日本の児童文学  な行

                     
●中尾明  『みけねこミケジローのなぞなぞめいわく手紙』  PHP研究所  1999
おんぼろアパートの管理人でなぞなぞが好きなミケジローと、アパートに暮らす子どもたちとの楽しいお話、4篇。
おじいさんと孫の交流のようなとぼけた味。
●中川なをみ  『水底の棺』   くもん  2002
ものごころついたころから父も母も知らない焼太。
親代わりに育ててくれた松にまとわりつくうち、いつのまにか小松と呼ばれるように。
松の娘、ゆうは、小松のたった一人の味方だ。
村は貧しい。狭山池がちゃんと水をたたえられれば、まわりの村もうるおうのに、いくら改修してもすぐに崩れる。
松の命をとり村人を悩ませる池を憎み、小松は村を離れる。
しかし戦乱の世。京の都は荒れ果てていた。
盗賊の頭。重源上人。美への執着を捨てきれない蓮空。宋からきた恵海少年。
松を焼く火。東大寺お水取りの炎。登り窯の火。命の火。
そして、かたときも忘れたことのないゆうとの出会いと・・・
すべての恩讐をこえて愛憎をこえ、おのれの罪深さをこえ、小松は狭山池の改修にとりかかる。
それは小松が長い道のりの末、生き生きと燃やすことができた命の火。
仏教・僧侶・寺院が多く出てくるが、抹香くささ薄っぺらな説教臭さがなく、まことに人間的。
● 中川なをみ 『四姉妹』  小峰書店   2003
古くからの地域社会の風土がのこる町に数年前越してきた柏木家は、平均的なサラリーマン家庭。
家族は、両親と四姉妹、そして老犬のジョン。
その一家の正月から大晦日までの一年を綴る、いわば、日常スケッチ型作品。
しっかり者の長女、個性的な次女、繊細な三女、甘えん坊の四女、そして、姉妹をうまくコントロールしている母親。
1章2章では、四姉妹より母親像が全面にでている印象。
3章目からは、末っ子から順に姉妹が短編仕立てで描きわけられ、それぞれのキャラが立ってくる。
ここらあたりで、一家のハーモニーがとれてきて、さくさくと読み進む。
ラスト、姉妹がまんまと母親の裏をかく作戦。
●中川なをみ   『まあちゃんのコスモス』    2004  新日本出版社
何度めかの転校。緊張の初日を迎えたレイに声をかけてくれたのは、隣りのクラスのまどか。
レイは、元気のはじけるようなまどかによって、自分の世界がひろがっていくのを感じていた。
そして、1月17日早朝。阪神淡路大震災。まどかの死。
親友を失ったレイが、現実を受け入れ、自分の足で歩き出すまでの心の動きを、
抑制のきいた筆致で描き出している。

肉親や親友を失った喪失感は、大人ならだれでも多かれ少なかれ経験しているだろうし、
子ども読者の多くは、これから経験するであろう、人生の試練の一つだ。
どんな試練であれ、その最中にいるときは、周囲がいくら手を差し伸べたいと思っても、どうにもならない。
ただ、見守り、支えるしかない。本人が自分で克服し、立ち上がり、歩き出すまでは。
苦しみを乗り越えるには、その人の持っている”生きる力”も必要だし、”時間”も必要だ。
そして、乗りこえたあとで、はじめて、周囲の暖かい支えや見守りがあったことに気づかされる。
・・・ということに、あらためて気づかされる一冊である。
書き手と登場人物とのあいだの距離感が適度でここちよい。
●中川なをみ   『砂漠の国からフォフォー』    くもん  2005
幼稚園の保母・あゆらは青年海外協力隊としてアフリカ・ニジェールに赴任する。
ニジェールの旧宗主国はフランス。事前の研修は、公用語であるフランス語と現地の言葉を学ぶところからはじまる。
そしていよいよ現地入り。
暑さはもとより、イスラムの教えと現地の古い考え(男尊女卑。貧しい者は富める者のほどこしを受けるのは当然。
子どもは教育を受けさせるより大事な働き手。長幼の序や身分格差。などなど)。
さらに、鞭で厳しくしつける教育方針。風土病や衛生状態の悪さ。香辛料をたっぷりつかった食事。細かい砂。
40度を越える暑さ。などなどにとまどい、壁にぶつかりながら、あゆらは赴任先の幼稚園や地元で教育指導にまい進する。
こう書くと、なんだか、お堅い説教調、あるいは解説調と受け取られては困る。

