海外文学−サ行
[さ行]
フランソワーズ・サガン パトリック・ジュースキント ジェローム・K・ジェローム
シオドア・スタージョン ベヴァリー・スワーリング

F・サガン 『一年ののち』 朝吹登水子訳 新潮文庫 1988
田辺聖子の『ジョゼと虎と魚』の主人公が愛読していた本。ということで、ン十年ぶりのサガン。
読みはじめてすぐ、おぉサガンだあ。おフランスだあ。。。
迫り来る老いから目を背けるように、マリグラス夫妻は毎週、若者を招いてパーティを開く。
そのサロンに集まる、金持ちの娘・小説家の卵・女優の卵たち・・・の一年間。
一言で言ってしまえば、彼・彼女らが織り成す恋愛模様。群集劇。
これといった事件が起きるわけでもない。生活臭もなければ切迫感もない。
しかし、恋のさあやて、と形容されるような軽さではなく、人間って哀しいなあ。という読後感が残る。
登場人物たちが、どこかしら冷めているように見えるのは、けっして感情を剥き出しにしないからだろうか。
この小説の底に流れている雰囲気は、戦後まもなくの、階級格差がはっきりしていたころの
”ヨーロッパの香り”なのだが、
かけ離れた別世界のお話、とはいえない、なにか迫ってくるような気配がある。
自分たちの時代がもうじき終るということを知っていて、しかも、諦めているような、そういう虚無感。そして、諦念。
F・サガン 『すばらしい雲』 朝吹登水子訳 新潮文庫 1988
『一年ののち』に出てきたアメリカ青年アランとジョゼの、果てしなく続く不毛の結婚生活を描く。
アランの過剰な愛の束縛、それを否定しつつ受け入れてしまうジョゼ。これも愛の一つの形態か。
パトリック・ジュースキント 『香水』 池内紀訳 文藝春秋社 1988
タイトルや、驚異的な嗅覚を持つ調香師、というイメージから情緒的な物語、嫋々とした文体、
という予見を持っていたが、出だしの数行で、・・・ん、これは違うぞ。
まず、文章の歯切れがいい。講談調(フランスに講談はないだろうが 笑)なのだ。
さらに、主人公の数奇な生まれを紹介した最初の数ページで、もう物語の面白さ、奇想天外さを予感させる。
匂いを表現する、表現された匂いを読み手が感得するのは難しいだろうと思っていたが、
読んでいるだけで匂うのが不思議。その後の展開も予想をこえた面白さだ。
それにしても、この主人公の嗅ぎ分ける能力と言ったら!!! まさしく超人的、肉食動物以上だろう。
幼いころは手探りで、長じてからは策略をめぐらし、匂いを追い求めるその探究心。
ハンターのように、ときに求道僧を思わせるように、あらゆる欲望を超えてひたすら理想の匂いを求める。
しかし、なんという冷酷さ。愛、という言葉から遠い。遠い以前に、そういう概念を持たない男。
羊たちの沈黙のレクター博士とも違う、冷酷の美学。
不思議な作品世界をたっぷり味わった、ではなく、体中に不思議な匂いをまとった。とでも言おうか。。。
<作品分析ーー掲示板でのやりとりから>
グルヌイユの、自分の匂いがない、というその「匂い」がなにを象徴しているか・・・
わたしは、愛情・感情・善悪を感じる心などなど、「暖かいもの」だと思ったの。
存在に気づかれないほど「暖かいもの」が欠落しているグルヌイユ(低温動物であるカエルという名も象徴的)が、 自分に欠落しているからこそ、匂いを敏感にかぎ分ける能力がある。
匂いを求める、というのは、自分に欠落している「暖かいもの」を求めることなんだけど、
本人には、それを暖かいと感じる心も、手に入れて嬉しいと思う感情ちもない。
グルヌイユは、いわば、絶対のマイナス。それでも、プラスのものを求めずにいられない。
求めて求めて、究極の、絶対のプラスとでもいうべき「匂い」にたどりつく。
しかし、絶対のマイナスであるグルヌイユが絶対のプラスを手に入れたら・・・ゼロしかないでしょ。
