日本の児童文学  た行

                     
●高楼方子  『ルチアさん』   フレーベル館  2003
母親は、ふたりの子ども、スウとルゥルゥに家庭教師をつけようか、学校に通わせようか・・・、決めかねたまま日を送っている。
母も姉妹もほとんど家からでたことがなく、ひっそりと暮らしている。
どこか現実感がない「たそがれ屋敷」に、新しいお手伝いさん、ルチアさんがやってきた。
ころころ丸っこい体のルチアさんは、水色にぼうっと光っている!
でも、それがわかるのは二人の子どもだけらしい。
前からいるお手伝いさんも、母親も、ルチアさんがそばにいると、なんだか気持ちがほぐれて、おしゃべりになる。
ルチアさん自身はおしゃべりでもないし、ただ、だまってよく働いているだけなのだが。。。
ルチアさんの謎を知りたい! スウとルゥルゥは、こっそりルチアさんのあとをつけ・・・・
おとなになったスウとルゥルゥは思い出す。ルチアさんの隠された哀しみと思いを・・・・

なんか不思議な話。
読んだあと、あとあとまで不思議な気持ちが残る。
●たからしげる『落ちてきた時間』  パロル舎  2003
ふっとした瞬間、時間が飛んだように感じることが、だれにでもあるだろう。
いま、ここにある現実世界とは別の時間の流れがあったり、パラレルワールドがあるのでは、という感覚。
そういう時間の落とし穴のような感覚をすくいあげた短編9編。

高志は、児童公園で、へんなおじいさんと出会う。
そのおじいさんは、同級生の大輔だと名乗り、ダンボールハウスを通り抜けたらこうなった、と言う。

友人と山へハイキングにむかった順也は、気がつくと異次元に迷い込んでいた。
そこには、黒い服を着た女の人がいて、迷子になったジュンヤをずっと待っていると言う。

翔太はオレンジ色の火の玉が雑木林に落ちたのを目撃した。
林に行ってみると、「ちゅんちゅく」となのる老人がいて、自分が何者でどこから来たのか、記憶がないと言う。

登場するのは、いずれも、日暮坂小学校6年1組の生徒たち。
しかし、彼、彼女らにとくに共通点とかがあるわけでもないし、作品同士がつながっているわけでもない。
どこにでもある街の、どこにでもいる小学生、ごく平凡な日常の繰り返しの中で、時間の穴に落っこちた
・・・いや、時間のすきまが落ちてきたのだ。

社会批判とか人間風刺と言うような強いメッセージ性があるわけではない。
こわい話、とか、冷ややかな感触でもない。 もっと日常に近い、不思議な感覚。
ひょっとしたら、だれにでも、こんな瞬間が訪れるかもしれない。
●竹内もと代 『あっぱれじいちゃん』   小峰書店  2003
去年、じいちゃんに連れられて初めていった夏祭り。
今年は、一家でじいちゃんちに同居し、友だちもできた。夏祭り、去年よりもっと楽しむぞ!
祭りという非日常の時間の中で、じいちゃんの、ふだんとはちがう顔を発見したおどろきから尊敬に変わっていく様子が、生き生きと描かれている。
明日からまた日常の生活にもどるのだが、祭り前とは、ほんの少しちがった日常になるのだろうという楽しい予感と余韻。
● 竹内もと代 『雪むかえの村』   西村繁男・絵  アリス館 2004
温暖な地で生まれ育ち、たぶんここで死ぬであろうわたしには、半年近くも雪に閉じ込められる雪国の暮らしは
想像がつかない。というか、申し訳ないが観光には行っても、住むのは御免蒙りたい。
両親の都合でゆきさと村へ引っ越し、初めての冬を迎えるナナもそんな気分だろう。
でも、雪国の人は、自然の摂理に背をむけず、こうして迎え入れているんだね。
● 竹内もと代  『菜緒のふしぎ物語』   アリス館  2006
日本海に浮かぶ小さな島にくらす、おじいちゃん、おばあちゃん、そして、さよおばあちゃん。
かやぶき屋根の古い家を取り壊すと聞いて、菜緒は、はじめて一人で泊まりにいった。
菜緒は、さよおばあちゃんと仲良し。
一緒に寝ていると、家のあちこちで、ずっすん  ずず ずっすん 音がして、家がぐらぐらゆれた。
あれは、やしきぼうずが歩き回っているのだと、さよおばあちゃんは言う。・・・
春休み、夏休み、と、たずねるたびに、やしきぼうずが歩き、おひなさまがおどり、・・・と、菜緒はふしぎなできごとを見聞きする。
ふしぎは、どうやら、さよおばあちゃんと菜緒にだけ見えるようだ。
古い家、ゆったりと流れる時間、自然とともに暮らす小さな島だからこその味わい。
ふしぎが起きても、それこそ、不思議ではない舞台装置と、なにより、ひそやかで湿り気のある、余韻のある描写で、ふしぎな光景がうかびあがってくる。

