海外の児童文学ーは行




[は行]
●『木曜日に生まれた子ども』  ソーニャ・ハートネット  金原瑞人訳 河出書房新社  2004
オーストラリアの、以前は金鉱跡だったという、荒れた開墾地に暮らす一家。
両親と、デヴォン、オードリー、ハーパー、ティン、カフィ。
二女ハーパーが、成人したのちに少女時代を語る、という構成。

父親は、さまざまな事情から心身ともに疲れ果て、逃れるようにこの土地にきた。心の平安を求めて。
しかし、落ち着いて考えたら、農業のこと、牧畜のこと、まったくなにも知らないことに気がついた。
土地は痩せている。種は、まいてもまいても、育たない。
唯一の食料であり、現金収入を得られるのは・・・ウサギ。貧しい。どうしようもなく、貧しい。
つぎつぎ、子どもが生まれ、運がよければ育ち、運が悪ければ、そのまま死ぬ。

カフィが生まれるところから物語は始まる。
外で遊んできなさい、と家から遠ざけられたハーパーとティン。
目をはなしたすきに、ティンは誤って川岸の穴に落ちた。
だれもが絶望したが、ティンは奇跡的に泥の中にできたくぼみにはまっていて、無傷でひきあげられた。
でも、わたしは見た。ティンが、両手で穴を掘ったあとを。
その日から、ティンは穴を掘り続けた。土の中が、ティンの居場所だった。
わたしには、わかっていた。ティンは、あそこにいるのが一番落ち着くのだ。穴を掘るのが、好きなんだと。
そして、それはパパもわかっていた。「あの子の好きなようにさせればいい」
一家は、どんどん、貧しさの連鎖にはまっていく。
さらに、大恐慌の嵐も一家を襲い、ほんとに、どうしようもない貧しさの現実(リアル)。
少女には、なにもできない。どうすることもできない。しかし、家族と周囲の人々を、ハーパーは幼い目でしっかり見つめている。
けっして目をそらさない。逃げ出さない。
ラスト、奇蹟が起きた。
一番弱い者、役に立たない者、忘れられている者、劣っている者が、一家を救う。
リアルの中に差し込んだ一筋の神話。衝撃的な救い。

●『銀のロバ』  ソーニャ・ハートネット  訳 野沢佳織  主婦の友社  2006
マルセルとココの姉妹は、森の中で倒れている男を見つけた。
死んでる? 死んでる人を見つけるなんて、すごい! わたしたちだけよ。
いかにも子どもらしい、好奇心いっぱいの行動と目線。 もう、そこからぐいぐいひきこまれていく。
チューイと名乗った男は失明していて、イギリスの家に帰りたい、病気の弟が呼んでいると言う。
どうやら、これは第一次世界大戦中のフランスが舞台で、チューイさんは戦線を離脱した中尉であるらしい。
二人の少女は、だれにも内緒で、食料や、子どもなりに考えて必要と思われるものをこっそりと運ぶ。
少女たちは、チューイが持っている銀のロバに興味津々。
チューイは、これは弟から譲り受けた幸運のお守りだと言い、ロバにまつわる寓話を一日一話ずつ語って聞かせる。

もうもう、この少女たちが可愛い、可愛い。よくこんなに子どもの心理がわかるなあ。と感動すら覚える。

子どもだけでは、何日かはチューイさんを守ることはできても、イギリス海峡を渡って故郷へ帰りたいという
願いをかなえることはできない。
そこで、マルセルは、兄のパスカールを味方に引き入れる。
ふだんは妹をからかったり、いばってばかりのパスカールが、がぜんお兄ちゃんらしくふるまい・・・・
もう、ここらの兄妹の駆け引きや連帯感も絶妙。

メインストーリーに深みを加えているのが、4つそれぞれちがうロバの話。
ロバの話を聞いた子どもたちの反応が、また、それぞれのキャラクターを際立たせている。
チューイさんとの出会い、子どもだけの冒険が、子どもたち一人ひとりに思い出以上のなにかを残したことは間違いない。


