日本の児童文学  さ行

                     
●斉藤洋 『ドローセルマイアーの人形劇場』  あかね  1997
数学教師エルンストは、人形遣いのドローセルマイアーと偶然知り合い、荷物を運ぶ。
そして、一週間後、エルンストは運命の糸にひきずられたようにドローセルマイアーとともに旅にでる。
幻想的。ホフマンの「黄金の壷」を換骨奪胎。
●斉藤洋 『ルドルフといくねこくるねこ』   講談社 2002
十数年ぶり、ルドルフとイッパイアッテナのV。
まったく空白を感じさせないテンポのよい筆致。笑いあり涙あり友情あり。
数年たったルドルフたちの、それなりの成長、さりげない人生訓、ほろ苦い思い、恋。。。うまい!
● 坂本のこ 『テムテムとなまえのないウサギ』 BL出版  1996
いつものようによい天気。ワニのテムテムの前にいきなりウサギがあらわれた。
ぎゃーっ!!ワニって凶暴なんでしょ。わたしを食べるんでしょ。
思い込みの激しいウサギと芒洋としたワニのかみあわない会話がおかしい。
いろんな読み方ができそうな・・・
● 坂本のこ 『川のほとりで』    小峰書店  2006
日本児童文学者協会・長編児童文学新人賞受賞

樹は、江戸川の雑草がおいしげる土手の一画に、小さな庭を作り、母が好きだった紫色の花を植えていた。
対岸からも見えない秘密の庭に、ある日、少女があらわれた。
シングルマザーの子として生まれ、裕福な祖父母に育てられた麻琴は、樹より一つ年下。
二人は、小さな花園で、ラベンダーの香をたく。
小学5年で母を失って以来、強くなりたい、自立したいと、感情を押し殺し生きてきた樹。
いろいろな経過を経て、いまは、塾の講師夫婦と同居し、高校受験を目指している。
ある距離をおいた、しかし、理解ある夫婦との暮らし、そしてマブダチの暢彦の存在が、樹の固い心を少しずつ溶かしていった。
そんな樹が、今度は、傷ついた麻琴を気遣い、少しずつ心を開く助けになっていることに気づく。

社会的ステータスとしても経済的にも恵まれ、何不自由ない暮らしむき、しかし、愛情のない家庭。
そこにいては、自分は壊れてしまう。 そんな、おなじ痛みを抱えている樹と麻琴。
ふたりは、生きる力、人を信じる気持ちを回復しようと、光の中へ歩みだす。
その姿が、痛々しくも、すがすがしい。
樹は、いまの暮らしが、期間限定の擬似家族であることを、ちゃんと承知している。
講師夫婦も、仮の巣と承知して、見守り人として機能してくれている。
しかし、たとえ仮であっても、雛が飛び立つまでは、暖かな巣が必要なのだ。

