばれた12人の少女たちは、塔の最上階にある院長室で地球のマントに
刺繍を命ぜられる。
黙々と針路指定図通りに刺していく、緊張の日々。ある日、ニコルはちいさな疑問を抱いた・・・
それは錯覚なのか? それとも・・・
硬質で精密画のようなニコルの物語が終る頃、実は、別の物語があることを知らされる。
終盤のどんでん返し、というか構成の意外性が印象的。





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