●『リンゴ畑のマーティン・ピピン  上下』  ファージョン作  石井桃子訳  岩波少年文庫
少年文庫だが、子どもが読むより、大人が読んだほうが楽しいかもしれない。
(というか、すでにこの少年文庫自体、現代の子ども読者にはあまり読まれていないのだが・・)
ジリアンは、頑固オヤジによってリンゴ畑の真ん中の井戸屋形に閉じ込められ、さらに、結婚なんて! 
男なんて! というオトコ嫌いの6人の娘たちが、がっちり周囲を固めて、だれも近づくことが出来ない。
旅の男マーティン・ピピンは、リュートにのせて一夜に一話ずつ、六つの恋物語を語って聞かせ、ジリアンプラス6人の固い心をほどき、ジリアンを、その囲みから救出する。そして・・・
とまあ、ちょっとはずせば「千夜一夜」や「紅楼夢」のような艶笑譚にいってしまうような構成だが、もちろん、ファージョンのことだから、そんなお下劣なことにはならない。
古老の語る言い伝えや伝説、寓話のような、ちょっとアンティークな味わい。
六つの物語もそれぞれ味わいがあるし、それぞれの物語への反応の違いなどで、六人の娘たちの年齢やキャラがほんのりほのかに描き分けられる。
さらに、ラストでは、娘たちの反応に秘められた伏線や、この物語全体の枠もあかされ、ちょっと、にやりとしてしまう。

ゆーったりとした語り口なので、ゆーったり心穏やかに味わうことをお薦めします。
なんだか、マーティン・ピピン。すっごい色事師にも思えるんだけど。。
●『ぼくはお城の王様だ』   スーザン・ヒル  幸田敦子訳 講談社  2002
古い館を相続したフーパー氏は11歳の息子と一緒に移り住む。
息子は扱いにくい年ごろ。フーパー氏は考えた。そうだ、子どもというのは友人と遊ぶものだ。
そこで、フーパー氏は子連れの住み込み家政婦をやとうことに・・・。
しかし、エドマンド・フーパーは、だれとも遊びたくなんかなかった。
フーパーは、同い年の家政婦の子どもチャールズ・キングショーをいびることに全精力を傾ける。
キングショーの行動を見張り、恐怖と支配を植え付ける。
村人と交流のない古びた館、住むのは主人親子と家政婦親子の4人だけ。
閉塞的状況で、フーパーのいじめと支配はどんどんエスカレートしていく。
逃げるキングショー、しつように追いつめるフーパー。
キングショーがあがけばあがくほど事態は悪い方へと転がり、追いつめられていく。
しかも、いくら信号をだしても、互いに家族となることを意識しはじめている
フーパー氏とヘレナ・キングショーには届かない。

読んでいて辛い。ここにあるのはむきだしの悪意と、善意の衣をかぶった無関心。
そして・・・わずかな、ちいさな救いさえないラスト。

フーパーは悪意の固まりとして描かれている。が、しかし、どこにでもいるただの甘えん坊の恐がり。
空威張りして、しつこくて、大人には見えないところで弱い者いじめをする。
でも、その子自身が、実は一番弱虫なのだ・・・
キングショーも、繊細で傷つきやすい子ではあるが、こういう状況でなければ、 だれかが気づいてくれれば
・・・理解してくれる人が一人でもいれば、こういう結末にはならなかっただろう。と痛ましい。
ここに出てくる二人の大人。無神経で薄っぺらでイライラするが、彼・彼女も、これまで孤独でわびしい、殻にこもった暮らしをしていたことを 思えば、一方的に責めることはできない。
どの人物にも自分をみてしまう辛さが残るが、しかし、読まなければよかった。。とは思わない。
●『OLIVIA』 イアン・ファルコナー作  谷川俊太郎訳  あすなろ書房  2001
雑誌「ニューヨーカー」の表紙絵を手がけるという画家の絵が、ものすごーくステキ!
この絵にまずノックダウンされ、それから、添えられている文を読んで、またノックダウン!
●『オリビア サーカスをすくう』  イアン・ファルコナー  谷川俊太郎訳 あすなろ書房  2002
OLIVIAシリーズ、第2段。オリビアのホラ(?)は絶好調! かわいくってたまらない。
●『ババールといたずらアルチュール』  ロラン・ド・ブリュノフ  矢川澄子訳 評論社  1975
ババールの一家とうみべに来たアルチュール、みんながボート遊びをしているあいだに飛行場へ。
さて、それからが一大事。
●『さるのゼフィール なつやすみのぼうけん』 ロラン・ド・ブリュノフ  矢川澄子訳 評論社
ババールの家族と一緒に海水浴にきた、ゼフィール。
人魚をたすけたり、行方不明になった恋人イザベルを探したり、の大冒険。
●『サダコ』   カール・ブルックナー  片岡啓治訳  よも出版  2000復刻
佐々木禎子ストーリーを海外で最初に紹介した本の復刻版。
事実と違ったり、日本の実情とちがうところもあるが、これほど丁寧に書かれた小説とは意外だった。
●『黄金の羅針盤』   フィリップ・プルマン 大久保寛訳  新潮文庫  
19世紀のイギリス。ものごころついたころからずっと、オックスフォードのジョーダン学寮で育てられてきたライラは、
アスリエル卿の姪として特別大切にされながら、とびきりのお転婆で、下町の子達を引き連れては悪戯ばかり。
こっそりしのびこんだ部屋で、学寮長の陰謀を見てしまう。
街では、子どもたちが、神隠しのようにさらわれるという事件が。
ライラの大切な遊び仲間も行方不明になってしまった。
実は、ライラの知らないところで、世界の秩序が乱れ始めている。
そして、ライラは、本人も知らないままに世界の行方を決めるべく、ある重大な任務を持っていた。
ライラは、学寮長から、真実を示すという羅針盤を託され、美しいコールター夫人のもとへ送られる。
しかし、羅針盤のことは、だれにも、コールター夫人にも秘密にしろと。
どうやら、学寮長は、北極の地にとらわれているアスリエル卿に届けろ、というつもりだったらしい。

