海外文学-タ行
ライナー・チムニク 『クレーン男』 矢川澄子訳 パロル舎 2002
再読。
以前読んだ別の版がどんな装丁だったか覚えてないが、このパロル舎版は灰色がかった再生紙風の紙を使っていて、
それがこの奇妙な内容とペン描きの挿絵にとてもマッチしている。
なんといって説明したらいいのだろう。現代の寓話。不思議な悲しみ。
クレーンに惚れこんで一生をクレーンのうえで過ごしたクレーンオトコ。
クレーンのうえで力いっぱい仕事をし、逃げた象をつかまえ泥棒までつかまえ、市民に愛され幸せなクレーンオトコ。
戦争が起き、あたり一面海水に浸され、だれ一人いなくなった世界で
ワシと一緒に時をすごす。
なにが起きてもクレーンから離れることは決してない。
やがて戦争がおわって水がひき、緑がもどり、人々が戻るあたりはとても象徴的だが、単なる反戦とか
人間の営みとか,
薄っぺらな言葉ではあらわせない深い哀しみがある。
ちょこっと、映画「船の上のピアニスト」を連想した。でも、もっともっと世界が深いのだ。
ライナー・チムニク 『タイコたたきの夢』 矢川澄子 訳 パロル舎 2000
クレーン男よりもっと寓意性に富んでいる。
城壁に囲まれた町で、とつぜんタイコたたきが言い出した。
「ゆこう どこかにあるはずだ もっとよいくに よいくらし」
タイコたたきは、どんどん野をこえ山をこえて行く。行く町行く土地で、タイコたたきはどんどん数がふえ、
まるでハーメルンの笛吹きみたいにぞろぞろぞろぞろとついていく。
それはもういろんな土地に行くのだが、しかし先導者がいるわけではない。
とうとう理想のくにに行き着くのかと思ったら、エンデの「鏡のなかの鏡」みたいに、どこまで行っても終わりがない。
意外な展開に、これは、なんだろう。洗脳? 人間の欲望の浅はかさ?
それともぐるっとまわって、これも鏡のなかの世界? ちょっと茫然。
ライナー・チムニク 『セーヌの釣りびとヨナス』 矢川澄子 訳 パロル舎 2002
パリのセーヌ河岸には、釣り人がわんさかいる。
釣りびとたちはみな、赤いネッカチーフを首にまき、背中をじりじりと陽にさらし、ただ、釣り糸をたれている。
だれも、釣価を求めているわけではない。
ただ、釣り糸をたらし、たまに小魚を得る。それだけが目的。
それ以上を求めることなど、思ってもいない。
しかし、ヨナスは一度でいいからでっかい魚を釣りたいものだと夢見ていた。
そして、ある日一人のアイディア(天使か?)が・・・・
なーんか、いいなあ。
これまでのチムニク作品は、いかにも歴史に翻弄された小国出身者の皮肉、風刺、といった味だったが、
これは洒落てて、ユーモラスで、どこかとぼけた味。
寓意は、読み取り方にもよるだろうが、たしかにある。
しかし、ずしっと重いのではない。
昔々のフランス映画「ぼくのおじさん」を思い出した。
ジェイムズ・ティプリー・ジュニア 『たったひとつの冴えたやりかた』 浅倉久志 訳 早川書房 1987
中篇3作からなるスペースファンタジー。
ヒューマン(人類)のほか50あまりの異種族が共存する宇宙連邦。
星野(せいや)の北の果てにある
連邦基地900から多くの探査船や補給船が辺境の探査のため離着陸する。
(第一話)冒険心いっぱいの少女が一人で宇宙へ旅立った。少女の細胞の分子の中にはいりこんだエイリアンとの
奇妙な共存共栄生活。しかし、エイリアンの意思に反して本来の習性が・・・
(第二話)何十年も前に終わった最終戦争の戦士。いまはフリーランスで気ままに回収救難業をしている主人公が、
なつかしい恋人と出会った直後、宙賊に襲われ・・。
(第三話)最初混乱した。異星人同士のファーストコンタクトを双方から描く、という仕掛けがあったのだ。
コロンブスvsインド人だと思い込んでいたネイティブアメリカン。あるいはインカ帝国vsスペイン人??
