海外の児童文学ーあ・か行




[あ行]
●『肩甲骨は翼のなごり』 デイヴィット・アーモンド 山田順子訳 東京創元社  2000
マイケルの一家が引っ越してきたところからはじまる。
家はかなりぼろい。でも、手入れをすれば。
父もマイケルも母の気を引き立てようとするが、妹の病気で、母はつかれきっている。

マイケルは、裏庭の、いまにも崩れ落ちそうなガレージの片隅に、
死んでいるのか生きているのかさえわからないような浮浪者?を見つける。
男の背中、肩甲骨のあたりが出っ張っている。まるで、折りたたんだ羽があるかのように。
だが、その男の存在に、大人たちは気づいてないようだ。

隣の家に住むミナは、学校教育を否定し、詩を詠み、絵を描き、小さな生き物の声に耳をすまし、
庭にくる鳥を観察している風変わりな少女だ。
ミナと出会ったことで、マイケルは、これまでとはちがう世界があることを知る。
耳をすませば、いままで聞こえなかった音が聞こえる。
いままで気づかなかった、見過ごしてきたものが見えるようになる。

マイケルとミナは、ガレージの男を、ミナだけが知っている秘密のビルに運ぶ。
男はゆっくりと翼を広げる。やがて元気をとりもどした男はマイケル、ミナと手をつなぎ。。。。
男は、絵に描かれたような美しい天使ではない。
体中、クモの巣やほこり、クモやアオバエの死骸でまみれ、虫やネズミを喰らい、
ふくろうが運ぶ食べ物を喰らう。そう、不可思議な存在。
不可思議な存在を、あるがままに受け入れる、マイケルとミナ。
ピュアな目には不可思議なものが見えるのだな。
ただ繊細なだけでなく、不気味さがほどよくミックスされ、甘さを消している。

●『クリスピン』  アヴィ  金原瑞人役  求龍堂  2003
中世のイギリスを舞台とした、貴胤流離少年冒険小説。
冒険小説のお約束がきちんと踏まれ、わくわくどきどき、手に汗握って読み進む。
単なる講談調の冒険物に終らず、共感と感動を味わえるのは、底に「人間の尊厳とは、自由とは・・・」というテーマが、これまたかなりはっきりした形で読者に問いかけているから。
いい意味で、成長物語であり、児童文学らしい児童文学。


●『海辺の王国』 ロバート・ウェストール  訳 坂崎麻子  徳間書店 1994
第二次大戦の末期、イギリスの主要都市は、連日、ドイツ空軍による夜間空襲に襲われていた。
12歳のハリーは、空襲で両親と妹を失った。 家はあとかたもなく、残されたのは、毛布と避難袋だけ。
だれもぼくを知らない場所に行こう。
海辺にむかって歩き出したハリーは、ドンという名札のついた迷い犬と出会う。

ハリーとドンは、海辺に捨てられたボートをねぐらにしたり、牧師の善意の小屋に泊まったりしながら、
あてのない旅をつづける。
人の善意と悪意をみわけながら、食料を得るため、不審者としてとがめられないため、
生きる知恵と工夫と緊張の日々。
波打ち際に打ち寄せられたものを金にかえて暮らす風変わりな男にサバイバル技術を教わったり、
父親くらいの歳の伍長にほんとうの息子のように可愛がられたりしながらも、
はぐれ犬を連れている孤児・ハリーは、一つところに長くはいられない。
放浪のすえ、ハリーは、ようやくマーガトロイドさんと出会う。
妻と息子をなくし心を閉ざしていたマーガトロイドさんも、倒れていた少年を拾ったものの、
どう接したらいいのか・・・
家族をなくした孤独な少年と、おなじく家族を失った中年の教師は、
最初は距離をおきながら、おずおずと距離を縮めて、信頼を深めていく。

両親と妹の4人暮らし、戦時中とはいえ、ごく平凡な暮らしだったろう。
それが一変し、ハリーはすべて一人で判断し、行動しなければ生きていけない、緊張の日々。
マーガトロイドさんもハリーも、苦難の日々をのりこえ、新しい一歩をふみだす。
はずだった・・・・
もう、これはほんとうにビターな終わり方。
唖然とするが、でも、成長したハリーは、だれにも足を踏み入れることのできない”王国”を心に、
しっかりと築いている。そういう意味では、ブラックではない。
少年のイニシエーション物語ではある。