この世界では、人はみな、動物の形をしたダイモン(守護精霊)を持っている。
子どものうちは、ダイモンはさまざまな形、・・イヌやネコなどの動物や鳥、蝶などの虫・・にかわるが
大人になると、それは一つに定まる。
人とダイモンは、切っても切り離せないし、別の人のダイモンにふれることはタブーだ。
ダイモンは持ち主の心の動きを読んで、励ましたり助けたりしてくれるし、
ある以上の距離を離れると、互いに不安になり、力がなくなる。
この世界には、魔女もいる。よろいを着た、金属を扱うのが上手なクマもいる。
当然ながら、人間世界、魔女の世界、クマの世界、それぞれに時間の流れや価値基準が違う。
しかし、ライラは、まっすぐにそれらの胸に飛び込んでいく。
友だちを救わなくっちゃ! 羅針盤をアスリエル卿に届けなくちゃ!

北極の地、オーロラの向こうには、どうやらパラレルワールドがあるらしい。
そのパラレルワールドは、キリスト教の教義となにかしら結びつきがあるらしい。
そして、アスリエル卿もコールター夫人も、そのパラレルワールドとこの世界をつなげる手段について、
つなげるべきか否か、などをめぐって激しく対立しているらしい。

構造が複雑で、善と悪も、一くくりではないのがいい。
キリスト教と神話、機械文明、新しい価値観、など、いろいろな要素が含まれていて、まだまだ物語は続く。
●『ヒットラーのむすめ』  ジャッキー・フレンチ  さくまゆみこ訳  鈴木出版   2004
現代のオーストラリア、スクールバスを待つあいだ、少女少年が、お話ごっこをする。
その「ごっこ」話で少女は、ヒットラーの、世間からは存在を隠されていたむすめの話をする。
どこにでもいる、考えのないベン。無邪気なトレーシー、そして、普通の少年マークが聞き手。
「ごっこ」話とはいえ、マークは、なぜかこの話が気になる。
親が極悪人であることを子はどう思うんだろうか? 親の罪は子も負わなくてはいけないの?
知らされてなかったと言って、子は罪を免れるの? じゃあ、いま、ヒットラーがあらわれたら・・・
マークは、いままで考えたこともなかったさまざまな疑問を抱く。

ストレートにヒットラーの罪やそれを許した人々の罪を告発するのではなく、「ごっこ」というひねりで、現代の子にも伝わるように工夫してある。
すぐれた人種とかおとった人種、って、少しは当たってるのかな?
どうして、ヒトラーはユダヤ人を嫌ったの?
もしかして、だれかがこのあたりに軍隊みたいなものをつくろうとしたら、どうする?