経済的に恵まれている家庭での、親子の断絶による悲劇、惨劇は、いまや枚挙にいとまがないほど問題になっている。
それらの事件の背後には、顕在化してないだけで、予備軍が数知れずあるのだろう。
そんなあれこれを連想しつつ、親を拒絶、あるいは親から愛情を拒否されても、こうして守ってくれる人、友人、仲間がいれば、人は”立っていられる”のだと思う。
これを読んで共感した読者には、自分のおかれた境遇を恨んだり、心をねじったりするのではなく、樹たちのように、誇りを持って、自分の足で立ち、歩んでほしいと願わずにいられない。
●佐々木マキ 『そらとぶテーブル』  福音館  2002
あいかわらず佐々木マキ、いい仕事してるなあ。読み終わって楽しい気分になる。
余計な意味や教訓性がないのがいいね。
●笹生陽子  『きのう、火星に行った』 講談社  1999
目を引くタイトルである。 この作者はタイトルのつけ方がうまい。
で、なにが火星か???
主人公は山田拓馬、六年生。
勉強も運動も、人なみよりデキルのに、趣味はなんにもしないこと、と言い切る。努力をしない。サボる。
人のことを斜めから見るような、はっきりいって、イヤミなヤツだ。 当然、クラスで孤立している。
その報いか、市の連合体育大会の選手に選ばれてしまった。
しかも、喘息の治療のため長年はなれてくらしていた弟、健児が帰ってきた。
どっさり山盛りの荷物と、ぺらぺらおしゃべりと、わけのわからないゴーグルと共に。
そこから、拓馬の生活と意識に変化が・・・と書けば、ああ、そうか、と先は読めるだろう。
しかし、ちっとやそっとで、人格が変わるわけではない。 まして、筋金いりのへそ曲がりだもの。
このへそ曲がり具合にシンパシーを感じる、または、自分はできないけど羨ましく感じる子ども読者は、きっと、多いに違いない。
周囲とうまくあわせられない、自分を認めてもらいにくい子ども。
自我が目覚め、オトナを批判的に見る、この時期特有の子どものイライラ感をうまくすくいとって、しかし、べったり寄り添いすぎず、
すこし体をかわして技をかけるような感じ。 デビュー作もそうだったが、筆者の持ち味。
●佐藤多佳子  『黄色い目の魚』 新潮社  2002
10年前、『新潮現代童話館1・2』を読んだ。
書下ろし 33篇の中でダントツ光っていた作品の一つが「黄色い目の魚」。
黄色い目の魚の絵、意地悪なサンカク、とんがった少女のイメージがずっと残っていた。
筆者にとっても思いの深い作品だったらしく、それをもとに、あらたに短編連作で一つの物語にした。
と聞けば、いやでも期待が高まる。
1章。「リンゴの顔」父親テッセイと初めて会う男の子、木島悟。
ギクシャクと不器用な父子が”絵”を描くことで最初で最後の会話をする。
2章「黄色い目の魚」叔父、通のアトリエにしか自分の居場所がない村田みのり。
まっすぐで、まっすぐすぎて鋭くて、かたくなで可愛げのないところが痛い。
数年後、高校で同じクラスになったことから、まっすぐで不器用な二人の人生が交差し始める。
テッセイが描く”絵”が見える。木島が村田を描く”絵”が見える。
通ちゃんが描くミンの漫画、”あのコ”の絵が見える。
それぞれが”絵”にこめる思いがストレートで、痛いなあ・・・まぶしいなあ・・・
ラストは青春映画みたいで、気恥ずかしいくらいピュア。
でも、気持ちよく、うるる、となったのは、 みのりが心を開いていく、二人が欠落したなにかを埋めていく時間を一緒に寄り添って見ることができたからだろう。
●佐藤多佳子  『サマータイム』  新潮文庫   2003
「サマータイム」
小学5年生のぼく(伊山進)は2歳上の浅尾広一と偶然しりあう。
事故で父をなくし、自身、片手をなくした広一が右手だけでつまびいたサマータイムは、ぼくの心をつかんで・・・という冒頭から、ぐいぐい。
広一。進。年子の姉、佳奈。子どもから思春期の入り口にさしかかろうとする年代の三人のキラキラと輝く日々。別れの言葉もないまま、ふいに訪れる別れ。
そして、それから7年たって、思いがけない再訪。
進と佳奈と広一をつなぐ思い出は、自転車・ピアノ・ゼリー・そして「サマータイム」・・・

これ一作でも成立するが、「サマータイム」と広一の側から描いた「九月の雨」とは対になっている。
サマータイムにもちらっと出てくるが、広一の母がかっこいいのだ。

「五月の道しるべ」(年子姉弟の日常の一こま)「ホワイトピアノ」(広一が突然目の前から姿を消してから
閉ざしていた佳奈の心が溶けだすまで)は前2作の補完的な掌編。
佳奈なんて一歩まちがえば鼻持ちならない我儘で意地っ張りなのに、
憎めないのは、自分で自分がわかっているからか・・・