中で、一番打たれたのは、「ほたる道」の章。
菜緒はさよおばあちゃんに導かれて、川にそった道を進む。あたり一面真っ暗な中、ほたるがとびかいはじめる。
ここまでは、ふしぎではない。
ほたるに囲まれるようにして、そのまま歩いていくと、菜緒は、たくさんの人の声を聞く。
おばあちゃんは、あれは”かえってきた旅人”だという。
暗くて人かげは見えないが、遠く近く、おおぜいの気配がし、なにを言っているのかはわからないが、心地よい声が聞こえる。
最後に、ぼうっと光が山のほうへ飛んでいき、声も光も消えてしまった。
「菜緒に、あれが見えたんだね」おばあちゃんは、感慨ふかげに言う。
それは、ふるさとへ帰ってきた、死んだ人のたましいだ。と、父から聞かされる。

ここで、筆者は、なにも余分なことを語っていない。 ばあちゃんにも、父親にも、なにも語らせていない。
しかし、筆者の中で、”かえってきた旅人”を単純にふるさとで生まれ育った死者、とだけは思っていないだろう。
おそらく、ふるさとを遠く離れた戦地で、むなしく死んでいった、骨さえ拾ってもらえない戦死者たち、その魂を故郷へ帰らせたい。という思いが、「ほたる」にこめられているのだと伝わってくる。
戦争を描くことが反戦平和を訴えることではない。
こうして、故郷のたたずまい、魂の帰るところ、それを迎える少女とおばあさんを描くことで、戦争のむなしさ、命の尊さを、直接描くよりもっとひたひたとしみいるように描くことができる。
これが文学の力だ。
●竹内もと代 「ほおずきちょうちん」   絵 こみねゆら  岩崎書店 2007
ちーちゃんの家で遊んでいたゆいは、母からの電話で急いで帰る。大ばあちゃんに、なにかあった?!
でも、家の前に大ばあちゃんはいた。ゆいを見て、笑顔で庭に入っていく。
それは、たったいま息をひきとった大ばあちゃんのゆうれいだった。
そのあとも何度も、大ばあちゃんは家族の前にあらわれた。 しかも、ちーちゃんにまで見えてしまった。
大ばあちゃんはなぜ出てくるのだろう。
なにか言い残したことや気がかりがあるのだろうか。
家族は手がかりをもとめて、大ばあちゃんの部屋の片付けをはじめる。

一方、いつのまにか大ばあちゃんゆうれい事件はクラスのみんなが知ることになり、しかも・・・
大ばあちゃんがゆうれいになってまで出てきたかった、家族も知らないヒミツとは・・・
ゆいの友だちとの関係をからめながら、大ばあちゃんの生きてきた足跡が少しずつ明らかになっていく、
その過程のだしかたが、さすがにうまい!
ひきこまれて読み進みながら、最後に、ぽっと灯りがともる。
ほうずきちょうちんのような懐かしさ。
●竹内もと代 『龍のすむ森』  小峰書店  2006
智の父親は突然失踪したまま一年たっても消息がない。
智と母親は、父親の、いまはだれも住んでいない実家へ移り住んだ。
父はなぜか一度も村に帰ろうとしなかったし、先年なくなった祖母も、来るなと止めていた。
が、そこは、竜神をまつった神社や素朴な神事を村人みんなが大切に受け継いできたような、のどかで清らかな山村だった。
村人たちは智を「じんじゃさんの子」と呼ぶ。
龍伝説、お石拾い、お石返しなど、信ちゃんからいろいろ教われば教わるほど、智には謎がふえてくる。
智はこれまで、そんなことをまったく聞かされていなかったのだ。
智にまつわる、そしてどうやら一家にまつわる謎があるらしい。
さらに、白い服の少女「天海」が出現するが、その姿はほかの子には見えないらしい。
と、いくつもの謎が絡みあいながら、ぐいぐいとひきこまれていく。