[か行]
●『ゆっくりがいっぱい』  エリック・カール作  くどうなおこ訳  偕成社  2003
ナマケモノくんは、ゆっくり、のんびり、おっとり。
ゆっくりでいいんだよ、というメッセージ性がストレートではあるが、動物たちの絵がいい。
自然や動物の好きな子も、楽しめる
●『ゆうかんなハリネズミ マックス』  D・キング=スミス  金原瑞人訳  あかね書房  1994
人間の住宅の庭に住むハリネズミのマックスは、道をへだてた公園に無事にわたる方法を探る。
このマックスをはじめ、父さん母さん、姉妹に隣家のおじさん、登場するハリネズミたちが、まあ、かわいいったらない。
ちょこちょこ、とことこ歩く姿が目に浮かぶ。
親子で一緒に声をだして読みあったら楽しいだろうな
●『トラねこマーチンねずみをかう』  D・キング=スミス  金原瑞人訳  あかね書房  1996
かうは「買う」ではなく「飼う」。
牧場で飼われているねこ、モードには3匹の子どもがいる。 ロビン、ラーク、そして、マーチン。
モード母さんは、子ねこたちにネズミのつかまえ方など生きていく術を教える。
しかし、マーチンは、どうしてもねずみを食べる気になれない。
だって、かわいそうだもの。 それに、かわいいじゃないか。
人間が飼っている動物の中に、ペットというカテゴリーがあることを知ったマーチンは、つかまえたメスネズミ、ドルーシラをペットとして飼いはじめた。

ねこがねずみを飼うのである。ペットとして、からのバスタブの中で。
なんとも奇妙である。普通ではない。しかし、マーチンは大真面目なのだ。
ドルーシラのために、えさを運び、水を飲ませ、トイレを作り・・・
智恵をしぼり、あちこちの動物に聞いて回り・・・
やがて、ドルーシラには8匹の子ネズミがうまれ、ますます賑やかに・・・
マーチンは、子ネズミもかわいくてたまらない。
だから、ドルーシラの言うことならなんでも叶えてあげた。
自由になりたいという望み以外なら。
しかし、後半、マーチン自身がペットとして猫かわいがりはされても自由のない暮らしをするハメになり・・・

ドルーシラとマーチンとのあいだに芽生えた、奇妙な友情。
ハウ・ツー・ペットの飼い方。子どもの作り方(直接は描いてないけどね)
マーチンの父との男同士、親子の愛情。
そして、ふつうのネコとちがうスタイル、個性を貫くマーチンの成長物語でもある。
ドルーシラの、ときにはマーチンの母親みたいな、肝っ玉母さんぶりが可笑しい。
●『さいはての島へ  ゲド戦記V』 ル・グイン  清水真砂子訳  岩波書店  1977
再読。
各地で急速に魔法の力が弱まり秩序が乱れている。邪悪なものが活動をはじめたらしい。
父王の命を受け、モレド家の血をひくアレンは、大賢人ゲドの智恵を借りるためローク島にやってきた。
ロークの長たちにまで邪悪なものの影響が出始めたのを見たゲドは、アラン一人を供にあてのない旅に出る。
秩序の乱れという事件のほかに、予言通り、アランはアースシー全土を治める王となることができるか。
というのがメインストーリーだが、読み返してもやっぱり印象が薄い。なぜだろう・・・
イカダで暮す人々の暮らしとか竜がでてくる場面とか、印象に残るシーンもあるのだが、そして、そこは前に読んだときも、印象に残っていたのだが・・・
大賢人ゲドと彼を慕う若いアランの関係は、「薔薇の名前」の師弟を思い出させ微笑ましくもあるが、要するにこれはアランが王位継承者になるため乗りこえるためのイニシエーションの物語 だからだろうか。。。。
ゲドはアランを成長させる引き換えに魔力を失った。ゆずり葉的世代交代。
●『帰還  ゲド戦記W』  ル・グイン  清水真砂子訳 岩波書店  1993
再読
巫女としての操り人形のような地位を捨て、壊れた腕輪をつなぎロークへ凱旋してから25年後、テナーは、夫を亡くした平凡な農家のおかみさんとして読者の前にあらわれる。
半身を焼かれるという惨い目にあった孤児を引き取ったばかりのテナーは、呼び出しを受けて老魔法使いオジオンのもとへ出かける。
ちょうど海の向こうでは、アランが予言通りアースシーの王となり、ゲドが魔法の力をなくしているころだった。
つまり、Vのファンタジー世界とは裏表の巻。Vの、その後篇でもある。