たしかに、あゆらの目的は技術援助の一環としての教育指導ではあるが、決して上から下への押し付けではない。
たださえ小柄で幼く見えるうえ、周囲の「日本からの援助はありがたい。ただ、ここの教育はちゃんとやっている。
よそ者に余分なことをしてもらっては困る。あんたは任期いっぱい、無事に過ごして、とっとと帰ってくれ」という意識の中で、
少しずつ、笑顔で、穴をうがっていくあゆら。
手紙の相手である、「学年トップの成績。将来は外交官。それも先進国へ行くんだ」とうそぶくエリートの弟。
あゆらにまとわりつきながらも、物乞いとしてのプライドをもち、学校には通えないが文字や数字を学びたいとおもうようになるアルム。 それぞれの成長物語である。
そして、あゆらのすることなすことハラハラしながら見ていた、園長や保母、教育局、
それぞれの大人たち(既成概念にとらわれていた)が、意識改革をしていく、その成長物語でもある。
物語として読みやすくしつつアフリカ紹介してくれる本書を、是非、読んで欲しいものだ。
● 長崎夏海  『うちゅうのはて』 国土社  1999
長崎夏海は、ものすごく省略した(ギリギリそぎ落とした)表現で、子どもの、ひらっと動く心理を描く。
という印象があったが、これもそうだ。 余分な説明がなにもない。
モトが、何年生なのか、そもそも、男の子なのか女の子なのか、なんにも書いてない。
出てくるのは、水泳が苦手なのんちゃん。ちらっと、りょう。
モトとのんちゃんは、うちゅのはて、をちらっと感じる。
ただ、それだけのことなんだけど、きっと、読みながら 「うーーん、わたしも、なんとなくそんな気分になるときがあるよ」
と感じる子ども、いるんだろうな。
こういう感覚を、ひとりよがりとか自己陶酔にならず、共感できるように描くって、難しいと思う。
●中澤晶子  『あした月夜の庭で』  国土社   1997
再読。「ジグソーステション」の真名子ちゃん第2弾。
親友ナオミと絶交中の真名子は、ぐうぜん幽霊アパートに出入りするようになる。
そしてそこは、人との出会いと別れが交差する場所、奇跡が生まれる場所だった。
歯切れのいい文体と、人物の背景を手際よく処理する技で、戦争という重いテーマを
すんなり読ませる。
●中澤晶子  『幻燈サーカス』  ささめやゆき・絵 BL出版 2003 
中澤晶子・ささめやゆき、息の合ったコンビによるコラボレーション。
サーカスという語からは、「ノスタルジック」「侘しさ」「薄暗い」 「はかなさ」「あやしげ」
・・・といったイメージがたちのぼる。
ささめやゆきの「はかなげ」で「あやしげ」なガラス絵に、
中澤晶子の、洒落た味の文が添えられ、 ちょっぴり秘密の匂いのするような、大人の絵本にしあがった。
どこからか音楽も聞けてきそう。それも、古ぼけたレコードのちょっとかすれた音が。。。
●中澤晶子 『デルフトブルーを追って』  国土社  2006
赴任地オランダで両親が交通事故死。
そのショックで言葉を失ったヒカルは、叔父とともに、両親の足跡をたどる旅に出る。
両親は、なぜ、豪雨をついてまでしてデルフトを訪れたのか・・・
その町の骨董屋で見かけたという、青い絵皿とは・・
祖父のお蔵にあった、江戸時代から伝わるという青い絵皿とまったく同じ絵皿がなぜ、オランダにあるのか・・・
両親の死の謎をたずねる旅は、青い絵皿の謎をたどる時間旅行となり、そしてそれは、まったく未知の少年二人が、互いに引き合い、運命を重ね合わせる出会いの旅でもあった。
オランダと姫谷、現代と江戸時代、窯元と骨董店、事故の原因、絵皿の謎、両親の死からの回復、自分の拠って立つところ(アイデンティティ)の再発見・・・物語は緻密に重層的に積み重ねられている。
ラストは、350年のときを越えて、風がさーっとまきあがる、その風に読み手も吹かれているような感動的シーン。 だが、単純なハッピーエンドではない。
ヒカルたちにも、読者にも、謎はまだ残されている。
人が生きていく、ということ自体が一つの物語であり、完全に解きあかすことなどできない大きな謎であるのかもしれない。
そんな余韻が残る。