天海が龍の化身であることは、わりと早くにわかる。
が、ここで描かれている自然観は、薄っぺらなエコロジーとか、自然をおろそかにしてはいけません、とかいうことではない。
もっと、壮大で深遠なロマンである
「わたしたち(龍)は人間次第。そして、人もわたしたちしだい」と天海は言う。
つまり、人間が自然に依存しているのではなく、龍(自然)も智(人間)に見守られることで成長脱皮できる、と言うのだ。
そこらへんの智と龍の互いに信じあい高めあう関係は、アガペーに近い。
水、川、流れ、滝、しぶき、雲、山の気配、雷・・・清冽な描写と、おおらかで清らかで
原初的な祈りの心が読む人の心を洗う。
で、もちろん、家族の謎も解明される。 ラストの収め方も見事。

しかし・・・初恋の相手が白い龍とは・・・
●竹下文子 『黒ねこサンゴロウ冒険シリーズ1  旅のはじまり』 偕成社   1994
一人旅のすきなケンは、初めて特急電車にのって一人旅にでかけた。
むこうの駅には、単身赴任のお父さんが迎えに来てくれることになっている。
隣りの席にすわった黒ねこサンゴロウは古い地図を手に、これから宝探しに行くという。
ケンも一つ手前の駅でサンゴロウと一緒におりて・・・

竹下文子の世界は、おっとりふんわり優しいファンタジー。文章がとてもこなれていて、美しい。
ケンが、ふしぎな黒ねこに少しづつ近づいていき、しだいに宝探しに気持がひかれていく。
それがすごく自然。やさしい語り口のなかに、わくわくどきどきする子どもの心がつまっている。
さて、これからどんな冒険がまっているのかな。
●竹下文子  『黒ねこサンゴロウ2 キララの海へ』   偕成社  1994
1のかわいい男の子の視点からガラっとかわって、サンゴロウが語る、海の冒険物語。
ねむり病という病気にはガラス貝を原料とした薬しか効かない。ガラス貝を求めてキララの海に船出するサンゴロウ。
男の子、いや、子どもならだれでも胸をおどらせるような冒険にわくわく、どきどき。
で、1とのつながりは?・・・ちゃんと、後半に用意してある。しかも、ほんのかすかに。
ラストのなんともいえない大きな感動は、サンゴロウが(書き手が)子どもの心にぴたっとよりそっているから。
それぞれの巻が、少しずつ、ゆるやかにつながりながら物語はすすんでいくのだろうか。期待感がふくらむ。

竹下作品には、メッセージ性、テーマ性が、ほとんどない。すくなくとも、あからさまな教訓臭は皆無である。
だから、読み手はおおらかに気持を解放させることができるんだなあ。
●竹下文子  『黒ねこサンゴロウ3 やまねこの島』 竹下文子  偕成社  1994
今度は、うみねこ島の医者ネギヒコが語り手。サンゴロウに強引に連れられ往診にいったやまねこの島。
外界との交流を遮断し、医療も遅れた島で伝染病治療をし、若い医師に技術を伝える。
そして、帰りの船中・・・