マークの素朴な、しかし、根本的な疑問がいい。
先生や親に、その疑問をぶつけるのだが、あまり親身に向き合ってくれない。が、まあ、こういう反応だろうな、というリアリティがある。
そう、大人にだって、答えはないのだから。
マークは、答えのない疑問をずっと抱き続けるだろう。そして、読者も。

ラストでは、その少女の祖母が、ヒットラーのむすめだった、ということを暗示している。
ヒットラーのむすめは、この本のように実在したとすると、本名を捨て、故郷を捨て、偽りの人生を歩んだことになる。
北で、偽りの人生を歩んできた、いや、歩まされてきた人たち、そして、日本でも、オウムの娘として生きている家族の人生を思う。
●『ひかりのあめ』  フランチェスカ・リア・ブロック  金原瑞人訳  主婦の友社  2004
アメリカの若者のあいだで、カリスマ的人気作家の作らしい。
エリオットの詩にインスパイアされて書かれた作品らしい。
たしかに詩的。・・・が、正直、読みづらかった。
後書きでも、You と I ばかりの語りで、どう訳したらいいかとまどった。とあるが、たしかに、細かな章ごとに、こっちはマリーナから、ここはアレックス、ここではウェストと語り手がころころ変わる。
ま、それはすぐに慣れたし、日本には女性語男性語があるから、訳のおかげで理解ははやかった。
しかし・・・物語に入れなかった。
まるで恋人のように慕う兄の突然の変化。そして死。
現実を受け入れられない少女が、兄の行動の足どりをたどる。
そして、わかったことは・・・
という内容なのだが、なんというか・・・もって回った描き方。
これがスタイリッシュなのかなあ。わたしが年をとっているから味わうことができないのかなあ。
●『ウィッチ・ベイビ』  フランチェスカ・リア・ブロック  金原瑞人訳  東京創元社  1999
LAの芸術一家。というか、ヒッピー一家。
えーと、相関図がややこしい。
ウィーツィはランプの精に、自分にはマイ・シークレット・エージェント・ラヴァー(なんちゅうふざけた名前だ!)を、ボーイフレンドでゲイのダークにはダック(オトコ)を、全員がずっと仲良く幸せな暮らしを、という三つの願いを叶えてもらった。というのが第1弾の話らしい。
ある日、LAの魔女がマイ・シークレット・エージェント・ラヴァーとの間に生まれた赤ん坊を、”家族ってことになっているみんな”の家の前に捨てていった。
それがウィッチ・ベイビ。
黒いモジャモジャの髪、紫の瞳のウィッチ・ベイビは、悲しい事故や苦しんでいる子どもの切抜きを壁いっぱいに張っている。
ウィッチ・ベイビは、みんなにこっちをむいて、と言いたいのに言えない。
なにかいいことをしようとしているのに、わかってもらえない。
ダークとダックのあとにくっついていって、余分なことを言ってしまう・・・
でも・・・・かわゆいのだ。じつにかわゆい悪魔ちゃんなのだ。
そして、最後は、ウィッチ・ベイビは、自分をふくめて、えーーーと、12人の”家族ということになっているみんな”の輪の中に、居場所を見つけることができました。
めでたしめでたし。
という、現代のおとぎ話。寓話。メルヘン。
でも、きっといまもどこかでだれかが、みんな、わたしのこと、わかってよ! と、声にならない声をあげているのだろう。ウィッチ・ベイビのように。
●『薔薇と野獣』 フランチェスカ・リア・ブロック 金原瑞人訳 東京創元社  2003
白雪姫、赤ずきんちゃん、青ひげなど、よく知られた昔話を換骨奪胎し、現代の、ちょっと病んだ(?)アメリカに舞台を移して描いた短編集。
「雪ースノウ」(白雪姫)  
育児拒否した母親に捨てられた赤ん坊を、庭師が預けたのは7人のフリークが共同生活しているコミューンだった。。。。
「狼」(赤ずきん) 
  義父に性的虐待を受けている少女が助けを求めに、砂漠にすむおばあさんの家に向かうと、そこには先回りした義父が。
そして、義父に銃口をむけるおばあさん。
「野獣」(美女と野獣)
野獣にとらわれた美女が、だんだんだんだん野生化していく。
が、魔法がとけて、野獣がワイルドさをなくし、ただの男になったあと、狂おしいほどの眼差しもなくなり、ちょっとがっかり。。。というのが面白かった。

元ネタを知らなくても(知らない人はいないくらいポピュラーな昔話ばかりだが)、いかにもリア・ブロックらしい味付けで楽しめる。






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