みずみずしい文章としなやかな感性で、少年少女、姉弟の日々と交錯する思いが、 まるで新鮮な果実を切ったときのように鮮やかに描き出され、心に残る。
●さとうまきこ 『4つの初めての物語』   ポプラ社  2004
日本児童文学者協会賞

4編からなる短編オムニバス。それぞれの登場人物たちは同じクラスの同級生らしい。
はじめてブラを買った少女「初めてのブラジャー」
はじめて父がバツイチであり、しかも歳の離れた兄がいることを知らされた姉妹「初めてのお兄さん」
自分の自転車があるのに、かぎのない自転車に乗ってみる「初めてのパクチャリ」
偶然みつけた空き家に入り込み、仲間とマイホームつくりをたのしむ「初めてのマイホーム」
うーん、実はさいしょのうち、読んでいて物足りなかった。以前の、初期のころのヒリヒリ感がなかった。
特に、「初めてのお兄さん」を受け入れる少女たちには、どうなんだろう・・と思った。
しかし、第四話まで読んで、ああ、いいんだ。 さとうまきこは、こういうふつうの子どもの、平凡な日々の中の、ほんの少しの、自分でもわからないくらい小さな成長を書きたかったんだ、と思った。
特に、「初めてのマイホーム」は、和製ミニ「スタンドバイミー」。
ひとときの、仲間だけの秘密。冒険、ともいえなくらいささやかな冒険。
なんせ、小学6年生なのだ。親の監視、親の目から逃れられる自由は、ほんとにささやかな瞬間なのだ。
だからこそ、このひとときが、忘れられない記憶として残るだろう。
●さとうまきこ  『ぼくらのケータイ 3days』  ポプラ  2005
省吾と雄介は小学6年生。(『4っつの初めての物語』に登場した少年たち)
門限とか、ゲームは一時間、とか、うるさい姉貴とか、、、いろいろうっとーしいことだらけ。早く、自由になりたいと思っている。
チャリで町を回遊しているとちゅう、二人は、捨てられていたケータイを見つける。
ケータイを持ってない二人が、興味津々着信記録などを見ていると、電話がかかる。
「今夜、いつもの場所に2万円もってこい! さもないと、・・・」キョ・キョウハク?!
そのあとも、母親からは心配する電話。
女王さま。女神さま。マシュー。。。。 わけのわからないメールや電話。
スケジュール表は塾や家庭教師の予定がぎっしり。
どうやら、このケータイの持ち主は中学生か高校生。 複数の人に金を脅し取られているらしい。
しかも、家出した? ひょっとして、自殺でもしたら・・・
なるべく使わないようにしても、電源は二日くらいしか持たないらしい。 タイムリミットは二日。
その間に、二人は、持ち主をさがしあてようと、小学生らしい知恵をしぼって動き回る。

とってもストレートでわかりやすい話だし、現実には、ケータイの持ち主の問題がこんなにうまく解決できるとは思えないのだが、それでも一緒にワクワクドキドキし、応援できるのは、語り手である省吾の、幼馴染の雄介がいつのまにか主導権を握っていることへのささやかなもやもや、クラスの中での位置関係、同級生真里菜への淡い思い、などなど、そこいらがリアルに伝わってくるからだ。
うまいなあ。
そして、こんなふうに、体当たりで問題にぶつかれば道が開ける(かもしれない)よ。そう、子ども読者が思ってくれれば。。
あまりに暗い重い話が多いから、こういう物語で沈みそうになる気持ちを解消したくなる、という書き手の思いが、そこにはある。
●さとうまきこ 『ぼくらの家出 3days』  ポプラ  2005
ケータイ3daysで、冒険を味わった二人は、中学入学前の春休みに2泊3日の家出を決行する。
事前に食料をためこみ、塾合宿をさぼるアリバイを細木さんに頼み・・・と準備万端、勇気凛々でかけたが、現実派の省吾はあれこれ先へ先へと心配ばかり。
おおざっぱな雄介はあいかわらずのマイペース。
ふだん仲良く遊んでいても、二人だけの旅、ましてビンボー旅行となると、いろんな場面で二人のキャラのちがいが現れてくる。
しかも、野宿する予定が雨はふってくるは、食料を入れたバッグを紛失するは・・・
どーすんだよ。おい、どーすんだよ。
荒れた別荘をみつけ、おそるおそるしのびこんだ二人。
そこで見たものは、なんとテーブルいっぱいならんだご馳走。
そこへ、ろうそく立てを持って現れたのは・・・ゆ、幽霊?!

