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●『穴』 ルイス・サッカー 幸田敦子訳 講談社 1999
スタンリーはまったくついてない。
いつだって「まずい時にまずいところに」いあわせてしまう。 やってもないスニーカー泥棒(しかも、とびっきり臭い使い古しのスニーカー)の罪で、グリーンレイクキャンプ少年院で穴掘りをさせられるはめにおちいった。 これはもう”あんぽんたんのへっぽこりんの豚泥棒のひいひいじいさん”にかけられた呪いのせいにちがいない。 グリーンもレイクもない、見渡す限りの荒地。しかも、毒トカゲやガラガラ蛇もいるらしい。 そんなところで、来る日も来る日も規定の大きさの穴を掘る。 それだけだって、でぶのいじめられっ子には きついのに、まわりは、それぞれいわくありげな少年たち。 カウンセラーも所長も、とうてい少年たちの更正を目ざしているとは思えない。 最初は重い、出口の見えない話かと思って読みすすむ。しかし、そうでもないらしい。 挿入されるひいひいじいさんの物語やグリーンレイクの伝説と、乾いた筆致に導かれて読みすすむ。 ラスト STANLEY YELNATS の太文字!! 巧妙に張りめぐらされた伏線に爆笑! 『トム・ソーヤ』のどんなときでもへこたれない精神と『アダムスファミリー』のブラックと南米文学に見られる壮大な大ボラ吹き。 そして、ちょっぴり少年の痛みというスパイスがきいた痛快冒険(?)物語。 ●『道 −ROAD』 ルイス・サッカー 幸田敦子訳 講談社 1999
あの恐ろしいキャンプから無事生還したスタンレーが高校生になってから、後輩のために
人生のサバイバル術をシニカルにユーモラスに、そして実践的に!
解説した書。
『穴』のサブテキスト(表紙も「穴」のイラストを白抜きに)ではあるが、ヒットに便乗した安直なつくりではない。 『穴』を読んでなくても理解できる。読んだ人は、もちろん、2倍楽しめる。 キャンプを学校に職場に置きかえれば、立派なサバイバル本だ。 スタンレー君が学んだ知識と応用、自制心とキラリと光る人生訓が、あちこちに・・・・ ●『顔をなくした少年』 ルイス・サッカー 松井光代訳 新風舎 2005
デーヴィットは、ごくふつうの男の子。
強い友人たちにちょっと迎合したり、周りの子にどう思われるか気になったり・・・ ここらあたり、うんうん、あるある。うなずいてしまう。 仲間に引きずられるようにして、デーヴィットは一人暮らしの老女の杖を盗みに行く。 レモネードでもてなしてくれる老女に、椅子をひっくりかえし、ガラスを割り、杖をひったくり・・・ デーヴィットはただおろおろと見ているだけなのだが、最後に、クールに決めるつもりで中指を立ててしまった。 と、老女は呪いの言葉を投げかける。実行犯ではなく、デーヴィットに! さあ、それからは、呪いが気になってたまらない。 その上、親友だったはずのスコットは、仲間に気に入られるために、ことさらデーヴィットいじめをする。 うんうん、あるある! デーヴィットは、ほんとうに呪われたのか。 どうやったら呪いは解けるのか。 いつになったら失地回復できるのか。 ほんのちょっとしたことや力関係で、一人浮き上がったり、いろんなことが悪い方へ悪い方へ転がったり、友人、とくに異性の目が気になったり・・・子ども時代、だれでも経験のあることだろう。 『穴』ほどのインパクトはないが、呪いという味付けで日常の中での少年の挫折と復活を描いた作品、さやわかな読後感。 「顔をなくす」というのは、リアルに顔がなくなる? ほかからは顔が見えなくなる? など意味を考えてしまったが、「面目をなくす」という意味だった。なあんだ。ほっ ただ、ラストやおまけ、やや説教が入っているのは、どうなんだろう。 ●『海のはてまで連れてって』 アレックス・シアラー 金原瑞人訳 ダイヤモンド社 2004
お父さんは豪華客船のスチュワード。