竜にのってもどってきたゲドは、かつての力を失い自信をなくし、人目をさけている始末。
それに対して、テナーは3人の子を育て、近隣と仲良く付き合い、おしゃべりや目配りをしながらてきぱきと家事をこなす。
障害を負い、心を閉ざしている少女を抱え、すっかりヘタレしまっている男まで背負い込んでも、すべてすっぽりくるんでしまうおっかさん包容力に共感!
フェミニズム、ノーマライゼーション、癒し・・・。そんな言葉が巷に溢れているし、実際そういうテーマが 通底しているのだけど、女はずっと昔からこういう暮らしをしていたのだと思う。
土を耕し、家畜を飼い、果実を採り、糸を紡ぎ、物を食い、子を産み育て、そして死んでいく。
そういう、あたりまえの”人としての営み”や、どこか懐かしい風景がよみがえる。
最後の最後に襲った危機を救うのは、一番弱い立場であるはずの障害を負った子ども。
という物語としての面白さも抜群。
●『アースシーの風  ゲド戦記X』  ル・グイン  清水真砂子訳  岩波書店  2003
壊れ物修繕の技を持つまじない師ハンノキは、毎夜、死んだ妻や死人たちの夢に悩まされている。
生と死の境界の石垣が崩れかけているらしい、とゲドは判断するが、ゲドにはすでに往年の力はない。
長年姿をあらわさなかった竜が国の西側に出没しているのはなにを意味するかを相談するため、ハブナーの若き王、レバンネンは、テナーとテハヌーを招いていた。
同時期、カルガドの大王が、永遠の和平のしるしとして娘をレベンネンのもとへよこしてきた。

一見バラバラに起こったように見えるこれらの事柄は、互いに重なり合っていた。
すなわち、世界のバランスが崩れかけていることを知らせる兆候・・・・
この巻は、空に住む龍、レバンネンやまじない師、魔術師をふくむ人間たち、それぞれがなにを選び、なにを捨てたか、これからなにを選択するべきかを再確認し、 あるべき場所、あるべき姿を取り戻す話。
その底に流れている旋律は、若い不器用な愛。神話のように絶対で純な愛。
そして、時間をかけ慈しんできた愛。

物語の最終巻として胸躍る冒険はないが、若き王レバンネンの人間的な成長とともに、人間や竜や魔法使いなどそれぞれが、あるべき姿を取り戻すのを、ゲドは離れたところから見届ける。
読み終わって、なんとなくほーっとした安堵感を味わった。
●『ゲド戦記外伝』  ル=グィン  清水真砂子訳  岩波書店  2004
文字通り、外伝である。
もちろん、ゲド戦記の世界になじみのある人が読むと、懐かしい人物がでてきたり、ああ、そうだったのか!と納得したりして、あの世界がより深く味わえる。
が、本編を知らない人が読んでも十分わかるし、面白い、と思う。

「カワウソ」
船大工の息子カワウソは、不思議な力を持っていた。
しかし、カワウソは正式に順序だてて魔法を習う、という機会には恵まれなかった。
当時、そのあたり一帯を支配していたのは海賊の王、ローゼン。
そして、その配下の魔法使いゲラックは自分の力を高めるため、奴隷を集めて水銀の採掘をさせていた。
ゲラッグはカワウソの力を利用しようと。。。
ゲラッグの支配からカワウソを救ってくれたのは・・・・
ゲド戦記よりずっと前、ロークの学院や制度がどうしてできたか、その成り立ちがわかる。

「ダークローズとダイヤモンド」
魔法の才能がありながら、それを高めることよりも好きな女との平凡な暮らしを選ぶ若者。 とっても人間的。

「地の骨」
魔法使い、いや、魔法使いと言うより寡黙な研究者といったダルス老人は大地震が近いのを察知した。
老人は、昔の弟子、オジオンを呼び出した。
そう、かれは、ゲドに最初に魔法を教えたオジオンの、そのまた師匠なのだ。

「湿原で」
湿原のはしに住む寡婦の家に、旅人がやってきた。みすぼらしいなりをしているが、どこか品がある。
どこか謎めいているが、牛や馬に接するときの暖かさ・・・ どこか気になる。でも、わたしはこの人を信じるよ。
旅人は、若いころから危険な才を持ち、嫉妬と高慢に溺れ、ついにはロークを追われた魔法使いだった。
ゲドがようやく探し当てたとき、この旅人は、自分を必要としてくれる人の存在により大きく変わろうとしていた。

「トンボ」
偏屈でだれも寄せつけない館の主人。一人娘トンボもほったらかし。
トンボは、自分が何者なのか、自分の持っている力が何なのか、ずっと知りたがっていた。
ロークの魔法学院、そこへいけば自分が知りたいことを学べるにちがいない。女人禁制を知りながら、トンボはロークの門をくぐる。
トンボを迎え入れたのは守りの長。そして、様式の長は森の中の、昔カワウソが住んでいた家へトンボを案内する。
そのころ、ロークの長たちは分裂していた。森の中で、トンボは・・・