文章に、無駄な描写やあいまいな表現、ゆるみ、たるみといったものが、まったくない。
窯元の描写や山深い村の様子など、豊かな詩情と緊迫感が見事に両立し、火の熱さ、風の音まで伝わってくる。
中澤作品は、建造物や小道具をめぐる謎と登場人物たちの絡ませ方が巧みだが、この作品では、モティーフとなった古窯発掘の聞記事を見つけてから12年、書き始めてから9年かかったという。
その時間の経過は、内容を深め、密度の濃い作品を発酵させるのに必要な時間だったとわかる。
●名木田恵子  『レネット 金色の林檎』  金の星社  2007
二十歳になったわたし、海歌(みか)は、さまざまな思いを抱いて、9年ぶりにふるさと北海道にもどった。
9年間、ずっと封印していた想い出が、つぎつぎよみがえる。
10年前、二歳上の兄、海飛(かいひ)が事故死した。そこから、一家の歯車が狂いだした。
息子の不慮の死をどうにも受け止められない母は、その悲しみを一方的に父にぶつけた。
だまって受け止めていた父は、一年後、チェルノブイリ原発事故で被曝した子どもをホームステイさせるようと提案した。
だって、海歌は、ほら。チェルノブイリ事故の前日に誕生したじゃないか。
それに、うちで受け入れるセリョージャは、海飛と同じ歳なんだよ。
セリョージャを預かることで、一時的には一家に結束がめばえるが、結局、両親の関係は再生できない。
しかし、かといって離婚もしないで9年がたった。
そして、いま、わたしは、父になかなか聞きだせない質問がある。
セリョージャは、生きているの?