お父さんの出航のあいだ、ぼくたちはおばあちゃんの家に預けられる。というのは、お母さんはずっと前に亡くなっているからだ。 ぼくたちは、お父さんと一緒にいたい。それに、お父さんは「船にのるのも、今度で最後にしようと思う」て。 ぼくたちは、こっそり船に乗り込んだ。あ、ぼくたちって、双子の兄弟だよ。 お父さんに見つかったら大変。 それが一番の心配だけど、豪華客船って広いから、遠くですれちがっても、気づかれない。 隠れる場所もあるし、食べ物にも困らない。 でも、ときどきは問題が起きる。 たとえば、この船に乗船していた同級生に出会ってしまうとか・・・ それはまあ、なんとか誤魔化せたんだけど、もっと重大な事件がぼくらを待ち受けていた。 双子の悪がきの絶妙なやりとりがおかしい。 ときにはユーモラスに、ときにはしんみりとした家族の物語であり、そして、なにより、子どもが自分の智恵と勇気で事件を解決する冒険物語でもある。 悪者は悪者らしく、善人は善人らしく、虚栄心の固まりだった人が本当に大切なことに目覚めたり・・・、など、ちょっとケストナーの作品を連想させるような物語。 それに、豪華客船の旅気分も味わえるし。 ●『青空のむこう』 アレクッス・シアラー 金原瑞人訳 求龍堂 2002
ハリーは、元気な男の子。だった。
気がついたら、天国にきていた。そうだ、ぼくは交通事故で死んだんだった。 死者がぞろぞろと行列をつくり、受付を通り中に入っていく。 そこには、なにもない。空はいつも夕焼けのような色をしている。 そこからさらに〈彼方の青い空〉にむかうらしいが・・・ ぼくにはやり残したことがある。 あれをちゃんと言わなくちゃ〈彼方の青い空〉には行けないし、行く気にもなれない。 ぼくがやり残したこと、それは・・・ キリスト教圏の作品だが、ここに描かれた死後の世界には神様も天使もいない。 なにもない。公園のようなところを、死者がただなにかを求めて歩いている。 やり残したことを成し遂げようとするハリーへの共感と応援。 不思議な透明感とユーモアさえあり、ラストはもちろんハッピーエンド(というのもヘンな話だが) 家族の愛。絆。命。。。。 素直な気持ちで読みすすめ、ほんとうに大切なことに気づかせてくれる一冊。 ●『世界でたったひとりの子』 アレックス・シアラー 金原瑞人訳 竹書房 2005
こわい話を読んでしまった・・・
タイトルの「たった一人」は文字通り、たった一人、なのだ。 文明が行き着いた先の世界では、癌、高血圧、その他の疾病が克服され、人間の寿命は150歳から200歳くらいまで延びた。 人々は40から遅くとも50歳くらいで老化防止薬の服用を始める。 見かけは若く見えても、実は150以上の老人、あるいは、たまに子どもがいたと思っても、それはPP(ピーターパン)手術によって成長を止められた似非子ども。 世界は、文明に復讐されている。 寿命が伸びたのと反比例して、生殖能力が衰え、子どもの出生率が激減し、いまや赤ん坊は希少動物なみ。 奇跡的に子を授かった家庭では、厳重にガードし、人目をさけて暮らすから、町で子どもを見かけることなどめったにない。 学校は閉鎖され、子供同士で遊ぶ、ということもない。 子どもは、PCか家庭教師から教育を受ける。 そんな世界で、タリン少年は、ディードに連れられ町から町へと流れながら暮らしている。 ディードは、子どものない(ほとんどの家庭がそうだが)夫婦に、1時間、あるいは2時間だけタリンを貸し出し、子どものいる時間を味あわせる。 要するに、タリンを使った子貸しのマネージャー。 常にタリンを見張り、管理している。 タリンは自分の出生を知らない。 親に捨てられのか、さらわれたのか、さらったのがディードなのか、それも知らない。ここから逃げ出したくても逃げられない。 一人で出歩けば人さらいに狙われる。 この暮らし以外に生きる道を知らない。 ディードにとってタリンは唯一の商売道具だから、それなりに保護し、大事に扱ってはくれる。 ただ、自由がないだけで・・・ ディードはタリンに、PPをしつこくすすめる。 そろそろ少年じゃなくなる。 かわいい子どもだからこそ借り手がつくが、大人になっては商品価値がない。と。 いったんPPを受けると、人工的な少女のダンサーのように、一生を、見かけだけは子どものままで過ごさなければならない。 PPの解除は死を意味する。 タリンは、どうなるのか・・・ はたして、自分で自分の生き方を選ぶ日が来るのか。 ラスト、タリンには救いが来るが、この世界が変わるわけではない。 あああ・こわ・・・ 老化防止薬を飲んで、皺のない、背筋のしゃんと伸びたように見える大人も、実年齢は目でわかる。 120とか150くらいをすぎた人は、目に力がない。輝きがない。とある。 そうだろう。日々老いていく母を見ているから、よけいに、この物語がリアルに迫ってくる。 たしかに医学の進歩はありがたい。 しかし・・・人類は、どこまで欲望を実現すれば気が済むのだろう。 ●アレックス・シアラー 『13ヶ月と13週と13日と満月の夜』 金原瑞人訳 求龍堂 2003