前回は、同級生の言いなり、親にも反抗できなかった少年の自立がテーマだったが、今回は、母からの過剰な愛に拒食症という形で抵抗する少女・ゆい(凛)にめぐり合う話。
小学生でも中学生でもない、中途半端な時期。
モラトリアムな二週間。そのもやもやした感じをひきずった旅の中で、雄介と省吾の性格の違い、異なる発想を認め合う。
それに、拒食症、親子の断絶という、はじめて見るシビアな問題に、とまどいつつ、アプローチしていく様子が、いかにも子どもらしく、さわやかで自然。
旅に出ると、いろんな出会いがある。
普通だったら会うこともなかった、知ることもなかった人生を知る。
旅を通し、社会の厳しさをしり、少し成長した二人。 う〜ん、どちらも、いいキャラだ。
●皿海達哉 『ジャマダ君の教室もぐりこみ作戦』  小学館  1984
5分以上机にむかっていると眠くなってしまう、という小学六年生、山田隆志は、卒業までに各学年の教室に一回はもぐりこもう!とヘンな目標をたてる。
アフガニスタンの子を真似てジャマンダ・タカショーと名乗り、つぎはかかしの扮装で・・・
と、この調子で各学年を制覇するのか、と思って読みすすむと、後半から急展開でお話が面白くなる。
男の子が読んだらワクワク喜ぶような学校内冒険をやってのけたジャマダ@山田くんは、卒業するころには、 ちゃんとそれなりに気持ちよく成長しているのであった。
●皿海達哉 他 『プールのジョン』  田畑書店  2007
皿海達也、日比茂樹、小倉明らが、息長ーく活動をしている、「牛」という同人がある。
全体に純文学系の地味な作風というイメージ。
その同人が発足38年目にしてはじめて、会員各一作ずつ持ち寄って編んだ作品集。
数年前、「牛」38号を拝読したが、皿海さんの「プールのジョン」には、つよい印象を受けた。
だれにでも起こりうる、日常が壊されていく恐怖。
ふとしたことから自分の周囲が地すべり的に崩れていく状況や、平凡な少年にきざす狂気の一瞬・・・
38号では、幸地秀人氏「柿」、日比茂樹氏「意外な二人」も印象深かったが、それらも収載されている。
その他、どの作品も、人間を深く見据えた眼力が感じられ、じっくり味わった。
・・・ただ、やはり、地味。 商業出版にはむずかしいと感じた。
エンタメ全盛でいいのか。とは思うが、子ども読者が「おもしろい」と感じてくれなければ
●沢田俊子  『おしゃべりな毛糸玉』  絵 小泉るみ子  文研
山のふもとでひとりぐらしのうめばあさんは、いろいろなものを手作りして楽しんでいる。
ところが、冬はゆううつ。寒さに弱いうめばあさん、いっぱい着こんでも、まだすうすうする。
のこり毛糸をさがしだし、おおきな毛糸玉にまるめ、編み物をはじめた。
すると、いろんな声が聞こえはじめ・・・

