マチュピチュ!


*高山病体験記*

旅の〆はマチュピチュ。これがメイン。
ブェノスアイレスからアンデス山脈を越え、ペルーのクスコに飛ぶ。
クスコは高度3400メートル。富士山より高い。
機を降りたとたん、空気の薄さを感じる。
まず、さっさと歩けない。 トンネルに入ったときのように、音が、膜のむこうのように聞こえる。

 

バスでクスコの市街を抜け、ホテルに入る。
空き家になったスペインのカソリック修道院を、そのまま再利用したホテル。

     ← 中庭

    ← 礼拝堂

    ← 部屋の中。壁には宗教画がかかっている

中世のスペインにきたよう。『薔薇の名前』を思い出したのは、ずっと後。
ちょうど徹夜明けのような感じで、ぼーっとして頭が働かない。
僧院の食堂だったらしい部屋で夕食をとる。
フォルクローレや地元の踊りが披露される。

 

そこまでは、なんとか動けたし、食事も美味しかった。
このとき、頭痛薬なり鎮静剤なり飲んで寝ればよかった。と、これも後で思った。

後悔、先にたたず。問題は翌朝。 明け方目が覚めると、頭がガンガン。やられた!
吐き気。倦怠感。無気力。夫が身動きする音さえ頭に響く。首のリンパが腫れている感触。
ホテル内には、エアコンとは別に酸素が供給されているというが、高山病のすべての症状が、わたしを襲う。
夫が心配して、薬を飲むか、と言ってくれるが、その声さえ騒音でしかない。
思考停止状態で、判断力がない。返事をするのも辛い。
一行は市内観光に出かける。
添乗員が心配し、消化できそうな朝食と昼食のルームサービスを手配してくれるが、結局、一切、口にできなかった。
ガイドブックに、横にならないよう、頭を高く、と書いてあったのを思い出し、クッションをありったけ積んで、もたれるようにして寝る。
薬をさがそうとするも、スーツケースをあけただけで、吐き気。
ようやく薬を見つけても、どれがどの薬か考えることもできない。また吐き気。
最後は胃液まで吐くが、ミネラルウォーターだけは、なるべく飲むようにして、ひたすら寝る。
ただただ時が過ぎるのを待つしかない。
夕刻、夫が帰ってきて、鎮痛剤と抗生物質を飲む。
飲んでもすぐ吐くのだが、少しは吸収していると信じ、また寝る。


 
わたしが苦しんでいるあいだ、市内観光に出かけていた夫のデジカメに納められていたバザール風景。

くぅっ! 行きたかった(涙)


*いよいよマチュピチュへ*

早朝、クスコからバス、そこから列車で約3時間半。車内でブランチをとり、マチュピチュ見学。
帰りも列車で夕食をとりながら、ホテルにつくのは夜の10時。という、丸一日の行程。
行きたい!でも耐えられるだろうか。みなさんに迷惑をかけては申し訳ない。でも、行きたい・・・
せっかく、ここまで来て、マチュピチュを目の前にして撤退は・・・
添乗員さんは、マチュピチュのほうが高度が下がる(高度2400メートル)から、絶対だいじょうぶ! 
これまで、クスコでダウンした方もマチュピチュへむかうあいだに元気になっているから!と励ましてくださる。
それでも、迷いながらホテルの窓を開けると、中庭に、白髪の西洋の女性が何人もいるではないか。
あの連中がいけるなら、まだ、すこしは若いわたしが行けないはずはない。
行けるところまで行こう、それで駄目なら途中の駅で待機しよう、と足を踏み出す。
もちろん、朝食も取れない。ロビーに集合するが、ホテルスタッフが身につけているボディローションのフレグランスが鼻につき、庭にすわりこむ。
だいじょうぶ? 無理しないほうが・・・と、仲間が声をかけてくださるが、それに答えることもできない。
鎮痛剤と抗生物質を飲み、バスに乗る前に酔い止めを飲む。一番前の席にすわり、遠くを見るようにする。
気がつかないが、少しずつ下へむかっているらしい。
列車の駅に着く。オリエンタル急行が経営する列車が優雅な姿で待っている。

 

ここでも、ウェルカムのダンスや歌が披露される。

客室は、食堂車のようになっている。

 