1で語られた「うみねこ・やまねこ伝説」の謎が、ちらりと見えてくる。
どうやら、1,2ででてきた人間の子どもたちが、これからも物語に大きく絡んでくるらしい。
これからどう展開していくのか。わくわく。
●竹下文子  『黒ねこサンゴロウ4 黒い海賊船』   偕成社  1994
クールで、かっこいい、でもどこか影のある海の男サンゴロウに憧れているイカマルは、ある日、 こっそりマリン号に乗り込んでしまう。
サンゴロウとイカマルをのせたマリン号は、三日月島へ・・・
その帰り、マリン号は海賊船に襲われる。多勢に無勢、しかも、あいては武器を持っている。
サンゴロウ、危機一髪! どうなる、イカマル! いやあ、冒険好きな男の子だったら、ワクワクドキドキ。
女の子は、サンゴロウのかっこよさにしびれてしまう。
●竹下文子 『黒ねこサンゴロウ5 霧の燈台』   偕成社  1994
サンゴロウは、全盛期の高倉健のイメージ。優しいのに、シャイでぶっきらぼう。どこか孤独な影がある。
どうも、ウミネコ島に来る前の記憶が取り戻せないらしい。それは、いつあかされるのだろうか。。。。
サンゴロウ自身も、記憶の欠落が苦しい。そのイライラから、うっかり霧の中に迷い込んでしまった。
霧の海から助け出してくれた燈台守りのカイは・・・・
4とはガラっとちがって、悲しい、しっとりとしたお話。
●竹下文子 『黒ねこサンゴロウ旅のつづき1 ケンとミリ』  偕成社  1996
サンゴロウシリーズの第二弾。
最初のシリーズが1994年に一気に5冊出版されてから、2年のあいだに続編が用意されたのだな。
それぞれの巻が単独でも面白く読め、単独で完結はしているが、少しずつ謎を残している。
その謎や手がかりが、それぞれの巻にうまくつないで、物語がふくらんでいる。
だから、読み手はどんどん引っ張られて読み進む。うまいなあ、竹下文子。

あれから5年。ケンは中学生。小生意気ないとこのミリの相手をするため、マリンホテルにむかった。
そこは、サンゴロウと宝探しをした場所。あれは夢だったのだろうか。
いまならわかる。サンゴロウとぼくは「なかま」だったんだ。
・・・そして、不思議な力をもった、まわりからは扱いにくい子とされているミリも、「なかま」だった。

きっと、竹下本人も周囲となじめず、いつもどこか遠くをみているような少女だったのだろう。
孤高、小生意気、協調性に欠ける、などのレッテルを貼られて。
この作品では珍しくメッセージを送っている。
「ちゃんとつばさをつかえるようになるまで、まつんだ」
「鳥は、あらしのとき、どうするか知ってるかい。できるだけ安全なところにかくれて、じっとしている。
・・・にげるんじゃないぜ。やりすごして、夜があけたら、またでていくんだ・もっと遠くへいくためにさ」
今をじっとやりすごしている子どもたちよ、いつか、夜があける。そしたら、思いきりはばたいて。
と、サンゴロウにはげまされた子ども読者は、きっと大勢いたに違いない。
●竹下文子 『黒ねこサンゴロウ 旅のつづき2 青いジョーカー』 偕成社 1996
サンゴロウに憧れるイカマルは念願の船を手に入れる。中古を直したボロ船だけど・・・
シーナと名乗る若い女が、取引をしようとサンゴロウに近づく。 なにやら、不穏な雰囲気。
イカマルは後先考えず、マリン号のあとを追う。
無人島で落ち合ったシーナの目的は、サンゴロウが持つカリン草の花。 薬にもなるが、使い方を誤ると・・・・ま、けしの花のようなものか。
イカマルが人質になったり、海上で追跡したり、と、ワクワクドキドキの大立ち回り。
巻ごとに、しっとりだったり、はらはらどきどきだったり。
でもって、サンゴロウはいつもかっこいいのだ!
●竹下文子 『黒ねこサンゴロウ 旅のつづき3 ほのおをこえて』  偕成社 1996
やまねこ族が外界との接触を遮断してひっそりとくらしている島へ薬を届けにいったサンゴロウは、
つぎの長老をえらぶ争いにまきこまれ、軟禁されてしまった。
開明派と保守派、どっちに決まっても、サンゴロウには関係ない。時間はかかっても島のくらしはかわるだろう。
しかし、そこで記憶の一部がよみがえる。
ずっと昔、やまねこ族はアンモナイト号で航海にでたが、うみねこ島につくまえに・・・これは何年前のこと? 
伝説のように語り継がれていたうみねこ族とやまねこ族の争いを、サンゴロウと結び付けるのに、少なからずとまどいを感じた。
ん? サンゴロウは船長の子孫?
はっきりした答えは、もう少しあとになるのだろうか。