ああ、ラストで死ぬな、というところまでは予想できたんだけど、ま、ま、まさか、ああいう形で消滅するとは。
。。究極の「匂水」の効力、恐るべし。
ひっくりかえって笑って、うーん、おそれいりました、とひれ伏してしまった。
パトリック・ズュースキント 『鳩』 岩淵達治訳 同学社 1989
主人公は初老に近い銀行の守衛。30年の間、同じアパートの一室に住み、判で押したように
決まった時間に銀行に出勤し、
カギをあけ、行員を迎え、頭取の車の出入りに合わせて門扉を開け閉めし、
閉店後にカギを閉め、防犯ロックをし、退社する。
およそ物語にも事件にもなりそうもない平凡な男の暮らし。。
それが、たった一羽の鳩の出現で小宇宙がガラッと変わってしまう。
恐慌。つぶやきとぐるぐる回る思考。妄想。。。
いままで見えてなかったもの、感じてなかったことが見えてしまう恐怖感が身につまされて、可笑しい。哀しい。。
『香水』の物語性の高さから一転して、平凡な初老男の平凡な(!)24時間を描いた短い作品。
なにも事件は起こらないしファンタジーも起きないのに、奇妙でヘンテコな(誉め言葉である)読後感が残る。
ジェローム・K・ジェローム 『ボートの三人男』 丸谷才一訳 中公文庫 1976初版
(おそらく上流階級に属する、少なくとも生活に余裕のある)三人の男(と一匹の犬)が、
ロンドンからオクスフォードまでのテムズ川を船で上って旅をしようと思い立ち、大騒ぎで準備をし、出かける。
言ってみればそれだけの話なのだが・・・
たとえば、わたしなど旅行に行くとなると、たとえそれが一泊であっても、何日も前からウキウキソワソワして、
お天気はどうだろうか、どれを着ていこうか、暑いかな、いや、寒いのは困るから一枚余分に持って行こうか、
でも、荷物が増えるのは困るな、あ、帽子、風が強いかもしれないからスカーフも、傘も、
薬に喉飴などなどバッグに入れたり、出したり・・・、そのうち、なにがなんだかわからなくなって、
もう疲れきってしまい、当日の朝は寝坊するわ、違う靴をはいてくるわ、バスの中で気持悪くなってしまうわ、
そういうときに限って肝心の薬を忘れているわ・・・とまあ、世の中チグハグなことばかりだが、この三人男は、もっと上を行く。
客観的にみればあきらかな失敗や粗忽や勘違いを屁理屈で言い逃れしたり、大仰に嘆いてみせたり、
あるいは負け惜しみの痩せ我慢をしてみたり、いきなり妄想が入ったり、
そういえばこんなことがあった、と延々脱線したり。
どこへ行くのかわからない、そのずれ具合を楽しむ本であり、イギリス知識階級の、困難を笑いとばす、
あるいは、
自分から困難を呼び込んでそれを楽しむという、一ひねりしたヒューモア精神を楽しむ本だ。
以前この本を手にしたとき、途中で挫折したのは、おそらく、気持の余裕がなかったせいらしい。
ヒューモアというのは、気持に余裕がある者のみが楽しめるものだということを、実感したことである。
シオドア・スタージョン 『一角獣・多角獣』 小笠原豊樹訳 早川書房 2005
スタージョンはお初であるが、帯に「幻獣が微笑み、人外が嗤う・・・・」とある。
これが買わずにおられようか(笑)
うーむ。たしかに、幻想小説としかいいようがない不思議な世界観。
ブラウンのレンズとは違う、もっと屈折した、複雑なゆがんだレンズが使われている。
「死ね、名演奏家、死ね」は、心理小説。
主人公の鬱々とした屈折した心理が、痛いほど伝わる。
「監房ともだち」は、ひょっとして、岩下志麻子の「ぼっけえぎょうてえ」は、この作品からインスパイアされたんじゃないか?と思うような仕掛け。
などなど、それぞれの趣向や悪趣味さが、わたしの好みである。
ただ、この本を読み終わったあとは、正統派、向日性の文学を読みたくなったのも事実。