チェルノブイリ被曝。兄の事故死。家族の再生。という重たい素材を扱ってはいるが、
同時に、林檎の種を仲立ちにした少女の初恋の物語でもある。
文章が、とても瑞々しく、海歌の気持ちにそって、ぐいぐい読みすすめられる。
●那須正幹  『銀太捕物帖 闇の占い師』  岩崎書店  1999
ご存知お江戸の百太郎シリーズの弟版。
期待した読んだのだが、前半なかなか話に入れなかった。説明が多いのだ。
那須さんは 筋を追っていく中にいつのまにか説明が入っている、という技がうまいはずなのだが・・
つい百太郎と比べて読むせいか、銀太がうかんでこなかった。銀太にからむキャラがいないからか?
次巻から出るのかな? しかし、ストーリー展開はさすが。後半はぐいぐい・・
●那須正幹  『The End of the World』  ポプラ社    2003
1984年発行『六年目のクラス会』のうち、4編を収録。時をこえても新しい。
表題作。世界最終核戦争。シェルターに一人残った少年は、無線がとらえたかすかな声を求めて・・・
「約束」幼稚園を卒園して六年目にクラス会をしようと言い出したのは、だれだっけ・・・
他に「まぼろしの町」「ガラスのライオン」
どれを読んでも、胸の奥がキリリ、チリリ、と痛くなる。
二十年ぶりの復刊。全然古くないどころか、表題作の設定は、現在もナマナマしく・・・
●那須正幹  『2年3組マンガ少女 町田メグちゃん』  はたこうしろう絵  ポプラ社 2004
おっとりしたメグちゃんはマンガがとくい。
マンガを書いてさえいれば、くろさかくんにいじわるされても、逆上がりができなくても、みさとちゃんがメグのマイペースぶりにカリカリしても、ぜーんぜん気にならない。
とちゅうとちゅうに道具やストーリーづくりなど、マンガの書き方の解説もはいっている。
ハウ ツー マンガの書き方、プラス 人は一人一人ちがうんだ、自分のペースで生きていけばいいんだよ、というメッセージ。那須さん得意の分野。
裏表紙の絵のふきだし「メグはまだまだ みかんせい」が、すべてを物語って、いいなぁ。
●那須正幹  『ズッコケ三人組の 卒業式』  ポプラ社 2004
延々続いてきたズッコケシリーズも、いよいよ50巻で終了かあ。
というほど熱心なファンだったわけではないが、それでも、27年の長きにわたって手を変え品を変え、世相にあったネタを
掘り起こして書き続け、映画化やTVドラマ化もされて、子ども読者を楽しませてくださった那須先生、
ほんとうにお疲れ様でございました。(深々と礼)

今回も、卒業を目前にした3人組が記念のタイムカプセルを埋めるところから騒動がはじまり、
個人情報流出など時事ネタをいれつつ、担任のタクワンこと宅和先生の卒業後の進路まで気を配っているのは、さすが。
ま、三人組はずっとこのまま、地域に足をつけた、平凡だけど、いいオトナになっていくだろうな。と思わせる。
うんうん。これで日本も安泰(?)

今回目についたのは、難しい言い回し、やや古風な言い回しが多いこと。
地の文だけでなく、会話文もけっこう、漢語や熟語が使ってある。
全部、やさしい表現にするのではなく、ところどころ、大人っぽい表現を入れる、というのは那須先生の手法だが・・・
●那須正幹  『赤ちゃんはどこから生まれるか』  国土社  1992
「赤ちゃんが、おかあさんのおなかから生まれるというの、あれはうそなんだ。」
いきなり、本題に入る。 では、どこから生まれるか。
「おかあさんと、おとうさんは、びょういんで赤ちゃんを買うんだよ。お金を出して・・・」
そんなまさか・・・
でも、那須は、しゃあしゃあと、いかにもありげな説明を続ける。
そして、赤ちゃんが生まれるしかけのくだりになると・・・・
恐ろしくも、深遠な事実が突きつけられる。
エコロジーであり、エコノミーであり、バイオロジーであり、フィロソフィーである。
す、すごっ!
これ、朗読(できれば、男声)で聞かされたら、背中がぞわぞわっとするかも。
那須さんて、やっぱ、すごいわ。
●野村一秋  『天小森教授、100点満点ひきうけます』  小峰書店  2004
あいかわらず勉強も努力も大嫌いな哲平君。
「100点とったら、なんでも好きなもの買ってあげる」というママの言葉に発奮し、勉強・・・をするわけがない。
天小森教授に智恵を借りに行く。懲りない哲平君だ。
さて、教授に教えられた通りにやって、うまく100点満点がとれるだろうか。。。
うーむ。どんなテストや難問より、やっぱり男の子にとって女心は永遠に解けない謎なのね。
がんばれ、男の子!
●野村たかあき作・絵   『てーほへてほへ』    講談社  2001
花祭りにはじめて参加する男の子。祭りのようすはわかるがもりあがりに欠ける。絵はいい。

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