島を捨てるクルミの覚悟とナギヒコとの恋の行方がステキ。
「かごの中で生きられる鳥もいる。でも、生きられない鳥もいる。あんたは、そうだ。たぶん、おれもだ。
だれも、それを、とがめられないさ」
くーっ、カッコイイ!
●竹下文子 『黒ねこサンゴロウ旅のつづき4 金の波 銀の波』  偕成社 1996
短編3編。
あらしの海でマリン号に迷い込んだ鳥に愛情をそそぐ自分にとまどいつつ、束の間の“家族”をあじわった「みどりの小鳥」
幽霊船のうわさを流し、海底に沈んだお宝を手に入れようとするあやしい男と手を組んでいたのは、真珠島のシーナ・・・「幽霊船」
突然、磁気が狂い、マリン号はすいよせられるように無人島に。
そこには、ふうがわりな王様がたった一人で暮らしていた「王様の島」
サンゴロウの日常とキャラを語る外伝。
●竹下文子 『黒ねこサンゴロウ旅のつづき5 最後の手紙』   偕成社 1996
サンゴロウの記憶を取り戻すすべはないかと、ナギヒコは長年、気にかけていた。
クルミは、記憶のふたを無理にはずさなくても、と言う。
北のブロックをこえて、こちらに来たことまではわかっている。では、北のブロックをもう一度、越えればいいのか。
しかし、ふたをはずして記憶がもどったら、今の自分がなくなるのではないか。
サンゴロウは悩んでいる。
カジキ船長の孫娘ミサキが北の海で遭難した。 救助にむかったサンゴロウがであったのは・・・

うーん。これはゲド戦記?
というより、都会暮らしになじんでいるオトコが捨てた過去との決別、かな。
昔、貧しかった時代。中学卒業と同時に都会へ集団就職とか、もっと前は海外への集団移住とか。。。あったなあ。
現在でも、仕事の関係でふるさとを捨て、都会暮らしをしている人たちは、胸の奥にどこかよるべない気持を抱いているのだろう。
そう、みんな、いろいろな思いを抱いて生きている。
でも、今暮らしている場所、必要とされている場所が、自分の居るべき場所、ふるさと。それでいいのだよ。サンゴロウ
●竹下文子 『雨ふりマウス』   アリス館  2000
新しい家に越してきたミキトが学校から帰ると、緑色の服を着た女の客が・・・
でも、お母さんには見えないという。
それから、今度は三匹の小さなネズミがあらわれた。どちらも雨が近くなると、あらわれるらしい。
ミキトのまわりに、つぎつぎ、おとずれる不思議なこと。その謎は・・・・

