日本文学 ー さ行




斉藤綾子  『愛より速く』

現役(当時)女子大生が書いた、性行為ばっかり小説。
来るものは拒まず、に見えて、それなりの倫理観がある。
ある種爽快だけど、いや、やっぱりちょっと気恥ずかしかった(苦笑)


坂口安吾 『白痴/青鬼の褌を洗う女』 講談社文芸文庫 1989 

表題作など13編。廃頽・混沌・虚無の中の肉欲。デカダンの中で抽出されたある種の純粋さ。


鷺沢萠 『失恋』  新潮文庫  2004

黎子と悠介は恋人ではないが、友達以上恋人未満の長い付き合いだった。
少なくとも彼女がいざというとき頼りにするのは自分。悠介はそう思っていた・・・
「欲望」はじめ4作。いずれも、自分の思いが届かない、それでも好きになることを止められない「失恋」の話。
初期のころのひりひりした感性ではない。もっと身近な、ああ、こういう人いるいる、
という普通の人の思いや息遣いを描いている。
ほどよい文学性とほどよい通俗性(悪口ではない。読みやすさという意味だ)を備えた手練れた短編集。


鷺沢萠  『ウェルカム・ホーム!』   新潮社  2004

テキトーに生きてきたツケで仕事も家庭も住む家もすべて失ってしまった毅は、
子持ちヤモメとなった親友・英弘の家でシュフをしつつ憲弘を育ててきた。
それは、毅にも英弘にも、そして憲弘にも、安定した家庭(ホーム)だった。
しかし、たまたま目にした憲弘の作文が毅の心を乱す・・・

外資系証券会社で働く律子のもとに、若い男性が「直接にお話したいことがある」と訪ねてきた。
「ふつーの学生さんみたいに見える」その青年は、律子が育てたーいまは音信不通になっているー
義理の娘と結婚したい、と言い出すのだった。その日は、律子にとってびっくりすることばかりだった。
律子の前半生を説明するところは、ちょっとダレたが、最後に全てが集約される。
ラストの数ページは(不覚にも)涙で活字が雲ってしまった。

作品はそれ自体独立しているのだから背景と切り離して読まなければと、思いつつ、
こんなにハートウォーミングな作品を書いた 直後の作者の自死との対比が痛ましく、胸がつかれる。


佐藤亜紀  『バルタザールの遍歴』新潮文庫  1994

第三回日本ファンタジーノベル大賞受賞

時は1930年代〜、場所はオーストリア、ウィーン。
ヒトッラーの台頭。そしてドイツ併合。という背景で思い浮かべたのは、対照的な2作品。
家族の結束や希望を描いたのが「サウンド・オブ・ミュージック」
そして、闇を描いたのが「第三の男」
これらに比べ、この作品は、光でも闇でもない。その狭間。 それも仕掛けたっぷりの暗黒系。わくわく。

キリスト生誕を祝って厩を訪れた東方の三賢人。 その名は、カスパール。メルヒオール。バルタザール。だそうだ。
ハプスブルグ家の家系のはしっこに位置する貴族、エネスコ家は代々長子にこの三賢人の名を順繰りにつけている。
1918年に生まれたのがメルヒオール。
しかし、メルヒオールは実は双子、それも、二人の人物がいるわけではなく、一人の肉体に二人が共存していたのだ。
つまり、メルヒオールとバルタザール。
沈着で、とっさの機転がきくメルヒオールは学問芸術が得意。
バルタザールは、激しやすく、運動系。
一卵性双生児は、一人分の性格を二つに分け持っているようなところがあるらしい。
それと同じように、メルヒオールとバルタザールはそれぞれ別個のキャラで、互いに補い合うような関係。
ただ、違うのは肉体が一つであること。
と、思って読み進んでいるうち、この二人は、片方が本来の肉体を離れ別の肉体で行動できる、それも無意識のうちに、
ということに気づかされる。

とまあ、仕掛けだけでも面白いのに、ナチスの台頭、滅び行く貴族社会、叔母による陰謀・・・と、いろんな要素が絡み合い物語は進んでいく。
メルヒオールとバルタザールが二人で一つの肉体を所有しているという特異性をほとんどの人には理解されず(そりゃそうだ)
さらに、韜晦的な性格が災いして、事態はどんどん悪くなり、舞台はパリ、ウィーン、スイス・・・と移り、そしてついには砂漠の果てまで遍歴するハメに。。。
物語の展開も面白いが、ウィーンの退廃的な雰囲気、末裔とはいえ(一般人からは想像しにくい)貴族意識、財産管理の仕方、
舞台となる各都市の光景や風俗などなど、実に精緻に濃密に空気を映し出し、まことに贅沢で芳醇な味わい。 虚実のあわい。奇想天外な物語。まさしくファンタジーノベル。