  真っ白なテーブルクロス、銀のナイフフォーク、小さな花瓶には花が飾られ、アガサ・クリスティの世界。



展望車では、ドリンクが提供され、トリオ・ロス・なんとかがギターやマラカスでリズミカルな音楽を奏でていた(らしい)
やがて、美味しい食事が運ばれてきたが、わたしは、匂いをかいだだけで駄目だろうと、みなと入れ違いに展望車に行き、ソファに横になる。
水を飲みながら、バターを使ってない固パンを、小鳥がついばむように少しずつ口に運ぶ。
さらに、まるで手術をするときみたいにマスクを装着して、酸素ボンベの提供を受ける。
過酸素は、酸素不足よりもっと危険らしい。添乗員さんが時計を見ながら、きっちり三分間、酸素を吸う。
(そうか。ウルトラマンが三分しかいられないのも、そういう理由なのか!と思ったのは、もっと後)
しかし、吸ったからといって、特別変化は感じなかったが、それより、確実に高度が下がっていたらしい。
窓の外を見る元気も、少しずつ戻ってくる。。

    

   

列車が最終駅・マチュピチュについたころには、すっかり元気をとりもどしていた。
そこから、また、バスに乗り、箱根のいろは坂のような坂道を登る。
ついた! マチュピチュだ! 天空の城ラピュタだ! 

 

山の天気は変わりやすい。前日は雨だったらしい。
今日も、一応、雨の用意を、と言われていたが、一行が到着したころから、抜けるような青空の上天気。
しばらく上り坂や石段が続くが、足取りも軽く(?)登っていく。

 この管理小屋跡が、空中都市・マチュピチュのいり口。

 

城門跡。王や聖職者は輿に乗ったまま、この門をくぐった。
もう、言葉はいりません。画像をご覧ください


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20数年前観光客としてこの地を訪れて以来、すっかり魅せられ、奥さんともども移り住んだという現地ガイドさんが、
インカ帝国の歴史やマチュピチュなどインカの遺跡などについて、簡単に解説してくださる。
高地で住む人たちは、少ない酸素を効率よく運ぶため、平地の人間より赤血球が多い。
そのかわり、白血球が少なく、抵抗力が弱い。
コカの葉を噛むのも、消化・殺菌作用があるから。
コカだけでなく、自然のものを上手に利用している。いわば、天然の薬。
薬は毒にもなる。クコを精製し、コカインを作ったのは西洋人。
西洋文明は、たしかに便利だしすぐれているが、ときに行き過ぎて、自然のバランスを崩す。
など、深い話も、ここ、インカの遺跡にいると、素直に胸に落ちる。

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マチュピチュとは新しい峰、という意味。あっちの峰がワイナピチュ。古い峰。
あそこから登った朝日が、この穴を通って、ここに指すときが夏至。こっちから指すときが冬至。
これを見ながら、農作業の段取りを決めていた。
など、何千年も昔に、すごい文明が発達していたことがわかる。

さらに、この石組み。

 

いったい、どうやって石をきりだしたのかと思う。 

 

この巨岩の足元が、こうなっている。

 

コンドルのような平たい造形。もちろん、なんらかの聖的意味がある。

 
 

時代によって、変化があるらしいが、どれも、すばらしい建設技術だ。
スペイン軍が破壊しようとしても破壊しきれず、いまだに、街のあちこちで使われているという。
宿泊したホテルにも、近くの建物にも、石組みがそのまま活かされている。

説明を聞きながら、棚田のような石段を上り下りし、太陽の光を浴び、インカの風にふかれていると、ほんとうに霊的なものを感じる。
列車を降りるまでは青息吐息だったのが、すっかり元気になる。
“さっき泣いたカラスがもう笑った”状態に、一行からも、すごい回復力ですね、と呆れられる。
インカのスピリチュアルエナジーを受けたのよ。わたし、インカの末裔かもしれない。などと、笑って答える。
われながら可笑しいほど、気分が爽快になり、テンションがどんどん高くなる。


*グッバイボーイ*

帰りのバス。七曲りの道の角に、赤い民族衣装を着て手をふる少年の一団・・・ グッバイボーイだ。
当番にあたるのだろうか、中の一人が、バスを追いかける。
姿が見えなくなったと思うと、次の角にあらわれる。
また、消える。と、しばらく下った先に、少年の姿が・・・
バスが箱根のいろは坂のような道を下るあいだ、少年は藪の中の獣道のような細い坂道を駆けおりるのだ。
見ていて、痛々しくなる。
車内のあちこちから、「チップをあげるから、バスを止めてよ」と声があがる。
しかし、バスはどんどん坂を下る。やがて、終点にちかづいたところで、バスが止まる。
ドアがあき、少年がバスに乗り込む。一行の中から集まったチップを、ガイドさんが少年に渡す。どうやら、すべて予定のコースらしい。
「さーよなーら。あーでぃおーす。あーりがーと」
汗びっしょりの少年は、大きく手をふるあいだに、バスは終点につく。
そこで少年をとりまいて記念撮影。
わたしたちが降りたあと、その少年はそのバスでまた戻っていくのだった。