かぁーわいーい。もう、かわいいんだからぁ。マウスも、緑色の服のヤナギ・ミドリさんも、ミキトも。
自然にやさしく、といったようなメッセージ性をさぐろうと思えば、あるだろう。
でも、竹下はそんなこと眼中にないとおもう。
ただただ、ふしぎで、愛らしい世界を楽しめばいいんじゃないかなあ。
●竹下文子 『アフリカ ないしょだけどほんとだよ』  ポプラ社 2003
バナナをいっぱい食べたら、「じろっ」が「にこっ」になったワニ、
歯みがきがきらいでキバがぬけちゃったライオン、
落とした尻尾をさがしたらほうきにつかわれていたシマウマ、
頭からしっぽまで長すぎて長すぎて・・・のヘビ、
スキップが大好きなゾウ。ぜんぶ、ないしょだけどほんとのおはなしだよ。
●武田美穂 作・絵 『ますだくんの1ねんせい日記』   ポプラ社  1996
『となりのせきのますだくん』は、世間(?)をあっと言わせたが、これはますだくん側から描いたもの。
男の子の気持ちがよくわかる。うんうん。とうなずく少年・元少年もおおいに違いない。
●立松和平 『街のいのち』    くもん  2000
病気の母。そして死。それを娘が受け入れ再生するまで。
●長新太 作・絵 『キャベツくん』  文研出版   1980
キャベツくんとブタヤマさんが道であいました。
ブタヤマさんが「おなかがすいてたまらない。キャベツ、おまえをたべる」。
そしたらキャベツくんは・・・このあとをどう説明すればいいのだろう???
ナンセンス・シュール・いやはや・なんせおもろいのよ。としか言いようがない。
なにしろ37刷ですから、脱帽です。
●長新太 作・絵  『ブタヤマさんたらブタヤマさん』   文研出版 1986
ブタヤマさんはチョウを追いかけるのに夢中。うしろからなにがきても気がつかない。
ブタヤマさんたら、ブタヤマさん。ほら、うしろ見てごらん。スゴイものがきてるよ。ほら!
シュールだ。でも子どもたち、大好きなんだよね。この不思議さが。
おとなになるとどうしてみえなくなるのかなあ、不思議な世界が・・・
●長新太 作・絵 『 キャベツくんとブタヤマさん』   文研出版  
キャベツくんとブタヤマさんが橋をわたろうとすると・・・
あいかわらずナンセンスで、コメントのしようがないほど奇妙におかしい世界だ。
●長新太 作・絵  『つきよのキャベツくん』   文研出版  2003
キャベツくんが歩いているとむこうから巨大なトンカツが・・・トンカツソースまでやってきて、いい匂い。
さあ、キャベツくんとぶたやまさんは、このキャベツを食べることができるだろうか・・・
うーん、あいかわらず、シュールな世界だ(笑)。
●富安陽子  『ほこらの神さま』  偕成社  2002
ぼく・勇平、どこかとぼけた数馬、優等生タイプの準一は、
古い家の取り壊し現場から拾ったほこらを 秘密基地におさめる。たまたまつぶやいた願い事がかなってしまった!
 ほんとに神さまがいるんだ!
つぎつぎ願い事がかなったり、事件が解決したり、対立する3人組みをやっつけたり・・・
ラストが予想通りなのはともかく、なんとなく読後感がよくない。
不快というほどではないが、いい気持ちがしない。
3人組と仲良くなりましょう、にしろとは言わないが、これでは真の解決になってないような・・・
●富安陽子  『まゆとおに』   降矢なな 絵  福音館  2004
やまんばのこどもまゆがおにと出あった。おたがい、相手の素性を知らない。
すれちがいの可笑しさだが、『あらしのよるに』の会話劇ではなく行動としてのズレだから、
小さい子にはよりわかりやすいかも。
降矢の絵が、これまでの西洋風のハイカラモードから、ぐっと和風になっている。
●富安陽子  『かくれ山の冒険』   PHP  2000
なぁーおぉ。
黒猫の声に、自分が呼ばれたような気がした尚。
ボールを追いかけて林に入ると、そこは異世界。 大きな屋敷に一人で住んでいる黒い服の女性。
そこにいる八匹の猫は、異世界にとらわれた人間の子どもたち。
その一人の少女が、黒服の女性が実は黒猫であること、この世界の仕組みを説明し、わたしたちを救って!と尚に頼む。
この世界を壊さなければ、自分も元にもどれない。
尚は、調子のいいネズミに助けられ、おだてられ、はげまされながら、黒猫の呪いを解く方法をさぐる。
神隠し。天狗の隠れ蓑。山姥。鬼。龍。ネズミ浄土。などなど、
だれでも知っているイメージやアイテムを駆使して、物語は展開する。
天狗や山姥との駆け引きも面白いし、ネズミのキャラも親しみやすい。
筆者の得意ジャンル、手馴れた運びで安心して読め、ラストにじんわりする。
逆上がりもできない弱虫な尚が、勇気をふりしぼっての冒険に、読者はきっと、
自分のことのようにドキドキハラハラしながら応援することだろう。

挿絵も筆者が描いたもの。








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