ただし、こういう手の作品は苦手、という人もあるかも。
というか、登場人物が多く、どれも一癖も二癖もあり、伏線もそこここに貼ってあるので、油断ならない。


佐藤亜紀『1809 ナポレオン暗殺』  文春文庫  2000

主人公パスキ大尉はフランス軍の工兵。戦場にかける橋梁の現場監督のような仕事をしている。
そのパスキがナポレオン暗殺をたくらむ者、それを阻む者、両方の陰謀に翻弄される。
いわゆるミステリーやサスペンス的要素あり、恋あり、活劇あり陰謀ありの物語的要素も面白かったが、主人公パスキより、
周辺の人物たち、とくにオーストリア貴族の人物像が面白かった。
なにが正義なのか、戦争とは、なんて青臭いことは言わないが、戦争の裏側の陰謀・策略・外交、フランス側オーストリア側の警察・密偵・罠
・・・そして現場のやる気のなさと、貴族社会の退廃的な空気。
そういう空気感が(だれがだれだかわからなくなりながらも)、濃厚に伝わってくる。

いま、やたらとセレブという言葉が使われているが、本場の貴族社会、貴族文化はそんなバブリーな浅いものではない(らしい)。
日本で貴族というと、平安時代の藤原家は別として、江戸時代の貴族など、気位だけは高くても、
貧しく浮世離れした印象があるが、ヨーロッパの貴族、とくに宮廷に近く、富を集約していたウィーン貴族の豪奢で退廃的で、
世紀末的雰囲気、その描写が、この物語の主役ともいえる。


佐藤正午 『ジャンプ』   光文社文庫  2002

ガールフレンド、みはるのアパートに泊めてもらうことにした僕。
コンビニにリンゴを買いに行ったまま、みはるは失踪。
彼女の行方を追う、という意味ではミステリーだろう。しかし、ラブストーリーなのだそうだ。
わたしには、身勝手で無神経なオンナ(27歳にもなってこのオンナは!)に
振り回されるアホでかわいい男の子、としか読めなかった。しかも、今の妻にも騙されていたとは・・
一種独特の語り口、どこかズレた視点などなどが可笑しい。


佐藤正午『Y』  角川春樹事務所  1998

ほんの一瞬の偶然で運命が別れる。その電車に乗ったために事故にあうか、あわずにすむか・・・
秋間は、18年前その場にいあわせたという北川のフロッピーを渡される。
というか無理矢理押し付けられたそこには、事故に5分前に戻ったという記録が・・・
最初、この本の主人公<僕>と、北川フロッピーの中の<僕>がごちゃになりかけたが、
それはすぐに整理できて、物語世界にはいりこんだ。
こっちの世界ともう一つの世界、いや、ひょっとすると北川がもどってまた
あらたに歩き出す第3第4の世界は ずっとそのまま継続するパラレルワールド?
なんとなく、胸に落ちない


佐藤哲也  『ぬかるんでから』 文芸春秋社  2001

本書は、表題作ほか「とかげまいり」「やもりのかば」など短編13作からなっている。
SFというより、シュール。妄想小説といったらいいだろうか、この世とあの世の境目がない。
どこまでが妄想なのか、はたして主人公だけの妄想なのか、それとも、この物語世界がゆがんでいるのか、わからなくなる。
それが、わたしにとっては面白かった。
遊園地のマジックミラーの部屋にはいったときのような感覚。
・・・なだけに、続けて読んでいるうち、一つ一つの作品のあらすじとか、細かい内容は混沌とまざって、わからなくなてしまう。
もちろん、読み返してみると、一作一作、ちがうし、それぞれ面白いのだが、総体として一つの世界を作り上げている。
文体も、たとえば、主人公の行動を説明する描写、なにかとんでもないことに遭遇したときの心理描写など、
独特の、どこか冷めたような、屁理屈っぽいような、ややこしい説明のしかたが、みょうにツボにはまる。