赤毛でそばかすの少女、カーリーは、新学期になるたび転校生を気にする。
親友になってくれそうな子がいないかと。 かといって、孤立しているわけではない。 小さいとき妹が死んで以来、一人っ子。 だから、姉妹か親友がいたらな。と思うのだ。 今度きた転校生、メレディスは、おばあさんと二人暮らしだという。 カーリーは、だれとも関わりを持とうとしないメレディスが気になってしかたがない。 それに、メレディスがおばあさんをすごく邪険に扱うのも・・・ ごく平凡な少女の日常からはじまった物語は、おばあさんの訴えが、 「自分は魔女に体をのっとられた、自分こそがメレディスであり、あそこにいる少女は魔女なのだ」 という予想外の話へと展開していく。 カーリーがおばあさんを救うべく大活躍・・・と思ったら、それがまた、次々と予想を裏切る、 というか、予想を上回る運びになり、あれよあれよと巻き込まれるように読み進む。 たしかに面白い。一気に読まされた。 お人よしのカーリーが知恵と勇気をふりしぼって問題を解決していく過程は迫力がある。 だけど、なーんか、読後感がすっきりしない。 素直に読み取れないのは、魔女のたくらみがあまりに邪悪だから? それほどの魔女なら、少女の体をのっとらなくてもほかに手段があるでしょう? それより、読んでいて辛いのは、老いの描写や、メレディスやカーリーが老女の体を受け入れられない その生理的嫌悪感が生々しく伝わるのだ。 チェンジリング(取替えっ子)は、いろいろな小説で取り上げられているが・・・ この違和感はなんだろう。 男と女、あるいは人間と動物のように、まったく価値観の異なる別世界にチェンジしたときの驚きや発見ではなく、 本書にあるのは老いと若さ。 しかも、老いがただ単に身体能力の衰えというマイナスでしか捕らえられていないからだろうか。 ●『ひねり屋』 ジェリー・スピネッリ 千葉茂樹訳 理論社 1999
年に一度のお祭り。
その最後を飾るのが、公園の維持管理費捻出のため、参加費をとって5千羽(!)の鳩を撃たせる行事。 優秀シューターには金の鳩トロフィーが贈られ、10歳以上の少年は撃ち損なった鳩を楽にさせる 「ひねり屋」として活躍する。 という設定にまず驚くが、後書きによると、アメリカのある町で、実際にいまも行なわれているらしい。 主人公パーマーは幼いころから「ひねり屋」にはなりたくないと思っていた。 しかし、鳩をまったく見かけない町。鳩は射撃の対象でしかない、この町で、「ひねり屋」になるのが当然の 男の子集団の中で、それを口にすることは仲間はずれになること、死ぬことさえ、意味するくらい恐ろしいことだ。 一羽の鳩が、よりによってパーマーの部屋に迷い込んできた。鳩はここが気に入ったらしく 毎晩、帰ってくる。 10歳の誕生日がせまってきた。祭りの日も近づいてきた。 ひねり屋になりたくない。その前に鳩を飼っていることがバレたら・・!さあ、どうする、パーマー。 ドロシーのように「じゃあ、やめれば」と簡単にはいかないんだよ! パーマーの悲鳴が聞こえてきそう・・・ ●『スターガール』 ジェリー・スピネッリ 千葉茂樹訳 理論社 2001
ある日、スターガールと名乗る風変わりな女の子が転校生してきた。学校中、その話題でもちきり。
毎日奇妙な格好であらわれるわ、ランチルームでいきなり誕生日の子の前で歌うわ。 天衣無縫な行動にあきれていたみんなも、だんだん彼女のペースに巻き込まれ、 学校中が熱病のように ・・・ あれは芝居よという声もあがったが、ぼくは、スターガールの魅力にひきつけられていく。 「ひねり屋」がよかったので期待していたのだが、どうしてもスターガールに気持ちがのらない。 たしかに魅力的だし、生き生きと描かれているし、殻を破る、心を解放するという「役割」はわかる。 しかし、・・・芝居とは思わないにしても行動が突飛すぎるし、ある意味、自己満足としか思えない。 だって・・・こういうことをされて、ホントに相手が喜ぶだろうか・・・ シャニングのシーンは読んでいて辛かった。 スターガールを通して、自分がどっちの側の人間かを測られているような居心地の悪さを感じて挫折。 * これについては掲示板に書き込み多数 * ここをクリック |
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