ブラウンより、読む人を選ぶ作家だと思った。
シオドア・スタージョン 『不思議のひと触れ』 大森望編 河出書房新社 2003
表題作はじめ10編
前回、『一角獣・多角獣』を読んだときは、その幻想性とか異色ぶりに目を奪われ、どうとらえたらいいのか、
どう評価していいのか、とまどっていたのだが、そして、たしかに異色な話ばかりだったのだが、今回の短編集は、
もっとわかりやすいというか、ああ、スタージョンは、いろんな技巧を使える人だが、結局は人間を描いているのだな、と、納得できた。
裏庭に埋まっている土偶を掘り出そうとすると、そいつは「わしは神様だ」と喋った。・・・「裏庭の神様」
人魚に出会った男が、約束の時間にその浜に行くと、そこには・・・「不思議のひと触れ」
頭上に不思議な円盤が飛来して以来、「なにかメッセージを受け取ったはずだ」とFBIに追求され、マスコミや野次馬にも追い回され続けて、ついに入水自殺しようとしていた女性を救った。
彼女が円盤から受け取ったメッセージとは・・・「孤独の円盤」
などなど、どれも、SF仕立てだったり、ファンタジーだったり、不思議な味付けがきいているが、スタージョンの目は仕掛けではなく「人間」に向けられている。
面白かったのは「閉所愛好症」
兄は、物静かで人見知り、学究肌。いわゆる「おたく」ぽい性格。
弟は体格も人当たりもよく、つねにみなの注目、そして母の愛情の的である。
昔から、兄がなにかをはじめても、いつも弟にとられてしまう。
ガールフレンドさえ。
一人の下宿人が来た・・・彼女は宇宙航空種族(スペースマン)のヘッドハンターだった。
兄弟の関係も、すごくわかるし、引きこもり的な人へ勇気を与える、楽しいファンタジー。
そして、ずしりときたのが「雷と薔薇」
ここは、軍事拠点。
核戦争で何百発もの核爆弾が使われ、わが国は壊滅寸前のある。
いや、地球人類がほろびるのも時間の問題というところまで来ている。
自分たちも、いつまでこうして動けるか、正常な神経を保てるのはいつまでか。
死は目の前にある。
それなのに、まだ攻撃を受け続け、しかも、こちらからは絶対反撃してはならないと命令を受けている。
人気歌手が慰問に訪れた。
彼女はもう各地を回り、ここが最後。
彼女の歌のメッセージは・・・・ それを聞いたビートの行動は・・・
「これで、きみたちにはチャンスができたぞ」遠い未来にむかって、そう語りかける。
「頼むから、うまくやってくれ」
そのあとは、もう待つしかなかった。
シオドア・スタージョン 『ヴィーナス・プラスX』 大久保譲訳 国書刊行会 2005
玄関の階段で転んだチャーリーが目を覚ましたとき、そこは見たこともない世界だった。
ここは違う星? タイムスリップ?
人間に似ているけど、でも、かなり違うレダム人たちがあらわれ、フィロスを案内人につけるから、この世界を観察し、感想を述べて欲しいという。
レダム人は、つつましやかで、相手になにかを強要したり踏み込んだりしない。
文化や教育、そして、特に性の概念は独特で、まったく地球人とは異なっている。
そして、あいだあいだに、50〜60年代と思われるアメリカの隣り合った2家族の日常が挿入されている。
チャーリーと、この家族たちは、なにか関連があるのか?
そもそも、レダムの世界は、どこにある?
ここは、どの時代? チャーリーと一緒に、読み手の頭も謎だらけになる。
レダム人の生活や哲学には(特にジェンダーに関する記述には)おおいに共感できるが、でも、なんか、うそ臭い。
『ザ・ギバー』(ロイス・ローリー)ほどではないが、ユートピアに見せかけて、なにか裏がありそうだ。
スタージョンのことだから、なにか仕掛けがあるに違いない、と読み続けると、
ああ、やっぱり! こう来たか!