そのねじれ具合は、町田康の勢いともちがうし、まして、車谷長吉の偏執ともちがう。
もう少し、都会的でオタクっぽい・・・のかな。ちがうな・・・
不条理さというか、わけのわからない怒りというか、出口の見えない負のエネルギーというか、
しかし、どこかとぼけた、乾いた笑いがあったり(それは、嘲笑?)・・・
帯には笙野頼子氏絶賛!「胸に滲みて戦く」とあるが、たしかに笙野頼子が絶賛するのもうなずける。
というわけで、未読の(たぶん、ほとんどの)方には、わたしの感想を読んでもさっぱりわからないだろうが、
わかる人にはわかる、ごくせまい、マニアックな読者向けの本かも。


篠田節子  『コンタクト・ゾーン』    毎日新聞社  2003

政情不安が囁かれている南洋の楽園、バヤン島に全身ブランド服に身を包んだ三人の女が降り立った。
一人は、買い物依存症に陥っている大病院のお嬢さま、祝子。
一人は、外務省ノンキャリアで、半年に一回の浪費旅行を生き甲斐にしている、真央子。
そして、美貌と抜群のスタイルを持ちながら気が弱く、不毛の不倫から抜け出せないでいるOL、ありさ。
予定されている観光を断り、ツアーガイドの制止もふりきってショッピングに出かけているあいだに、
統一開放軍が決起。空港は閉鎖。
ようやくのことでホテルにたどりついてみれば、殺戮と強奪の生々しい跡が・・・
人生なめきっていたバブリーな女たちが、すべての交信が遮断された無政府状態の島からどうやって逃げ出し、
いかに生還するか・・・ 島の反対側の村にたどりつくまではぐいぐい読んだが、
異文化の暮らしの中で三人が変化していくあたりで結果が読めてしまった。
三人のあいだで葛藤や闘争や対立がないのも、物足らない。
もう少しの踏ん張りと熟成があれば、もっと上質の感動巨編になったのに・・・

篠田節子  『アクアリウム』    新潮文庫  1993

かなり初期の作品。篠田節子の作品は数冊しか読んでないが、単なるストーリー性だけでなく、
社会的視野というか関心を抱いている作家のように思われる。
ひそかに思いを寄せる澪の懇願で、行方不明になったスキューバ仲間、純一をさがすため、
一人、地底湖にもぐった正人は迷宮のように枝分かれした地底湖で不思議な生物と遭遇する。
イクティと名づけた生物は正人の心を魅了していく。そして、建設中のスーパー林道が
地底湖周辺の自然を破壊していることを知った正人は・・・
公務員としてひっそり暮らす平凡な男が、謎の生物に魅入られ人生を狂わせていく過程が、最初は幻想的に、
後半は市民運動の、ある種のいかがわしさや内部対立などにとまどう市民的感覚でリアリスティクに描かれている。
が、ラストはちょっと意外な方向へ行くが、わたし的にはなんとなく不完全燃焼かな・・・
でもまあ、自然保護か開発か、という命題に単純な答えはだせないだろうし、
それに、そもそも、 作者としてはなにかに憑かれ常軌を逸していく人間を描きたかったのだろう。

司馬遼太郎 『侍はこわい』   光文社文庫  2005

司馬遼太郎といえば、歴史上の人物を膨大な資料と壮大なスケールと走るような勢いで描く長編作家というイメージがある。
とくに「竜馬が行く」は、熱と勢いがあった。
わたしもひところは愛読していたが、晩年思想家のようになってからは、ちょっと敬遠勝ちだった。
が、初期の、はじめて本になる短編、というので手にとってみる。

表題作はじめ8編。いずれも、資料の片隅にちらりと出てきた一片をとりあげ光をあてたもの。
市井の人、ではないが、けっして立志伝中の人や功成り名を遂げたあとの話ではない。
へええ。こういうものも書いていたのか。と新鮮だったし、短編ならではの切れ味もあったし、
なにより、どれほどの資料を読み漁り蒐集していたのかと、あらためて感じ入った。


清水義範 『黄昏のカーニバル』    講談社文庫  2000

表題作はじめ7篇。
「21人いる!」という作品は萩尾望都の「11人いる!」から取ったタイトルと想像がつく。
当然パスティーシュだろうときめつけて読み始めた。しかし、これはれっきとした(?)SF短編集であった。
本人も書いているように、やや懐かしい味のするSF。
時空のねじれ。地球外生物。近未来。。。しかし、あいかわらず達者だなあ。。。。