子育てに仕事に必死だったころの一ページ、あるいは、そのときそのときはなんでもない日々のくらし、
そんな日常が、あとになって思いでとない、生きる糧となる。
そう思うと、歳をとるというのも、まんざらわるいことでもない。
●芝田勝茂  『時のむすめ』  教育画劇  1993
豊かな森のブナの木の根元でめざめたむすめ。
「あなたは千年に一度あらわれる時のむすめです」と言われるが、自分がだれなのか、
なぜここにいるのか、記憶がない。 やがて、その言葉の意味やこの森の秘密がわかる。
石の王様が、不死身の石の体をもちすべて石造りの城を都をつくったために、
その森以外はすべて荒野になり感情も気力も失った人々は・・・。
学芸会の劇にしたら演じやすいだろう。
●芝田勝茂  『マジカル・ミステリー・シャドー』  学研  2003
芝田勝茂作品の多くはメッセージ性がはっきりしている。
これも、成績・勉強とおいまくられた劣等生が、怪しげな塾で
「自分のアタマは使わない。影が覚えて、思い出す」
「影にすべてをまかせよう。影が考え、答えます」
「影にすべてをまかせよう。影はぼくらを指導する」
と、段階をふんで洗脳され、自分をなくし、ロボットになっていく。が・・・ というわかりやすい構図だが、
主人公たちの洗脳の過程を読みすすむと笑っていられない気分になってくる。
これを読んだ子ども読者が、点数や学歴に惑わされず、自分の頭や感性で判断する力を
持つことの大切さを 感じ取ってくれればいいのだが。。。
●芝田勝茂  『ドーム郡ものがたり』  小峰書店  
長らく絶版になっていたのが、読者からのリクエストに応えて挿画も新たに復刻した。
筆者が教え子たちをキャンプに連れて行くときなどに語り、また語りしてできたものだと言う。
ドーム郡の危機を救うためコノフの森に住むヌバヨを探しだすという重大な任務を負って旅に出るクミル。はたして彼女は・・・
芝田先生(おやぶんと呼ばれていたらしいが)の巧みな語り口に、
「それから? どうなったの?」子どもたちがひきこまれていくさまが目にみえるようだ。
「道案内はするけど、連れていくことはしないよ」というかかしの言葉、クミルがみつけた結論は・・・。
森の生き物たちの楽しげな描写、クミルのけなげでまっすぐなキャラ、かかしの見事な役割
そして、次から次へと飽きさせない見事なストーリーテリングとで、
教訓の押しつけがましさをまったく感じさせない。
●芝田勝茂  『虫めずる姫の冒険』  あかね書房  2007 
平安貴族の姫君としては、ありえないほど自立心、探究心、冒険心にとんだ個性的な姫。
葵祭見物に出かけた姫は、斎君の行列にスズメバチの大群が襲い掛かったのを見かけ、虫の生態や手当ての知識を駆使して、
無事解決する。 しかし、それは大事件の序章にすぎなかった。
権力を持つ者の野望が肥大化したとき、おそろしい現象が・・・

虫めずる姫を通して自立心の大切さを学び、壮大なファンタジーに心躍らせ、さらに、
「法隆寺」「仏教伝来」「貴族の暮らし」「聖徳太子」などなど教科書に出てくる用語が、わかりやすく解説され、
古典の教科書で読んだ「虫めずる姫」のお話が、一粒で二度も三度もおいしい物語になっている。
姫のキャラがかわいい。 
●美帆・シボ  『ババロン伝説』  柏艪舎  2006
長年、反核・反戦活動にたずさわってきた美帆・シボさんが、もう二十年もまえに書き留めておいたという壮大なファンタジー。
子どもが寝る前に、お話をつくって聞かせ、毎夜毎夜はなしの続きをつなげながら語り聞かせたという。
人種差別・平和・環境・そして、反戦・反核のメッセージが込められいる。
最初に出てくる、罪人の家族に刻印をしるし人里離れた地に住まわされた話など、美帆さんのイメージは知らないが、ハンセン氏病患者の施設とだぶってしまう。
こういう官からの差別。目にみえる差別。目に見えない差別。そして、差別を受ける側の意識などの問題は、古今東西、どこにでもある問題だからこそ、それぞれがそれぞれにイメージすればいいと思う。
こう書くと、いかにも押し付けがましい、あるいは、メッセージ性の強いものを想像しがちだが、「伝説」とあるように、伝承・冒険譚的な構成で、読み手の興味をぐいぐい引っ張っている。
なるほど語りのお話だと思わせるし、メッセージ性も、寓話・暗喩のなかにソフトに滲ませている。
それに、安易な解決やラストを示していない。 これも、読み手の胸にずしりとくる。