ジェンダー。異文化。性。宗教。そして、核への恐怖。
いろんな要素、スタージョンの思想が盛り込まれ、深い内容。
ベヴァリー・スワーリング 『ニューヨーク』 村上博基訳 集英社 2004
1661年、腕のある床屋のルーカスと薬草使いの妹サリーのイギリス人兄妹が、オランダからマンハッタン島についたところから物語は始まる。
オランダ、イギリスがてんでに移住者を送り込み、先住民からの攻撃にさらされながら、町づくりをしているころ。
ウォール街のウォール・壁とは、そのころ、城壁があったところなんだって。へえ!!!
床屋は外科医をかね、治療といえばヒルを使っての瀉血か下剤くらいなころ。
それまでの医療にあきたらず、先進医療に燃えていたルーカスは、到着早々、提督の尿道結石を神業のような手術で取り除くというチャンスに恵まれる。
おかげで、店の開業と、薬草さがしに便利な住まいを得、順調なすべりだしをみせた兄妹だが、ルーカスは有夫の女との恋に溺れ、
サリーはインディアンに襲われるところから、二人の運命は大きく分かれていく。
とまあ、そこから、それぞれの子、孫〜曾々孫の代にいたるまで、新しい医学への挑戦や時代のおおきなうねりを絡ませながら、愛と憎しみの壮大なドラマが始まる
どろどろの愛憎と陰謀渦巻く物語なのですが、そこへ、輸血・癌の切除・あるいは種痘のような、当時としてはとんでもない、倫理にもとる治療へのあくなきチャレンジや、
外科より内科のほうが社会的に認められているという背景、インディアンや黒人の民間療法(こっちのほうがしばしば有効だったりする)、黒人奴隷、女性差別、出身国による差別や偏見、
宗教対立(イギリスはプロテスタント。カソリックとは、いろいろ教義や解釈がちがう。そこらへんは、よくわからんのう)・・・・
そして、最後にはアメリカ独立戦争などなどが、ドラマティックに絡んで、まるでおおきな複雑なタペスりーを見るような趣きですな。これが。
わたしがおもしろかったのは、インディアンとの混血をみごもったサリー、そして、その、曾孫にあたる、祖父譲りのメスさばきの技術を持つジェネット、
そのまた孫にあたるクレアの生き方。
どの女性も、過酷な運命に見舞われ、傷つきながら、すばやい計算と強固な意思で自らの運命を積極的に能動的に切り開いていく。
す、すごい! 女は強い!
アフリカから運ばれてきた奴隷女性たちの人生も、物語の奥行きを深めている。
結婚が、本人の意思よりも、血筋とか家柄とか親の都合で決められていたころ、フェミニズムからみればとんでもなく遅れた時代、それでも、女たちはただ泣いていただけではない。
自分を守るため、愛する者を守るため、涙をふいて立ち上がり、自分の持っている力(色気だったり、薬草の技術だったり、頭の回転のよさだったり)を武器に、
男を利用し、権力の下をかいくぐって、したたかに生きていった。
その、自分の決断を信じ、過去を振り返らない潔さには拍手を送りたい。
それでこそ、女!
神の手をもったルーカス。人を癒す力をもったサリー。
いったんは憎しみあい、ふくざつに絡み合いながら枝分かれしていく一家だが、高度医療へのチャレンジ精神と、
どんなに富を得ても貧者への思いをわすれない癒しの心は、DNAとして子孫たちに引き継がれ、とうとうと流れていく。
時代が変わり、さまざまな障壁が低くなった終盤、アメリカ開拓史や先祖の来歴がすでに伝説となった若者が、
医学習得をめざし船に乗るシーンは、おおきな潮流がまた一つに集約されたようなすがすがしさで終わる。
ついつい深夜までよみふけって、翌日はボーっとし、という勝手時差ぼけ状態が三日も続いたのでありました。
ああ、面白かった、長かった・・・表紙を入れて、厚さ4.5センチ、読了。