外国を旅して面白いのは、世界には、いろんな肌、いろんな体型、いろんな言語、いろんな文化、いろんな宗教の人がいるんだなあと実感できること。
つくづく地球は広いなあと思う。
反面、アラビアにも南米にもアジアにも、その地に移り住んだ、あるいはその地の人と結婚し、しっかりと根付いている日本人さんと出会うと、地球って案外狭いのかなあ、とも思う。
肌の色が違っても、衣服が違っても、子を産み、家族を愛し、日々の営みをし・・・人として生きる道は世界中どこでも同じなのだ。
でも、人の数だけ、人生があるのだなあ。など、改めて実感できるのが、旅の楽しみの一つかもしれない。
旅行者だから、ほんの一端を垣間見ただけだが、文化の違い、暮らし方の違いも興味深かった。
たとえば、南米でもドバイでもタイでも、衛星放送でいろんなチャンネルを見ることができた。
しかし、どのチャンネルをひねっても(とくに、地元局は)、冬季オリンピックなど、まったく放映していない。
TVでも新聞でも(読めないが写真はわかる 苦笑)、サッカーはトップを飾っていたが、冬季オリンピックなど、これぽっちも話題になってない。
そりゃそうだ。暑い国に、ウィンタースポーツという概念は、ない。
たまたま、ドイツのスポーツチャンネルで荒川静香の金メダル決定シーンを見ることができたのは、僥倖ともいえるラッキーであった。
その国にはその国の暮らし向きがあり、秩序というものがある。
たとえばチップ。
日本にはチップという風習がないから、どのタイミングでどの程度払っていいのか、頭を悩ませる。
それに、グッバイボーイの報酬。。。。
気前よくふるまうのは気持ちがいいことかもしれないが、それで果たしていいのだろうか。
こちらの思い込みや同情で秩序を乱すことにはならないだろうか。
かれらは、一見、貧しいように見える。
しかし、貧しいからといって、けっして不幸ではない。
6.7歳から働くなんて、と思うが、彼らは幼くても一家の助けをしているという誇りを持っているのだろう。
観光は外貨を稼ぐ。雇用を創出する。物資が動く。わたしたちが落としたお金が、そこに住む人たちの暮らしを潤している。
だからといって、そこに住む人たちの秩序を乱したり、日常のルールにはずれたことをしてはいけないと思う。
旅も終わりごろになると、レートの換算や貨幣価値の違いから、金銭感覚が狂ってくる。
土産物や写真を売りつける物売りは、素朴な顔をしていて、なかなか、したたかなのだ。
タイの水上マーケットで、手持ちの現地通貨が少ししかなかったので、米ドルを混ぜて支払おうとした。
物売りのおばさんは、身ぶり手ぶり、それに電卓で値段を示したが、とんでもないレートだった。
そのときは、まだ頭が働いたから、首をふって断ったが、ぼんやりしていたらごまかされるところだった。
いや、彼らが悪いのではない。それだけ、厳しい暮らしをしているということなのだ。
そして、わたし(たち)が、脇の甘い、警戒心の薄い、日々を送っているということなのだ。
タイでも、ドバイでも、あるいは南米でも、現地ガイドさんの話から、土地土地の生活事情の一端を聞くことができる。
たとえば、挨拶。たとえば、死者の葬りかた。たとえば、食事の作法。たとえば、トイレ事情。
たとえば、賄賂・・・
その土地にはその土地の文化があり、それぞれの文化には、それぞれの民族性や長い歴史の背景がある。
上っ面だけかもしれないが、そういう文化に、駆け足でも触れることができた。
訪れた国がTVなどで取り上げられると、これまでとは違った親近感でみることができる。
そして、常識だと思っていたことが、海外では通用しないかもしれない、ということもふくめて
自分を、自分の国の文化をあらためて見直すことができる。
それが旅の効能の一つではないだろうか。
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