ただ・・・惜しい! 表現が固い。語感的にも視覚的にも固い。
もっと開いて欲しい。開く。優しい言葉で書く。というのは、子どもに迎合しろということではない。
あいまいではなく、しかし、優しい言葉。子どもの想像力を喚起する表現を心がけてほしかった。
もちろん、筆者のポリシーの問題だが。。。 もうあと少し、ブラシをかけてくれれば・・・惜しい。
●正道かほる 『でんぐりん』  あかね書房  1992
父さんお話して。大きなクラゲがいてね、なんでもよく食べたんだ。
食べても食べても、どこかがすうすうしてね・・・
毎日〈小さな童話〉大賞作を掲載した冊子で読んだとき、面白い世界だなあ!!!と感嘆した作品。再読。
●正道かほる 『チカちゃん』   童心社   1994
チカととうさんとの、こんにゃく問答のような会話がほのぼの。
とうさんの話は、どこまでホントだかウソなんだか・・・
でも、ちゃんとチカのこと、わかってる。ちょっと「トトロ」のとうさんみたい。いいなあ。
●正道かほる 『うさぎのロロ  かぜとびごっこ』    PHP   2000
うさぎのロロはお花見に。風がつよいね。そうだ! たこあげしよう。わっ! とばされるー
これから先は「おじいさんがひっぱり、おばあさんがひっぱり、たろうがひっぱり・・」のバージョン。
子どもは大好きだよね、この掛け合い。
絵もかわいい。
●正道かほる 『うさぎのロロ つきまつりのよる』   PHP   2002
つきまつりのばん、ロロはこっそりいえをぬけだした。なにか音がする。なんだろう・・・
読みながら、ロロといっしょに調子こいたり、ドキドキしたり、ワクワクしたり、
ひゃーっ! となったり・・・
で、最後に、ああ、よかった。楽しかった。また、遊ぼうね。
●末吉暁子  『黒ばらさんの七つの魔法』  偕成社  1991
黒ばらさん、こと、黒原さんは二級魔法使い(笑)
見た目は40歳くらいだけど、実は135歳。 変身の術と飛行術ができる。
(そう、こういうふうに、法則をちゃんと設定することが大事)
黒ばらさんのアパートに、あやしげな黒猫がやってきたり、本人は自覚してないが、魔法の才能の持ち主である少年とであったり、魔法学校の同窓生の危機を救ったり、 など、7編の短編オムニバス。

なかで面白かったのは、カンボランダの話。
ねむり姫の物語で、王様に招かれなかった13番目の魔女(だから、姫に魔法をかけた)が、環境問題に目覚めて、森林を活性化させるというカンボランダという木のタネを魔法仲間に送りつけてきた。
ところが、その木はどんどん大きく伸びるのはともかくとして、花が咲くと花粉を撒き散らし、花粉症被害が続出。
これはたまらんと、今度は枯葉剤が送られてきた。
黒ばらさんは心が痛むが、花粉症被害には勝てず、心ならずも枯葉剤を使おうとする・・・と、木は、瞬間移動し・・・人が見ていると動かないのに、ふと振り返ると移動している。
各地で「だるまさんが転んだ」状態で移動していった木は、入水自殺のように海の中に。
その木は水中植物として適応し、酸素を供給し、環境浄化に役立っている。
動くはずのない植物が動く。このファンタジーを起こす必然性が納得できれば、こんなに面白いお話になるのだな。





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