どの人物も、大魔法使いではない。
挫折したり、迷ったり、自分の真の力をわかってなかったり・・・ とーっても人間的で、身近に感じられる。
●『ホエール・トーク』 クリス・クラッチャー  金原瑞人・西田登 訳 青山出版社  2004
アメリカ、ワシントン州(シアトルのある州)のごくローカルな町のごく一般的(らしい)高校。
どこでも同じように男子は体育会系が、女子はチアリーダーが人気の的。
とくに、州の試合で優秀な成績をあげたメンバーだけに許される校章とネーム入りのスタジャンは、体育会会員の誇りだ。
主人公、TJジョーンズは身長190センチ、スポーツ万能、しかもIQは驚異的。
中学のころから各種スポーツクラブから引っ張りだこ。奨学金までちらつかせて勧誘されている。
しかし、TJは体育系バカが大嫌い。
コーチの言われるままに、とか、愛校心のために、とか、白熱すると汚いことばで罵りあうとか、・・・け、くだらねえ。
そのTJが水泳部をつくって、大会に出場することを宣言した。
集めた部員は、知的障害のクリス、片足が義足のモット、肥満児のサイモン、やたら理屈っぽいダン、 音楽とボディビルが趣味のテイ・ロイ・・・しかも、学校にはプールがない!
奇人変人チームは着々と力を貯える一方で、学校からは試合ごとにタイムを更新し続けることができたら名誉あるスタジャンを支給、 という確約を取り付け、いよいよシーズンを迎えた。
TJはなぜチームを作ったのか?!
はたして、試合の結果は?
水泳部は見事スタジャンを手に入れることができるか?
さらに、それぞれが背負っている重荷を認め合い、友情を深めることができるか?
という、『ウォーターボ−イズ』風、少年集団成長物語を縦軸にしつつ、横糸には、人種差別や児童虐待、DV、などなど、 子どものころに負った心の傷の克服という重いテーマが幾層にもからんでいる。
TJ自身が黒人と日系と、。。ややこしいDNAと育児放棄の元に生まれ、養親とカウンセラーの深い愛と忍耐がなければ、どうなっていたか。。という生育歴の持ち主。
TJの養父。水泳部のメンバー。
さらに、TJを目の敵にして、いろいろ因縁をつけてくる在校生と先輩。
(これがまた、どうしようもないマッチョ崇拝的差別主義者。・・・しかし、いるだろうなあ、こういう奴、アメリカの特に田舎には・・・)
登場人物たち、それぞれの生い立ちや人生や心のキズが次第に明かされていく。

本人の努力や意志ではどうしようもない肌の色、体の欠陥・・・
重い重い現実と、その傷口に塩をすりこむような無神経な人々、リアルな痛みに心が痛む一方で、TJと両親の絆、メンバーそれぞれの自立、そしてTJの大きな成長が清々しく、読後感は爽やか。
最後のおまけで、なんとなくほっと救われる。心が揺さぶられる一冊。
●『かえるの王さま』  グリム童話  矢川澄子訳 ビネッテ・シュレーダー絵 岩波
面相筆で描いたようなシュレーダーの絵は、繊細でちょっと奇妙で、微妙にグロテスクで美しい。
矢川澄子の訳とぴたりとマッチ。
●『不幸な子供』 エドワード・ゴーリー  柴田元幸訳 河出書房新社 2001
あるところに、一人の少女がいました。
お父様が亡くなり、お母様は悲しみのあまり亡くなり、少女は寄宿舎に入れられ・・・
と来れば、当然「小公女」を連想するだろう。
ところがどっこい、この本はどこまでもタイトル通り不幸なのだ。
右ページに繊細でややグロテスクな絵、左ページに韻を踏んだ原文。
ちょっと「マザーグース」を連想・・
悪趣味すれすれの本のはずだが、読み終わって、爆笑してしまった。
●『ギャシュリークラムのちびっこたち』   同上   2000
Aはエイミー かいだんおちた。Bはベイジル くまにやられた。
と延々Zまで韻とふんだ文章、シュールな絵で 綴る子ども達の不幸。
「不幸な子供」が黒いブラックとすれば、こちらは白いブラック。というのもへんな言い方だが・・・
●『うろんな客』  同上   2000
冬の夜、うろんな客がやってきた。傍若無人なふるまいに一家仰天。短歌仕立ての訳が面白い。
17年もいついているこの客は・・・解説を読めばたしかに納得だが、解説なしのほうがよかったような。
●『優雅に叱責する自転車』  同上   2000
エンブリーとユーバートは不思議な自転車に乗り、旅に出た。
不思議な旅から帰ってきた二人が見たものは・・・
それは、火曜日の翌日で、水曜日の前日のこと。シュールな世界。
●『Papa! パパーッ!』  フィリップ・コランタン作・絵  薫くみこ訳  ポプラ社 2002
うとうとしてたら目がさめた。となりになにかいる。あ、かいじゅうだ。パパーッ!
こわいゆめでもみたんでしょ・・・だって。大人には見えないんだね。






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