殊能将之 『ハサミ男』  講談社文庫  2002

若い女性の喉にハサミをつきたてて殺す、なんの手がかりも物証も残さない、という連続猟奇殺人事件が起きていた。
世間ではその手口から「ハサミ男」と呼び、恐れつつ好奇心をかきたてていた。
と、そこまでは、世間でよくある(?)猟奇殺人ミステリーにすぎないだろうが、本作の目玉は、とうの本人が主人公であること。
高校生の美少女に狙いをつけ、妄想をめぐらし、時間をかけて慎重に行動パターンを調べ、ハサミを研ぎ、
いざ、と出かけた「ハサミ男」が発見したのは、絞殺され喉にハサミを突き刺されたターゲットの死体だった。
マスコミはさっそく「ハサミ男」の犯行と騒ぎ立てている。
しかし、これはわたしの模倣犯ではないか。 いったい、だれなんだ、真犯人は?!

犯人自身が、模倣犯を追う。という奇妙な展開。
しかも、ターゲットだった美少女には、「ハサミ男」の空想とはまったくちがう事情があきらかになってくる。
そうなのだ。中の上の家庭環境、清楚で成績もよい美少女、というのは外から見て勝手に想像するだけで、
実像とは関係のない、ただのレッテル、標識、記号なのかもしれない・・・

前々からお名前はかねがねの一冊だった。
上に書いた程度の予備知識はあったが、もっとスプラッターな、悪趣味な描写があるのかと身構えていたが、まったく予想と違っていた。
ある種のユーモア的味わいもある。
一難さってまた一難。とか、一見、関係なさそうな人が犯人。とか、実行犯とは別に裏犯人が。とか、
一件落着と見せて、最後にドンデン返しが。とか・・・ ミステリーのお約束が、あるにはある。
この人がキーパーソンかな、くらいはあった。
しかし、最後までだまされた〜 見事にだまされた〜
標識、思い込み・・・・の陥穽にはまってしまった〜
読み返しても、どこに複線が! というほど、最初から徹頭徹尾だまされていた〜
ここまでだまされると、もう、お見事、としか言いようがない痛快さ。


殊能将之 『美濃牛  MINOTAUR』   講談社ノベルス  2000

美濃の山奥の小さな集落、暮枝村。
洞穴の泉が難病を治す奇蹟の泉だということで、藁をもすがる人たちが押し寄せている。
さらに、レジャー開発しようというわけのわからん連中も。
しかし、その一帯は大地主、羅堂家の私有地。当主は下半身付随の老人。
都会暮らしを捨て、美濃牛の畜産に命を賭けている長男は、開発なんてとんでもない。
泉には誰一人近寄せない、と洞穴の入り口を封鎖してしまう。
石動という、これまた正体不明の人物の持込企画を受け、フリーライターとカメラマンが取材に訪れた矢先、殺人事件が。。。
さらに、第二第三の・・・
本筋の謎解きのほか、古今のミステリーはもちろんのこと、伝承、植物、俳句、ギリシャ神話から土俗文化まで、
ものすごーーーーく多岐にわたる「智」の蓄積、ウンチクがふんだんに積み重なって、壮大なシンフォニーを奏でている。

こちとら、知識の浅い人間には、おそらく氏が表現した百分の一も理解できてないのではないかと思うのだが、
しかし、そういう「智」の部分を、石動の、なんとも掴み所のない不思議なキャラがやわらげ、微笑というか苦笑でくるんでくれる。
そして、終ってみれば、すべての事柄が、ひっくり返したカードのように真逆だったことがわかる。
思い込み、常識、見かけ・・・すべては虚構であり、世の中は逆説に満ちている。
MINOTAURとは顔が牛で、体が人間という想像上の怪物。
つまり、どこまでがリアルで、どこまでが虚構か・・・
小説の中の事件は解決をしているが、主人公たちは、いまだ逆説の中にある。
どこまでが真実で、どこまでが虚構なのか・・・・

名探偵物によくあるように、結局、この探偵がしたことは事件を防ぐことではなく、終ったあとに解説しているだけ
・・・あ、つまりは、本作は、過去の探偵ミステリーへのオマージュであり、挑戦でもあるのか?!


庄野潤三 『庄野潤三集』  新潮日本文学55 1992

愛撫・舞踏・プールサイド小景・机・相客・蟹・静物・二つの家族・道・・・初期から中期の短編。
端正な文章。一見平凡な生活にひそむ緊迫感。男女の心理の陰影。描写の確かさ。
どれも、どこをとっても、かけがえのない。間然としておくところがない、とはこういう作品だ。




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