ここで、グッバイボーイに、ものすごく気持ちを寄せてチップをはずむ人。
お金をわたすことは彼らのためではない、自分への言い訳。それより、きっと、元締めに取られるだけだろう。と、チップを出すことにためらいを感じる人。 はっきり別れるようだ。
わたしは、後者。
ガイドさんに聞くと、いまは夏休みだが、彼らはちゃんと学校に通っているそうだ。(ほっ)
このあたりは観光で潤っているから、ほぼ100パーセント、教育を受けている。
グッバイボーイは一時禁止されたが、いつのまにか復活したらしい。
現役は6・7歳から11歳くらいまで。声変わりすると引退だそうだ。
たしかに、あの甲高い声で グッバーイ!とやられると、ぐっとくる。
それに、ペルー先住民の人たちは、なんとも哀愁を帯びた、哀れっぽい顔つきなのだ。
別に、哀れみを乞うているわけではないのだが、「いいのよ、そんなに謝らなくても」と言いたくなるような風情がある。
お土産物屋などでは、ちゃんと計算高く商売しているのだが。

 この店のお兄ちゃんは「ケーナ。吹き方教えるよ」と日本語で呼び込みをしていた。

 子どもたちは夏休みだから、店番というより、ふつうに遊んでいた。

ちなみに、インカ帝国を滅ぼしたスペインは、この地の資源を奪取するための拠点として、たくさんのカソリック教会を建てた。
いまや、地元の人たちはほとんどがカソリック信者で、生まれてすぐ洗礼を受けるそうだ。あのグッバイボーイも、クリスチャンなのだろう。
キリスト教といえば、ホテルとなったのは、使命を終えて撤収した教会だが、それ以外にも、クスコにはまだたくさんの教会がある。
教会の中には修道女の教会もあり、彼女らは外界との接触を絶ち、中世のような暮らしをしているらしい。
宮城谷昌光の小説の中に、「文化は辺境で固定する」という意味の文言があったが、
まさしく、出発地点ではすでに変容を遂げてしまっているであろう文化(中世のキリスト教)が、辺境の地インカで固定している。と感じた。

帰りの列車では、ちゃんとしたディナーが出た。
まだ胃がおさまってないので、消化のよさそうなものを、おそるおそる、少しずつ食べる。
(いい状態なら完食してであろう、おいしい食事だった)


夜遅く、クスコのホテルにつく。ああ、やっぱり、駄目。頭がぼーっとする。
翌朝、ようやくのことで、ホテルの外に出て、あたりを見回す。
と、早朝なのに、さっそく物売りが寄ってくる。中には、写真を広げてみせる人も。見ると、わたしが写っている。
一行がマチュピチュにいるとき、あちこちから撮影していたのはわかっていたが、電送で送られた画像をさっそくプリントしたらしい。
恐るべし、デジタル時代。
「Tシャツ、センエン、センエン」の物売りは、アジアの観光地でよく見かけるが、アンデスの山奥の、インカの末裔が、伝送プリント写真を売りつけるとは。
そういえば、バスの車窓から panasonic pepsi sony internet などの看板をいくつも目にしたし、ホテルでは何十チャンネルもの衛星放送TVを見ることができた。
インカの伝統文化と西洋文明は、どのように融合しているのだろうか。

マチュピチュは機会があればもう一度行きたい。
ただし、クスコ経由というのが。。。。もう少し、時間をかけてゆっくり適応すれば克服できるだろうか>高山病


今後マチュピチュに行こうという方に、ご忠告。
一行を見ていると、高山病は、性別、年齢、体力、体型、まったく関係なさそうだ。
現に、一行のなかで最高齢75歳の、特に健康法や体力強化をやっているわけでもなさそうな女性が、「高山病って、どうなるの?」とケロリとしていた。
もっと高齢らしきの西洋人もいっぱい歩いていたし
車椅子に乗って、石段のところは手すりにすがって歩くような歩行困難な方も、マチュピチュを楽しんでいた一方で
わたしとほぼ同年代の、小柄な男性は、わたしより症状がひどく、クスコ空港到着時からふらふら、ホテルでは階段を登ることもできないほどの状態で、翌日そうそうリマに降りていった。
腰痛などで、普段から鎮痛剤や抗生物質を飲んでいた人には症状があらわれなかったようだ。
高山病予防には、早めに鎮痛剤を服用することをお勧めする。
というより、高度2500で一日、3000で一日、というように時間をかけて順応するように行けば、問題ないだろうが・・・・

ちなみに、わたしたちが乗った列車は、一日一回往復するだけの、デラックス列車である。
普通のパックツアーで利用するのは、通勤電車なみの仕様、通勤列車なみの混雑らしい。
ブランチも、パック詰めのお弁当を、ぎゅう詰めの座席で食べる。
もっと過酷な条件であることを、ご覚悟あれ。



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