いや。何万光年むこうの星野には、まったく異なる言語・生殖・文化をもっているエイリアンが、
われわれヒューマンと友好の絆を結ぶ日を待っているかもしれない。
隣国との対話も、こういう風になればいいのにネ
ジェフリー・ディーヴァー 『ボーン・コレクター』上下 池田真紀子訳 文春文庫 2003
ニューヨーク、マンハッタン。大都会の死角で起こる連続猟奇事件。
一人目は生きたまま、片手を地面から突き出した状態で埋められ、二人目は・・・
警察の裏をかくように、犯人は何一つ証拠を残さない。
わずかに残った証拠物件は、次の犯行を予告する手がかりだった。
まるでゲームのように、警察をあざわらうかのように・・・
数年前の鑑識中の事故で首から下が付随になったライムに、捜査の指揮が託される。
そして、たまたま最初の被害者を発見した女性警官、アメリア・サックスが、その指示を受けながら
初めての鑑識活動を行なう。本当は今ごろ、広報に転属になるはずだったのに。。。
最初の犯行から解決までわずか2日間。
このあいだに、姿の見えない犯人との息つまるような心理戦、頭脳戦が繰り広げられ、
そして、誰もがふりむくような美人警官アメリアに隠された人生の悲しみと、ライムにとって生きる意味があぶりだされる。
ひさしぶりに大興奮のジェットコースターミステリー。
人物同士の力関係や緊張感も見事。お約束の、あわや! が何段階も用意され、サービス満点。
伏線が巧妙に張られ、犯人が最後までわからなかった。種明かしも、大納得。
ジェファリー・ディーヴァー 『悪魔の涙』 土屋晃訳 文春文庫 2000
大晦日の朝、ニューヨーク市長あてに、市内のどこかで指定の時間に無差別連続殺人を予告した脅迫文が届く。
別れた妻とのあいだの子ども二人を育てるため、FBIを引退し自宅で仕事をしている
文書検査士
パーカー・キンケイドに捜査への協力要請が。
しかし明日は、別れた妻が、子どもを引き取りたいと、ソーシャルワーカーを連れてやってくる日。
それまでに決着をつけなければ。
予告通り事件は起きる。ショッピング街で劇場で・・・こちらの推理の裏をかくように。。。
姿の見えない犯人をおう捜査官たち。キンケイドの鑑定と推理は・・・
そして、愛する子どもたちを守れるか。
朝の8:55から翌朝の9:55までの25時間に起きた事件とその顛末。
ジェットコースターミステリー&頭脳パズルに、人物それぞれの人生を重ねて、ホロリ。
ジェフリー・ディーヴァー 『静寂の叫び』上下 飛田野祐子訳 早川書房 2000
聾学校のスクールバスが脱獄囚3人組にハイジャックされ、生徒と教師が人質になった。
FBIの人質交渉のベテラン、アーサー・ポーターはチームをくみ、廃工場にたてこもった犯人との交渉にあたる。
犯人のボス格、ルー・ハンディは冷酷なうえ、自分なりのルールをもっていて、なかなか手ごわい相手。
人質は、教師一人をのぞいて、みな聾者。しかも、読唇ができる子ばかりではない。
ポーターとハンディ。ハンディと少女たち。人質と救出班。
それぞれが、どうやってコンタクトをとり、どう意志を通じ合わせることができるか。
犯人を捕えるためなら、人質に犠牲がでるのも予測し、それをいかに最小限度にとどめるか、
という冷酷な現実。
しかも、お定まり、野心や権威や・・その他の動機から突出した行動をとりたがる輩も・・・
などなど、興味や緊張感が途切れることなく読み進む。
障害者が、障害という余分な色眼鏡抜きで一人の人間として魅力的な描き方をされているだけでなく、
人と人が気持ちを通わせるのに、音声言葉以外に多様な手段があるのだということ。
なまじ、言葉というものが邪魔をするということなど、考えさせられる。
事件解決に至るあれこれが主旋律とすれば、ずっと通底して流れているメロディは
気弱で繊細で、泣き虫なメラニ−が、
犯人や現実と強く立ち向かおうと変身・脱皮をとげる成長物語。
そして、穏やかで平凡で、しかし、非凡な交渉能力をもつポーターとメラニ−が、
直接会話ができない状況の中で心を通わせあう、
不思議でせつないラブストーリーでもある。
ジェフリー・ディーヴァー 『クリスマス・プレゼント』 文春文庫 2005
ライム・シリーズ『ボーン・コレクター』などで、読者を最後までハラハラドキドキ、
スリルとサスペンスを楽しませてくれたディーヴァーの、初の短編集。16編が収載されている。
表題作のみ、ライムシリーズの一つであるが、それ以外は、まったく別々の設定、背景。
長編のように、一難さってまた一難、という展開はないが、それだけに小さな罠がものすごく有効に効いている。
仕掛けが、こちらの予想をうまーくすりぬけ、巧みだ。
特に、前半の「ジョナサンがいない」「身代わり」「三角関係」などは、見事に騙された。
中盤、シェークスピアが登場する「この世はすべてひとつの舞台」で、ちょっと一息つき、
後半は、また、バラエティ富んだラインアップになっている。ここらの構成も、うまい。
後半の「釣り日和」「ひざまずく兵士」などまでくると、さすがにこちらもなれて、ラストが予想できるようになったが、
それでも、人間の醜悪さ、哀しさに、ドキッとする。
「ウィークエンダー」「見解」「クリスマス・プレゼント」など、ただ、犯罪の経過と謎解きだけでなく、
その犯罪の裏にある人間関係の難しさ、人間のあり方にまで思いが及ぶ。
長編を無理やり映画化するより、この中の一編を、登場人物にフォーカスをしぼって映画化してほしいくらいだ。
J・R・R・トールキン『指輪物語』9巻 瀬田貞二・田中明子訳 評論社 1992初版
再読。
原作を読んでいる方は多いだろうし、すでに語り尽くされている。
未読の方がいるとしても映画化の途中だから、
ストーリー紹介は省略し
いくつか感じたことだけ。
@物語世界の構築。
物語を書くとき、まず地図を書け、人物相関図(家族の関係など)を決めろ、といわれる。
とくにファンタジーを書くときは、法則と経済をしっかり決めろ。と。
それらが実に緻密にできている。
たとえば、ガンダルフ。魔法使いといっても、移動は自分の足か馬。食べるのも人間と一緒。
その他いろいろな種族がでてくるが、その身体的特徴だけでなく能力の差、性格や好みの違い、など
リアリティーをもって描かれている。
戦闘に行く前の準備、旅の途中も食べること飲むこと寝ること、そして旅や戦闘後の始末。
映画のように、言われてすぐその足で旅発つ、というのでは決してない。
現実に考えればそうだろうな、というほど綿密に計画を立て、準備する。
予定が変わったり、予測もつかない事態になったときのうろたえ方、迷う気持ち、そこから気持ちを切りかえるまで、などなどが
しっかり描かれている。
そこがリアリティ。
そして、ホビットの性格が、そこここにうまく作用している。
A文体。
リアリティをあらわすため、描写が細かいことのほか
ホビットたちの「〜でごぜえますだ」「〜できませんわい」といった田舎風の会話文。
アルソランの息子アラゴルン。グローインの息子ギムリ。といった代々の名を継ぐ名乗り方。
「やんぬるかな」
「こはいかに!」
「甘雨が春風を鎮めて去ったあとは、太陽がいっそう晴れ晴れと輝きわたるように・・・」
といった古風な言い回し。
そして、その場にいなかった某に某ができごとを説明をするときの長い台詞回し。
そういった時代がかった言い回しや表現が、あたかもこの物語が古くから語り伝えられた伝説・神話・口承文学であるかのような、
ゆったりした香りをもたらしている。
B思想。
なにかを獲得するための旅や戦いではなく、捨てる旅。
指輪が持つ大きな力を利用するのではなく、放棄することが、平和をもたらす。
プラスではなくマイナスにすることで、違う価値観を得る思想。
そしてフロドに象徴される、赦しの思想。
「あんたは死者に命を与えられるか?
もしできないのなら、正義の名において
そうそうせっかちに死の判定を下すものではない。
それもわが身の安全を懸念してな」
というガンダルフの言葉を守って、醜悪で薄汚いスメアゴルを信じきる。
「それでもかれを殺してはいけない。かれはかつては偉大だった。かれは堕ちた。
そしてその救済はわたしたちの手に負えぬ」
と、逃げるサウロンを追わない。
正当防衛以外こちらから刃をむけることをしない。
そしてすべてを成し遂げたあとも、フロドは英雄にはならない。
栄誉も名声も求めないし、執着を持たない。心静かに彼岸へ旅発つ。
自己犠牲ではない、
”絶対平和主義”とでもいうのか。
かっこいい戦闘シーンや、あわや!というサスペンスの連続、ものめずらしい想像上のキャラクターや、
夢のように美しいお姫様と勇敢な騎士・・・
トールキンが壮大な物語を通して伝えたかったメッセージは、これだろう。